お日様がついてる晴れ女

お日様がついてる晴れ女

取り柄がないのがコンプレックス。でもひとついいことに気付いた。私は晴れ女なのだ。今日も真っ黒に日焼けしながらがんばります!紫外線なんか怖くない!お日様が味方です。

今を充実させて生きよう、なんて書いておきながら2日間、せっかくの休みをひきこもって寝ていました。あ、犬の散歩だけはしてますよ!


疲れているというより何もかも面倒になったというのが本音です。退職後が怖い~。


それでも本は読んでいます。


母に異変があった10月からドタバタして、私はこの半年、ツチヤ本しか読めませんでした。土屋先生の本なら安心して読める、笑えるからです。


しかし、少し気持ちが落ち着いたのか、人生相談に刺激されたのか、他の本も読もうという気持ちになってきました。人生相談では上野千鶴子さんやカンサンジュンさんの言葉が胸に響いたのでこのお二人の本を電子ブックで読み始めています。深いのです。人生相談をやっているだけあって共感能力が高いと感じます。

ジムに行く予定だったのにやる気が失せてサボった2日間。


やる気を待ってたら一生行けやしない。

とにかく行くのです、明日こそ。


何も運動していないかというとそういうわけでもなく、木曜日は体育館借りてお仲間とピックルボールやりましたよ。やはりフットワークが課題。フットワークのためにエアロビクス初級に予約いれていたのに、サボった。これではダメだな。


明日はジャズダンスかホットヨガか迷っています。同じ時間帯なのです。


とにかく、行けますように。

今を生きていないから過去に囚われる?


過去は変えられない。でも未来は変えられる。


いきなりそんなことを書き出したのは

某新聞のお悩み相談を読んでいて、腑におちたからなのです。


人生相談って一人の悩みじゃないんですね。

特に新聞に載るようなものはバックに何万人という同じような悩みを抱えている、そんな読者のために回答があるものなのだと知りました。


ざっと読んでいて、過去の家庭不和、トラウマ、親子関係のものに目が行きました。


親子とは、異質な時代を生きてきた違う世代。だから友達親子なんてやはりない。だけど親離れ、子離れは難しい。異質な人に共感を求めても無理…などなど、大変勉強になりました。


そして、過去が変えられないからこそ、今を生きよう、未来を変えようという、私が書いてしまうと陳腐なのですが、回答者のメッセージが心に響きました。


私はきっとこれからも過去を振り返るでしょうし、苦しむでしょう。だって脳が損傷しているから。脳科学的にはそうなんです。


だけど、それでも今を生きていくし未来に希望を持ちたいし、辛い過去もユーモアを持って受け入れていきたい。だから、川柳をやろうと思ったのだから。


仕事もラスト一年を切りました。

老後まっしぐらですが、まだまだやりたいことがあります。今だって色々やりたいけど、今は今。


犬や猫は家族ですからそこが第一優先。やりたいことがあっても優先順位はつけます。


つまり、まあ、今は遠出もできなきゃ夜のお出かけも夜の習い事もできない。


でも来年からはたくさんの昼間がある。夜にやらなくても昼間できる。


そして今。

世間じゃGWらしいが、私は飛び石連休で働いています。でも今はそれでいい。来年からは毎日連休なんだから。


でも少しは連休がある。フルタイムワーカーのときには考えられなかったほど休めてる。


遠出はできないけど、私もGWらしく過ごそう。


ジムへ行ったり読書をしたりエッセイ書いたり美容院へ行ったりしよう。そして、来年からやれそうなことをリストアップするのもいいかな。


来年は川柳サークルに入ろう。

やり直しピアノもいいかな。


ジムにももっと通える。


だけど

未来には何があるかわからない。


だから、今からできることはやる。


とりあえずはGWを楽しもう、私なりに。

何だか推し活のように土屋賢二さんの本ばかり読んでいる。木曜日になると「ツチヤの口車」が連載続いているか心配で、週刊文春を買ってしまう。


まさか病気になられているとは知らずに昨年からツチヤ本ばかり読んでいた。


私の心に余裕がなかったので、笑わせてくれる土屋先生の本に救いを求めていた。


これだけ読んだのだから、少しは土屋先生らしい生き方、書き方ができればいいんだけど、そう簡単に真似はできません。


あの人、天才だから。

81才ということだが、育ちからしてユニークである。あの時代に、あり得ない家だ。


お母様はお琴の演奏家、父上はそのお母様を支えて、商売をしながら家事、育児を全て引き受けていた。お母様に炊き立てのご飯を食べさせ、男は全員冷や飯。あの時代は薪でご飯を炊いていたから炊飯器どころか保温ジャーだってないのである。お母様の好みの弁当を作って持たせ、こどもの宿題まで引き受ける父上。土屋先生はそれが普通なのだと思っていて疑問を持たなかったそうだ。読んでいる限り、こどもたちが家事を手伝っている様子はない。でもやはり父上は昔の人だからこどもたちには厳しいところがあり、いつキレるかわからなかったとも書かれている。どうやら土屋先生は落ち着きがなかったようで、それで怒られたり弟のおやつを奪って逃げていたのでそれも怒られる一因だったのだろう。おやつまで用意されていたのかと妙なところに感心する。そして勉強しろと言われたこともないようで、できなければ奉公に出すし、できるのなら大学へ行ってもいいという考えの家。土屋先生はたくさん遊んでいたずらをして、たくさん眠っていたようだが、がり勉でも何でもなさそうだ。それが楽々東大に合格となると、よほど地頭がいいとしか思えない。


東大に合格するとさすがにご両親は喜び、岡山から東京へ出てきて親子で入学式に参加…のはずがお母様が帯を締めるのに手間取り、入学式に遅刻し、入れてもらえなかったそうだ。それで親子で東京見物をしてご両親は岡山に戻られた、といかにも大物らしいエピソードだ。しかし、土屋先生が哲学を専攻したので、父上はがっかりしたのだとか。東大と言えば官僚、というイメージから大きく外れた専攻だったのだろう。駒場寮のエピソードもすごく面白くて笑えるが、そこは本を読んでください。


勉強しろと言われたことがないそうだが、頭のいい子にはこの方がいいのだろう。つまり言われて勉強するのではなく、興味を持って自分から勉強するからだ。ただし、天才に限る。


私も勉強しろと親に言われたことはない。むしろ、たまに気が向いてドリルなどやっていると手伝いをもっとやれと怒られた。せっかく勉強してるのに、と言うと「手伝いはしたくないわ、勉強はしたいわってどこまでワガママなんだっ」と母に怒鳴られたことは忘れられない。その後そのドリルには一切手をつけなかった。また怒られるだけだから。因みにドリルを買ってきたのは父だったと思う。


小学校二年生のとき、先生が言った。

「本を一冊読むだけでも立派な勉強です」

私は嬉しくなってそれを母に伝えた。

「あんたの本を読むのは勉強じゃないっ!それはあんたにとって遊びなの!」


また怒鳴られた…から本を読まなくなったかというとそれはない。幸い、先生が家庭訪問で私の読書好きを褒めたのと、本を読ませていれば外遊びをしなくなるので怪我をしなくてよい、という母の判断で読書で怒られることはなくなったからだ。良かったのか悪かったのかわからない。私はもやしのように家の中で本ばかり読んで外に出て遊ぶことは少なかった。体力も運動能力も損なった。そしてなにより、読書をしたからといって頭が良くなることはなかったのだ。


こうなると地頭というしかないだろう。


土屋先生の地頭に憧れる。

同じく勉強しろと言われたことがなかったのに雲泥の差である。


私は子育てにおいては、小学校時代は勉強させた方だと思う。天才でもない限り、基礎学力を付けるのは親の責任と考えた。中学以降は本人に任せた。基礎学力さえあれば、途中でサボろうが躓こうが、取り返せると思っていた。


しかし、肝心のことができていなかった。

娘は基礎学力のお陰で、なんとか大学受験は持ちこたえたが(もちろん、東大の遺伝子などない)共感能力をうまく育てられなかった。


学力は確かに娘は私より上だが、共感能力は私よりも低い。これを育てるのには何をしたら良かったのか。


さて、哲学もどきの勉強をしながら考察しよう。土屋先生、教えてください。