自分の人生において、これまてわ大きな節目は何度もあった。


思いつく限り書いてみる。


◾幼稚園進学

あまり記憶にないが、母によると泣いていやがっていたようだ。家の中しかわからない自分にとって、見えない外の世界がこわかったのだろう。


◾小学校進学

幼稚園の先生は、本当に可愛くて優しい女性の方だった。先生は短大を卒業して社会人一年目だったと思う。年齢は21歳だったのではないか。年長の自分は6歳の年。ものすごく大人のように感じて、憧れがあり、大好きだった。先生からは一度も怒られた記憶はない。もちろん注意はされたが、愛情を持って接してくれてくれた。根底に人に対する信頼感があった。

実は15歳しか離れていないことに今気づいた。きっとまだどこかで元気で暮らしているのだろう。

そんな大好きな先生から、離れて、小学校は全然違った環境になったので大きな転機であった。


◾中学校

これも大きな転機。違う学校と合流もあり、不良の先輩もたくさんいて、物騒な雰囲気であった。部活という物が主体となり、大きく変わった。部活は自分には合わないスタイルであった。


◾高校受験

初めての受験。懸命に頑張った。志望校よりワンランク下げたところを受けてなんとか合格した。


◾高校

全く文化も異なる環境。水も合わなかった。部活もなんとかやったが、才能なく、自分がいる場所ではなかった。勉強も低迷。何をやってもなかなかうまくいかない。この時、学校外でスポーツの習い事をした。それは好きなことだったが一生懸命取り組んだが、一緒に始めた虚弱体質の知人より才能がなく、彼の実力よりもどんどん話された。また憧れた一つ年上の女性に恋焦がれるが、なんと彼女は一緒に始めた虚弱体質の友人と付き合った。彼は女性の姉がいるせいか甘え上手なところもあり、女性とのコミュニケーションがうまかった。自分は緊張してしまい、スポーツの技量も下手な半人前の状態ということで、引け目もあり、余計コミュニケーションが取れなかった。


◾大学受験

現役時代、志望校に歯が立たず浪人。浪人して偏差値が上がるが、翌年も歯が立たず。さらにもう一回受け、最後は自己採点をした時にこれはもしや・・!と思ったが、ダメだった。気の進まないまま、母校に進んだ。今考えれば学費を出してくれた父母に申し訳ない。また母校に対しても。今考えれば、母校も素晴らしい大学なのだ。だが、偏差値にとらわれていた。偏差値はブランドのロゴのような感覚だったかもしれない。


◾大学時代

失意のうちに過ごした。ただ、大学時代に得難い親友が2人できた。彼らの存在は本当に有難い。家族以外では自分の最大の理解者だ。彼らの有り難さにふと涙が出そうになる。利害関係のない、学生時代の友人は本当にありがたいと思う。今も親友と会うと、あるがままの自分に戻れる。

大学で知り合った人達とは、親友を除くと浅い付き合いでもう全く縁が切れてしまった。


◾就職

大きな、大きな転機。

新卒の時に入った会社でも自分は思うようにパフォーマンスを発揮できなかった。

ハードワークで厳しさのある職場であった。

だが、職場で事実上初めての彼女ができた。彼女と職場一緒の時、献身的に自分を支えてくれた。彼女とは同じベットで寝てもグッスリと休めた。その時の彼女も同じことを言っており、生理的な相性も良かったのかもしれない。

最初の職場では目が出ず、一社目の最後の職場では今であればパワハラと100%認定を受けるであろう、対応を受けた。満座の前で大声で罵倒され、耐えるしかなかった。なすすべもない自分。それまでに4人の上司につき、同じ対応をしていてもそんなことは一度もなかった。徹底的に、周囲の面前でとことん怒鳴られ、罵倒された。

もちろん社会人としても未熟さがあり、才能も能力もなかった自分にいたらなさはあったと思う。だが、当時の自分に逆らえる立場ではなかった。手足の自由を奪われたままで一方的にやられるしかない状況であった。そのことを考えると今だに涙が出る。

権力者である上司からそんな扱いをされると、周囲もよそよそしくなり、とても冷たかった。この時の体験を通して、集団の中の弱者、社会の中の弱い人の力になりたいと自分は切に思う。社会的に弱くなってしまった人、抵抗してもできない人には手を差し伸べたいと思う。


◾転職

転職して大きく変わった。仕事が楽しいと思えた!自分に適性がある仕事であると最初から確信できた。初めて成果を出せた。


◾母の死

最愛の母との別れは大きな転機であった。母のことは今だに頻繁に考える。海よりも深い愛情を持って育ててくれた。本当に有難いことだ。


◾転職2

職場が変わり、またパワハラ気質の上司とごく短い時間仕事をした。しかし、この時は抵抗できる職場の中での強さを持っていた。職場のみんなも応援してくれた。


◾出向

その会社と取引があった会社へ出向した。超一流企業でいる人々は優秀なのはもちろん、人格的にも素晴らしいひとだった。ここで自分は大きな成果を出す。自分に自信を持てたタイミングであった。


◾転職3

またそれから職場が変わった。管理職も経験したが、自分には合わない職種の仕事だったため、苦労する。大変なことあり、逆にそれがきっかけで今の職場へつながる


◾転職4

今の職場である。適職であり、頑張ったことがそのまま成果になった。だが、失恋もあり、女性には振られた。大きな失恋もあり、手を伸ばしても手が届かない女性を諦めきれず4年くらい追いかけてしまったりした。今はここにいる。仕事も1人でやっていけるようにしたいし、伴侶も得たいと考えている。


今、大きな転機に差し掛かっている。

壁を超えたい。いや、必ず超える。


そして仕事が根底にある。

仕事で正しい事を行って、全力で頑張って成果を出すことは、クライアント企業、クライアントの方々、自社、上司や周囲の人たち、ひいては社会全体にも貢献できるものと感じる。

周囲の人たちが万歳をして喜んでくれている姿が頭に浮かぶ。満開の桜が咲いていて、外で楽しく宴会をしている時、人々はみんな幸せで喜んでいる。全ての仕事は社会貢献ができるし、仕事で成果を出すことはそんな幸福を周囲にもたらせると信じる。

だから、目下の仕事で必ず成果を出して、頑張りたい。そんなことを、今、新潟で考えている。