忘れられない運動会と言えば、やはり小学生のときだろう。私はどんくさくて、かけっこでは常にビリから2番目。5人で走るから4位なのだ。6年生のとき、今年こそ4位でなく、3位になりたいと思った。

前日の放課後、友達と一緒に校庭に忍び込んだ。一夜漬けならぬ1日漬けで解決しようと目論んだのである。何周もトラックを走り回った。これだけ練習すれば不名誉なビリから2番目を脱出できるのではないかとかすかな希望を抱いて。

ところが、ふだん、まったく運動をせず、本ばかり読んでいたもやしっこの小学生の足は驚いたらしい。足の付け根が強烈に痛くなった。筋を違えたのかもしれない。走るどころか、歩くのもままならない状態で本番を迎えた。

いや、本当に足が痛くて痛くて、引きずっている状態だった私は走るどころではなかったのだ。初めてビリになった。まっすぐ走ること事態が無理だったのだ。

「やーい、ビリ、ビリ!」

口の悪い男子は大喜びで私を罵って大笑いしている。

3位になるために、前日、猛練習したなんて誰も知らないことだった。正直言って完走しただけでも私は頑張ったと思うのだが、ビリはビリ。からかわれても仕方ない。何とも屈辱な運動会となった。まあ、毎年ビリから2番目だったので、誰も私に期待はしていなかったのだが、努力は実を結ばないという現実にショックを受けた運動会だった。



しかし、努力はやはり実を結ぶのである。

高校生になって、無理をして運動部に入った私はこれでもかというほど連日、マラソン、ダッシュ


、今ではいけないと言われているうさぎ跳びに連日取り組んだ。


忘れられない運動会の思い出

そして、努力は実を結ばないと思っていたけれど、私は少なくとも徒競走やマラソンでは標準よりちょっと上のタイムが出せるようになった。ここまで来るのに半年はかかったな。

運動会やマラソン大会で恥をかくことはなくなった。部活の猛練習に比べたら体育の授業なんて甘いものでしかなかった。

努力は実を結ぶ。でも一夜漬けはダメなんだと理解した。最低でも半年は頑張らなくてはいけない。


小学校の運動会でビリギャルだった私はやっと標準値を越えたのだった。小学校でビリを取ったからこそ、頑張れたのかもしれない。それに若さも体力も高校生は充実している時期である。


そして還暦過ぎたわたしはあいかわらず股関節が弱いというか、奇形の範囲内に入るということがレントゲンでわかった。


こんな足でよく頑張っていきてきた。もう歩くのも走るのも全然ダメ。股関節の奇形はそのままなんだなから。


でも走るのでなければ…

奇形の股関節にムチ打ってダンスに取り組んでいる。

あのとき、ビリだったからこそ、そして高校時代の部活でコツコツ努力することを学んだからこそ、還暦過ぎても頑張れるのである。

私は器用貧乏の正反対だ。だけど、ぶきようだからこそ、努力の意味を体感したのだ。

胃腸炎はまだ完治しないが、ダンスだけは頑張りたい。毎週通うことが仕事上無理だったジャズダンスも、隔週でいいからと気持ちを切り替えて復活したところでーす。

継続が大事だとあのビリ体験が私を支えている。

 

 

 

 

 

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