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いい写真じゃないけど・・

もういつ生まれてもいい日々を送っている。やっとこさでいろいろ準備を始める。
遅すぎる。てべこの時に使っていた布オムツと布オムツカバーを出してきて、
洗濯し直す。その時はあまり気にならなかったけど、たった2年ほど使っただけで
この黄ばみ。あたりまえか~。私は漂白剤とか、環境にも良くない洗剤は
使わないので、徐々に良いものは出てきているとはいえ、一般の洗剤に比べて、
たぶんものすごく汚れが落ちるものではない気がする。
臭いもアロマだったりそんな自然の香りのみなので、洗いなおしてみると、
びっくり少し臭いが残っていた。この黄ばみもなぁ・・とここ何年かで見つけた
漂白剤を使ってみるが、黄ばみは変わらず!
いっそのこと染めてみるかとか思ったけど、濃い色にしてしまうと便の色が
わからなくなってあんまり良くないだろうかと思い直す。

また、あの布オムツを洗う日々がやってくる。
便の時は、便座の中に手を入れて、洗い流してからつけ洗いをする日々。
トイレ掃除を毎日するようになったのは、そんな影響。今の男性は育児も
積極的な人が普通なので、うちもダンナくんは便座にだって手を入れて洗うし、
オムツも換えて洗ってくれる。
私の母はそれを見て、「男の人にそんなことをさせて・・」と
申し訳ないように言っていた。でも彼は別に普通に自らやっている。

準備の中で、家の模様替えや配置換え、てべこのおもちゃの整理なども
やっている。せまい家の中で快適に物を置いていくことを考えるのは難しい。
でも楽しい、ような気もする。時間がなくなると思うから、いかに使いやすく、
うまく収納するかとめちゃくちゃ考える。
てべこが自分のことを自分でやってくれるように、彼女の着替えや朝の用意などを
すべて手の届く位置にまとめてみる。
まだ甘えたいてべこに、赤ちゃんが来るからといってなんでも自分でやってと
期待しそうさせるのもかわいそうだと思う。やりたいと思ってやって欲しい。
私は「おねえちゃんだから」という言葉を使わないようにしたいと思っている。
「おねえちゃん」だから我慢することも、いい子でいることも、自分でしっかりすることも、
ぜんぶぜんぶ、彼女に求めたくない。
てべこだって、まだ小さい子供。だから私に必要なのは、きっと心の余裕なのだと思う。
そんなのできるのか、まだぜんぜん想像できないけど、一日に一回、
その言葉を思い出せたらいいなと思う。心の隅にいつもありますように。

いつも大丈夫っていう心でいられるわけもなくて、今でもときどき自信のない私になる。
私個人でだって、まったく人としていい大人じゃないことをわかっているから、
そんな自分が、2人の人間の人生のはじまりに影響を与えていいのかと思うこともある。
自分を振り返っても、子供の頃の親との接し方が今まで自分の心に関係していることを
知っているから、不安になることだってもちろんある。
でも、なんにもない、なんにもできない私だけど、愛情をゆとりの心で与えてあげられたら
いいのになぁと、いつもそれだけを願う。
愛がちゃんと届いていたら、ちょっとくらいねじれたって、いつかまた戻れる・・かな。

考えすぎない、できるだけ手を抜く、悪いと思わず自分の時間を作る、
良いと思ってやる。
このあたりが私のモットーかな。まだ新米4年目なので、今後また変わるだろな~。