私は苦手なことがありすぎて、一つに絞れないのですが、あえて一つ上げてみると、計算が苦手です。

小学校低学年の時から簡単な足し算、引き算ができず、いつまでたっても指をこっそり折って数えておりました。救われたのは掛け算の九九でして、これは暗記すればいいわけだから、足し算や引き算に比べれば楽に感じました。暗記は苦手ではなかったので。

私の苦手なことところで、小学校2年生くらいの頃だったと思います。なぜだか覚えていませんが、母方の祖母が二日ほど我が家に滞在していました。

祖母はその昔は結構教育熱心タイプだったようですが、戦争中はそれどころでなく、終戦を迎えて落ち着いてから、末娘にはかなり教育熱心だったみたい。それは母の妹、私には叔母にあたりますが、母やその上の兄はもう大きくなっていたので手遅れと思ったのかな?邪推ですけど。


その祖母は私と話していて、私が全く計算ができないことに気付いたようです。しかし、私は片寄った発達をしていたため、計算は嫌いだけど

本を読むのは好きでした。その頃は偉人伝集を父に買ってもらい、熱心に読んでいました。しかし、両親共に私と本の話をすることはなく、私も友達と本の話はしていませんでした。そんなの、面白がられないじゃないですか。テレビ全盛期に。


しかし、祖母はそこに目をつけたのです。台所でお皿を洗いながら、私の偉人伝の話を聞いてくれました。

「おばあちゃん、音楽家は早死にしているねえ。モーツァルトは33才で死んじゃった」

「おや、またそれはえらく早死にやなあ。ももんがちゃん、本の巻末に何年に生まれて何年に死んだか書いてあるやろ。それで引き算してごらん、誰が何歳まで生きたかわかるよ」

うっ、引き算かあ…でも面白いと思った私は広告の裏紙でノロノロと引き算を始めました。

「おばあちゃん、バッハは○才

、シューベルトは○才で死んじゃった!」

「それはえらい早死にやなあ」

おばあちゃんはカラカラと笑い、「それでベートーベンは?リンカーンは?」

私は次々に計算してはおばあちゃんと笑い合いました。不謹慎と言えば不謹慎ですが…


後になって思うと、親とこういう会話をしたことのなかった私はしみじみおばあちゃんは教育熱心な人だなと思いました。孫が計算苦手とわかると、ゲームのように計算をさせて、それを勉強のように感じさせなかったわけですから。


そして、私は少し計算方法を覚えました。暗記は苦手じゃないのだから、理屈でなく、この計算はこの答え、と覚えてしまえばいいんだと。それから指は使わなくなりました。


でも、たったの2日の経験でしたからね。私の算数嫌いはそのまま、生涯付きまといました。


でも、優しかったおばあちゃんとの懐かしい思い出なのです。


掛け算の九九は覚えてしまえばいいのですが、何しろ理屈がわかっていません。


3年生のとき、隣の席の男の子にポツリとぼやきました。

「私は九の段になるといつも覚えられなくて間違えちゃうの。九五40と言ってしまうの」

「そしたらさ、九五になったら五を足すって覚えたら?」


おぉー、それは目から鱗。お陰で九九は間違えなくなりました。九の段の暗唱になると「九五は五を足すぞ!」と身構えるのです。そこからは詰まったら九を足していけばいいわけで…当時は今ほどスピード授業ではなく、3年生の前半まで九九をやり、暗唱ができたらシールを貼ってもらえるのでした。


でも四年生の割り算くらいからお手上げ。そろばんを習っている友達がちょっと羨ましかったような気がします。でも忙しそうだったから親に「やらせて」と言うことはありませんでしたし、父は「これからは電卓の時代なんだからそろばんなどできなくてかまわん」みたいなことを言っていました。


後日、親になった私は、幼い頃のコンプレックスがあり、娘にはそろばんを習わせようと画策しました。電卓では、間違いに自分で気付けないからです。父はこどもの時からそろばんを習っていたので、できない人の気持ちがわからないのだと思いました。


結局、ワーキングマザーだった私はそろばん塾の送迎はできないと、娘のそろばん計画は頓挫しました。大通りを渡らないと、そろばん塾には行けず、何しろ、大型トラックがバンバン行き交う大通りに、低学年の娘を一人で通わせる勇気がなかった。


後日談、娘はそろばん塾に通わずに済みましたが、親の言うことなど聞かず、低学年の時から自転車で大通りをガンガン渡っていたそうです。


なーんだ。

これも計算違いでした!

 

 

 

 

 

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