私、だいぶくたびれております。疲労感いっぱいでいくら寝ても寝足りません。
天皇誕生日には天気もわからないほど眠り続け…
金曜日も半休もらってお昼寝。
いくら土曜日、早朝出勤だったとはいえ、この疲れ方、尋常じゃない…
て、合間にジムにも顔を出していますが、強度の強いプログラムには何も参加してない…
日曜日にはフラをやっただけでもうヤバい、という眠さでしたのであとは何もやらずに帰宅して寝た。
だから月曜日から元気のはずなのに…
今日も眠かった。
私のしたことは「紀ノ川」の再読のみ。
結構、脳には響いた。
以前読んだときには気付かなかった親子三代の、主に母としての気持ちが今回は胸に迫ったのです。
「家」制度のなかで立派に嫁の勤めを果たした明治の花。家制度に反発する文緒。これは有吉佐和子さんの自伝的三代の物語なので、佐和子さんは「華子」として登場。ドキドキしました。華子は体の弱い娘で本ばかり読むのですけれど、母の文緒のように家制度に反発することなく、伝統を受け入れ、祖母を敬愛しています。
50年間の間に戦争があり、農地解放で地主は小作人に土地を格安で差し出すことになり、花の守ってきた家は斜陽となっていく。
もともと小作人を気の毒がっていた文緒。しかし、戦争で自分の夫が手に入れた家もお金も失い、自分の子どもたちに養われることになる。
華子は
「お母さんは労働者を気の毒がっていたけど私はそうは思わない。だって私も労働者だけど気の毒なんかではない」
言いきります。
もちろん、華子だってその時代にしてはちゃんと高等教育を受け、奨学金とアルバイトをしながらだけど大学も卒業している。私の母くらいの世代だと思うとやはり女性にしては高学歴です。たとえ、貧しても子どもに教育を受けさせるのは当たり前という家風なのでしょう。
ふーむ。
娘というのは母親を批判しながら、乗り越えていくものなのですね。
批判される側は辛いけれど、案外、母親というのは娘に批判されても耐えるものなのです。
私の娘は私に反発しているというより、かなり見下げているなと感じることが多々ありますが、もともと自己肯定感の低い私は、批判されても
仕方ないと諦めております。尊敬されるわけがない。
娘が元気で自立してくれているのなら、それでよしと満足してしまいます。
私も三代記のようなものを書けたらいいんだけどおどろおどろしくて、物語になりませんねえ。
母方のほうでいけば、やはり明治生まれの祖母は家なんてほどのものじゃなかったでしょうが、そういう教育を受けているから、忍耐の人生。この時代にしては女学校まで出してもらっているところをみると、そこそこ裕福だったのかも。そのせいか、プライドが変に高かったように母は言っております。私から見たら優しいおばあちゃんでしたし、文学好きで楽しい人でしたが、生活能力はそんなに高くなかったのかな。
戦争でボロボロな子ども時代を過ごした母は生活能力は高かったと思いますが、勉強は苦手。
母親が無知だと子どもに言っていいことと悪いことの区別もつきませんので、私は反発心を秘めながら育ち、子どもは下克上で教育を…と思いましたが、生活能力の低い私を娘は批判的に見ていたようです。低いといっても私はずっと働き続けましたが、それは娘に教育を受けさせるためでした。
で、娘は、受けた教育を何に生かしてるんだという生活ぶりですが、まあ、逞しいようで、私の苦手な実母とも、仲良しです。複雑です。
一族に天才はおりませんので、私はもともと弱い体を酷使してきたため…ついでにメンタルも弱いため、疲れきっていることがしばしばです。
だけど紀ノ川を再読して、三代というのはこういうものなのかと納得するところがありました。
疲れた原因に夜中まで読書していて生活リズムがめちゃくちゃになっているせいかなとも思いますし、単純にもう、限界超えて働いてきたせいかなとも思います。
じゃ、なんでダンスなんかやるのかって?
読書とは違う部分の脳が活性化されて、それが楽しいんじゃないかと思います。全く才能がないので、そこは、残念。
今は何もかもめんどくさいです。
ただただ、眠りたいです。