寒くなって洗濯物の渇きが遅くなってきた。そんなことに冬を感じる。

朝干して夕方だとまだ乾いていないのがあったりして、ぶらんぶらんと

宙吊りになっているのが洗面所へ行く邪魔になったり視界を遮る。

夏って夕方には、カラ!パリ!と乾いていて気持ちがよい。

たまにダンナくんが、きちんとパンパンせずにすそがくしゅっとなった

ままに形状記憶されて乾いているのも、それもまぁよい。

寒くなると空気は乾燥するのに、なんかじめじめみたいな気分にも

なるのは、生渇きのまま家に入ってくる洗濯物のためだな。


てべこが咳がすぐひどくなるので、うちでは寒くなってくると一日中

加湿器をまわしている。

夜には普通の加湿器とアロマ加湿器とをダブルで使うのだが、

それと同じく空気清浄機を年中つけていて、そのアロマ加湿器の

すぐ横で空気清浄機をつけるという意味のないことを、

私は時々やってしまう。

「せっかくアロマ炊いている意味がまったくない。空気清浄機に、

良いも悪いも判断できないんだ」と何度となくダンナくんに言われるが、

なぜか私には納得できかねていて、私が思うには匂いの識別を

しているだろうと疑いもなく思っている。

うまくよい香りを残しつつ、室内に良くないものを吸い取っていくのが

清浄機だと思っているのだ。ほんとうにそうじゃないのだろうか。

勝手な自分ルールというのが、実に多くて、そういう私の当たり前が

通用しないとか否定されてしまうことが多い。

でもなんでもある程度思い込みで、その通りになっている部分も

あるんじゃない  ?とか凝りもせず思っている。


先日久しぶりにネットで動物占いみたいなやつをダンナくんとのぞいて

みた。近年生まれたてべこのことを見たかったのだ。

そこでまず自分の本質やらたてまえやら細かいものを読んでいたら、

判断や意思決定という部分に、「何かを決めるときに、現実を否定し、

理想のみで決定する」と書いてあった。

それを読んでダンナくんが、まったくその通りやと笑った。

その他もろもろ、なんだか自分にもダンナくんにもよく似ている内容が

書いてあったのでおもしろかった。

てべこのは、まだ小さいのでなるほどと思う程度でまだピンとこなかった。

占星術のようなものは、動物占いも含めてわりといつも自分に近いことが

書いてあるような気がする。

生まれた日というのは、それほど重要なのかな と感じたりする。

だって、その星の決められたというか、その性格やらに近いまま

生きているんだから。

占いって、いいとこしかじっくり見ないもんだけど、客観的にいいこと

書いてあると褒められてるみたいな気分になるもんだ。

ぜんぜん、できていないくせに、「へー 私ってこうなれるんだ」みたいな。


なんでも楽観的すぎるのが、悪いところ。

深刻な状況でも、なんとかなるって根拠なく思って平然としてしまう。

近頃、そんなところが父親にそっくりだなって実感している。

私はなぜ父が今のような状況になったのか、わかる気がする。

きっと、なんとかなるさーとふんふんと楽観的にやってきただけなのだ。

父も現実を否定するタイプなのかもしれない。

私もいつかこの楽観から現実を見れる日が来るだろうか。

私には現実の中でしっかり生きている心強いパートナーがいて、

ほんとうによかった。