パーソナリティ障害 | マリアの憂鬱

マリアの憂鬱

Maria in gloomy time

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)/PHP研究所
¥819
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DSM-IVに基づきそれぞれのパーソナリティ障害について、

  • 本人はどう克服するか、
  • 周囲はどう接するか、
をまとめてある。パーソナリティ障害を俯瞰する入門書に良い一冊。

結びの章にはこうある。

“若い頃は、パーソナリティは、生まれ持ったものや育ってきた環境によって大きく左右される。しかし、ある程度の年齢になれば、自分の弱点を克服しようと努力した人と、問題に向かい合わずに過ごしてきた人との差は歴然となる。
そこそこの年になれば、人は自分のパーソナリティに対して責任があると思う。その年になれば、親や不遇な環境のせいにばかりできないのだ。(中略)中年になっても、子どものように自分勝手に振舞い、自分を省みることもない、情けない大人にならないように、自分のパーソナリティと生き方を磨き続けてほしい。”

これこそ、私が感じる理不尽さと一致する。

これまで、私が見てきた、パーソナリティ障害的な行動を起こす人たち、はみな、
「気に入らないことはすべて人のせい」
と考える。

成育歴に同情すべき点がみつかる例も、(彼らの言うことが真実ならば)確かに存在する。
が、仕事をするうえで、または生きるうえで、周囲に嘆くほどの困難を感じているにもかかわらず、
嫌な気分になる度にこじつけとしか思えない理屈で
他人のせいにし、
周囲に憤りをぶつけて、
はい終わり。
自分を省みることなど、まったく思いもしないし、
ましてやそれを促すと逆切れする。

それでいて、周りには自分のことを「(仕事の)できる人」、「(人格の)優れた人」扱いするよう強要する。
その評価を目指し、自らを磨くことなど皆無で、
すでに評価されている人を妬み、嫌がらせには精を出す。まさに”情けない大人”だ。

そんなに気に入らないなら、それこそ、耳と目を閉じ口を噤んで、妄想の中だけで生きていればいいのに、と思う。