四十九日を終え | 父と娘 

四十九日を終え

8月20日。

無事四十九日法要を済ませた。父は、祖父と共に京都のお墓で眠っている。

幼少の頃以来で訪れたお寺は、庭が美しく、京都らしかった。

父がここで眠ることができること、これからここへお墓参りに来れることを嬉しく思った。

祖母は、父の最期を”幸せな最期”と言う。

(おそらく)苦しむ時間が少なかったこと、子供達3人に見守られながら逝ったからだ。

数日前、父の高校から”還暦祝い同窓会”のハガキが届いた。

還暦を迎えられず、年金も一銭ももらえなかったことを改めて思うと、私まで悔しい気持ちになった。

この日記で”(父の)長生きを望んでいない”と率直に綴ったが、早すぎる死だと十分わかっている、父に孫を見せたかったという夢すらみた。

私は、父に死んで欲しかったわけではなく、父に変わって欲しかったんだと思う。

温かな家庭、健全な親子関係を望まない人なんていない。

私は、父と母に数え切れないものを与えられたことを忘れてはいけない。

それでも、父と私の間には大きな溝を埋められないままだった。父が”良い父親”だったとも思わない。

どんな父親になって欲しかったかなんてビジョンは全然ないけれど、私はいつまでも”子供”として安らぎを求め続けた。

散々無茶をしてきて、59歳まで生きられたことの方が驚きなのだが、”幸せな最期”だったんだろうか。

父にとっての”幸せ”っていったいなんだったんだろうか。

酒?

今でもほぼ反射的にそう思う。