何だか推し活のように土屋賢二さんの本ばかり読んでいる。木曜日になると「ツチヤの口車」が連載続いているか心配で、週刊文春を買ってしまう。
まさか病気になられているとは知らずに昨年からツチヤ本ばかり読んでいた。
私の心に余裕がなかったので、笑わせてくれる土屋先生の本に救いを求めていた。
これだけ読んだのだから、少しは土屋先生らしい生き方、書き方ができればいいんだけど、そう簡単に真似はできません。
あの人、天才だから。
81才ということだが、育ちからしてユニークである。あの時代に、あり得ない家だ。
お母様はお琴の演奏家、父上はそのお母様を支えて、商売をしながら家事、育児を全て引き受けていた。お母様に炊き立てのご飯を食べさせ、男は全員冷や飯。あの時代は薪でご飯を炊いていたから炊飯器どころか保温ジャーだってないのである。お母様の好みの弁当を作って持たせ、こどもの宿題まで引き受ける父上。土屋先生はそれが普通なのだと思っていて疑問を持たなかったそうだ。読んでいる限り、こどもたちが家事を手伝っている様子はない。でもやはり父上は昔の人だからこどもたちには厳しいところがあり、いつキレるかわからなかったとも書かれている。どうやら土屋先生は落ち着きがなかったようで、それで怒られたり弟のおやつを奪って逃げていたのでそれも怒られる一因だったのだろう。おやつまで用意されていたのかと妙なところに感心する。そして勉強しろと言われたこともないようで、できなければ奉公に出すし、できるのなら大学へ行ってもいいという考えの家。土屋先生はたくさん遊んでいたずらをして、たくさん眠っていたようだが、がり勉でも何でもなさそうだ。それが楽々東大に合格となると、よほど地頭がいいとしか思えない。
東大に合格するとさすがにご両親は喜び、岡山から東京へ出てきて親子で入学式に参加…のはずがお母様が帯を締めるのに手間取り、入学式に遅刻し、入れてもらえなかったそうだ。それで親子で東京見物をしてご両親は岡山に戻られた、といかにも大物らしいエピソードだ。しかし、土屋先生が哲学を専攻したので、父上はがっかりしたのだとか。東大と言えば官僚、というイメージから大きく外れた専攻だったのだろう。駒場寮のエピソードもすごく面白くて笑えるが、そこは本を読んでください。
勉強しろと言われたことがないそうだが、頭のいい子にはこの方がいいのだろう。つまり言われて勉強するのではなく、興味を持って自分から勉強するからだ。ただし、天才に限る。
私も勉強しろと親に言われたことはない。むしろ、たまに気が向いてドリルなどやっていると手伝いをもっとやれと怒られた。せっかく勉強してるのに、と言うと「手伝いはしたくないわ、勉強はしたいわってどこまでワガママなんだっ」と母に怒鳴られたことは忘れられない。その後そのドリルには一切手をつけなかった。また怒られるだけだから。因みにドリルを買ってきたのは父だったと思う。
小学校二年生のとき、先生が言った。
「本を一冊読むだけでも立派な勉強です」
私は嬉しくなってそれを母に伝えた。
「あんたの本を読むのは勉強じゃないっ!それはあんたにとって遊びなの!」
また怒鳴られた…から本を読まなくなったかというとそれはない。幸い、先生が家庭訪問で私の読書好きを褒めたのと、本を読ませていれば外遊びをしなくなるので怪我をしなくてよい、という母の判断で読書で怒られることはなくなったからだ。良かったのか悪かったのかわからない。私はもやしのように家の中で本ばかり読んで外に出て遊ぶことは少なかった。体力も運動能力も損なった。そしてなにより、読書をしたからといって頭が良くなることはなかったのだ。
こうなると地頭というしかないだろう。
土屋先生の地頭に憧れる。
同じく勉強しろと言われたことがなかったのに雲泥の差である。
私は子育てにおいては、小学校時代は勉強させた方だと思う。天才でもない限り、基礎学力を付けるのは親の責任と考えた。中学以降は本人に任せた。基礎学力さえあれば、途中でサボろうが躓こうが、取り返せると思っていた。
しかし、肝心のことができていなかった。
娘は基礎学力のお陰で、なんとか大学受験は持ちこたえたが(もちろん、東大の遺伝子などない)共感能力をうまく育てられなかった。
学力は確かに娘は私より上だが、共感能力は私よりも低い。これを育てるのには何をしたら良かったのか。
さて、哲学もどきの勉強をしながら考察しよう。土屋先生、教えてください。