休みが多いと、仕事がはかどらない現実。
子供がいると、休みは休む‼とはっきり割り切らないと、
作業が進まないことに気持ちが残ってしまう。
遊びながらも時々作業のことを考えてしまう。
はじめからその時間はないものとして割り切るようにしている。
子供と過ごしながらも他に気を取られるのは、悪い気がしてしまう。
そして未熟な私は、他に気が行くとうまくいかないことにイラっとする。
そのイラっとが、てべこに向けられたらもうそれはマズイ。
ダンナくんに向けられても、それもマズイ。
夫婦が休日にささいなことでムッとしあうのは、実は1番疲れてしまうことだ。
あのケンカの時のエネルギーは、その瞬間から元に戻るまでにかなり放出される。
黙っていても、内にこもるエネルギーがはちきれそうになる。
そしてたいがい私はそれを抑えられないので、すぐに言葉と態度で出す。
私と相手のエネルギーバトルだから、そら疲れる。
以前は、私のエネルギーを吸収型だったダンナくんも、
子供が生まれてからエネルギー対抗型になった。
争いを好まない主義なのに、そうなってきた変化はなんだろう。
彼も2人暮らしから3人暮らしへの日々に、追いつかない部分もあるのかなと、
そんな風に思ったりする。
2人で気ままにのらりくらり生きてきてた私たちが、
よく子供を育てて今までこれた。
出産し、まだ生まれて5日の赤ちゃんを家に連れて帰った日、
「こんな小さい赤ちゃんを2人だけで連れて帰っていいんかな?」
と2人で心配になったものだった。でも無事元気に3歳にまで大きくなった。
子供ができて自由がなくなるわけじゃないけど、確実に中心になった。
2人暮らしの時の中心は、自分だったり相手だったり、
時には友人だったりいろいろ変わることができた。
今は彼も私も1番に考えることがてべこなのだ。
自分を1番に考えられないことは、自然のことだし、それが幸せにも繋がる。
それでも後ろに回った自分が時々は出てきて、「もっとこうしたい」と
思った時についイラっとした自分が出てくる。
それが私も彼にも出る時、余裕がないんだなー今 と思う。
「こうしたい、でもできてない」がいっぱいになると余裕がなくなる。
そしたら優しさと思いやりが後ろにやられてしまい、自分が前に出る。
「こうしたい、だからこうしてほしい」
「こうしたい、だから時間が少しほしい」
「こうしたい、だから今からしよう」
と、一つずつその心の声を形にして実現していけば、
心はスッキリ解放されて余裕ができるだろうか。
そう言葉にすることなら、できるかもしれない。
どうせ言葉にするなら、前向きなしあわせな使い方をしたい。
言葉は使い方とタイミングで、助けられたり喜んだりうまくいったり、
すごいものなのに。頭でわかっているのに。
言葉と態度と表情と。全部がピッタリ合わないと、相手の心まで届かない。
あーなんでこんな言葉を、こんな態度で言ってるんやろ。
その時の私はいったいどんな表情だ?そんな時こそ鏡見ないとな。
見るの避けたいけど、そう思うくらいの表情だってわかってるわけやもん。
いい顔を見せるのは、外じゃないはず。
いつも一緒にいる家族だからこそ、1番いい顔を見せたいし、見たいはず。
3人家族、笑顔を見せ合って同じ顔でいたいもんだ。
子は親の鏡。そんな話があったな。
子供がいると、休みは休む‼とはっきり割り切らないと、
作業が進まないことに気持ちが残ってしまう。
遊びながらも時々作業のことを考えてしまう。
はじめからその時間はないものとして割り切るようにしている。
子供と過ごしながらも他に気を取られるのは、悪い気がしてしまう。
そして未熟な私は、他に気が行くとうまくいかないことにイラっとする。
そのイラっとが、てべこに向けられたらもうそれはマズイ。
ダンナくんに向けられても、それもマズイ。
夫婦が休日にささいなことでムッとしあうのは、実は1番疲れてしまうことだ。
あのケンカの時のエネルギーは、その瞬間から元に戻るまでにかなり放出される。
黙っていても、内にこもるエネルギーがはちきれそうになる。
そしてたいがい私はそれを抑えられないので、すぐに言葉と態度で出す。
私と相手のエネルギーバトルだから、そら疲れる。
以前は、私のエネルギーを吸収型だったダンナくんも、
子供が生まれてからエネルギー対抗型になった。
争いを好まない主義なのに、そうなってきた変化はなんだろう。
彼も2人暮らしから3人暮らしへの日々に、追いつかない部分もあるのかなと、
そんな風に思ったりする。
2人で気ままにのらりくらり生きてきてた私たちが、
よく子供を育てて今までこれた。
出産し、まだ生まれて5日の赤ちゃんを家に連れて帰った日、
「こんな小さい赤ちゃんを2人だけで連れて帰っていいんかな?」
と2人で心配になったものだった。でも無事元気に3歳にまで大きくなった。
子供ができて自由がなくなるわけじゃないけど、確実に中心になった。
2人暮らしの時の中心は、自分だったり相手だったり、
時には友人だったりいろいろ変わることができた。
今は彼も私も1番に考えることがてべこなのだ。
自分を1番に考えられないことは、自然のことだし、それが幸せにも繋がる。
それでも後ろに回った自分が時々は出てきて、「もっとこうしたい」と
思った時についイラっとした自分が出てくる。
それが私も彼にも出る時、余裕がないんだなー今 と思う。
「こうしたい、でもできてない」がいっぱいになると余裕がなくなる。
そしたら優しさと思いやりが後ろにやられてしまい、自分が前に出る。
「こうしたい、だからこうしてほしい」
「こうしたい、だから時間が少しほしい」
「こうしたい、だから今からしよう」
と、一つずつその心の声を形にして実現していけば、
心はスッキリ解放されて余裕ができるだろうか。
そう言葉にすることなら、できるかもしれない。
どうせ言葉にするなら、前向きなしあわせな使い方をしたい。
言葉は使い方とタイミングで、助けられたり喜んだりうまくいったり、
すごいものなのに。頭でわかっているのに。
言葉と態度と表情と。全部がピッタリ合わないと、相手の心まで届かない。
あーなんでこんな言葉を、こんな態度で言ってるんやろ。
その時の私はいったいどんな表情だ?そんな時こそ鏡見ないとな。
見るの避けたいけど、そう思うくらいの表情だってわかってるわけやもん。
いい顔を見せるのは、外じゃないはず。
いつも一緒にいる家族だからこそ、1番いい顔を見せたいし、見たいはず。
3人家族、笑顔を見せ合って同じ顔でいたいもんだ。
子は親の鏡。そんな話があったな。