お日様がついてる晴れ女

お日様がついてる晴れ女

取り柄がないのがコンプレックス。でもひとついいことに気付いた。私は晴れ女なのだ。今日も真っ黒に日焼けしながらがんばります!紫外線なんか怖くない!お日様が味方です。

ぐずぐずしていたら、あっという間に一ヶ月経った。エッセイサークルの宿題をやっていないではないか。毎回今度こそ推敲を何度もしようと決意するのに、あっという間に一ヶ月経つから、ギリギリスの繰り返しだ。やばい。今週、来週は忙しいのに。そんなこと言っている間にネタだけでも考えよう。お題は「かばん」。


以下、ネタ


中学校に入学した日を忘れられない。入学式のことは何も覚えていないが、初めて教室に入ったときのことがパッと脳裏に浮かぶ。


私は机の上に白のショルダーバッグをドサリと置いた。兄のお下がりだ。回りを見回すと、みんな黒の学生鞄だ。黒と白のコントラスト。そして私だけが白である。つまり、学生鞄を買ってもらっていないのは私一人なのだ。ショルダーバッグを置いたあと、一瞬固まった。


初日の初対面だから、私一人が古いショルダーバッグだからと言ってからかう生徒はいなかった。みんな緊張していたのだろう。

母は古いショルダーバッグを渡しながら、「学生鞄なんてどうせ使わなくなるんだから」と言った。そうなのだろう。でも初日だ。言葉にできない恥ずかしさがあったが、貧乏だけが理由ではないとわかっていた。母は牛革のバッグをよく私に見せびらかしていたから。こどもにお金をかけたくないのだ。自分がいかに大切にされていないか、それが言葉にならずともひしひしと、この節目の日に感じられた。


この体験が強烈だったので50代のとき、従姉妹に話した。従姉妹は「なんで、自分だけ学生鞄じゃないのは嫌だと言わなかったの?」と聞いてきた。そんな選択肢があったのか。驚いた。でもタイムマシンで過去に帰ってもやはり言えないだろう。母が怖かったから。


40代の終わり、娘が私立中学に入ったとき、保護者会で困った。ブランドバッグでない人は一人もいなかったのだ。これは学生鞄より困る。娘が恥をかかないだろうか。


私は父に打ち明けた。

「保護者会でブランドバッグじゃないのは私だけだったの」

「それなら買ってやろう。どうせ買うならいいのにしろよ」


そうは言っても、ブランドものなど買ったことがない。父に買ってもらうのも気が引ける。迷った末、比較的手頃なコーチのバッグに決めた。持つのはドキドキした。これで保護者会に安心して行けると思うと大人げなくワクワクするのだった。


娘が高校を卒業すると、もう保護者会はないのでバッグを気にすることがなくなった。またもやビニール製の安いバッグを持ち歩く日々となる。

それすら擦りきれているけれど、なに、お古のショルダーバッグを思えばなんてことはない。


娘は社会人になり、結婚して家を出た。時々ランチに行く。擦りきれたバッグはファスナーも壊れかけていた。

「ママ、バッグを買ってあげる。ブランドでいいからね」

デパートに連れて行かれた。父でも気が引けたのに、娘では申し訳なさ過ぎる。ノンブランドのバッグにしてもらった。それでもありがたい。


お古のショルダーバッグで始まった私の鞄生活。社会人になってから、買おうと思えば買えたはずだ。しかし、私は夏は海外旅行、冬はスキー、ふだんは習い事もしたかった。ブランドバッグを買うには何かを削らなくてはいけなかったが、体験重視だったのである。完全に流行からは浮いていた。そんなものはたった一人のショルダーバッグだった日から気にしては生きていけなかったのだ。


こどもを生んでからは自分にお金を使うくらいだったらこどもにかけたかった。自分は我慢したが、娘にあのような肩身の狭い思いをさせたくなかった。こどもにかけるお金を節約するなどという連鎖はしたくなかったのだ。


お洒落にお金をかけるということができないまま、一生を終わりそうだ。それでも体験重視の思いは変わらない。ジムや習い事にお金をかけようと思っているし、それが楽しい。ショルダーバッグが私を鍛えたのだろうか。


本日はサボらずにジムに行けました。水、木と仕事だったので寝逃げしたくなりましたが。


気合い入れてピックルボール、ホットヨガに参加してきました。


ピックルボールの課題 ディンクが難しい。激しい打ち合いになると体制が取れなくなるので強くきたら沈むこと…わかっていてもコントロールが難しい。


ホットヨガの課題 とにかく凝り固まっているので、続けることですな。今日は肩凝り対策のポーズが多かった。肩凝りの自覚がなかったのに、気付けば腕があまり上がらないではないか。ヨガはやっぱり継続しないと、どんどん体が固まる。先週、腰痛対策ポーズをたくさんやってもらって腰が楽になった。もう、どんどんメンテしなくちゃ。年々体が固まる、できていたことができなくなっていることを実感しますが、だからこそやらないと。


朝晩はチェリーとお散歩30分ずつ。ずっと雨だったのでなかなか30分コース行けなくて、チェリーには物足りない散歩になっていました。行けない日のことも考えて、行けるときは行こう。


で、バテています。

明日もジムへ行くつもりなので早く寝なくちゃ。

明日はフラと3年ぶりのエアロが待っています。フラは4ヶ月ぶり。

エアロ、どうしよう。やれるのかな。既に筋肉痛してるのに。


こんなに頑張っているのに体重、増えていました。ショックです。いや、シルバーウィーク、雨を言い訳に寝くさっていましたから、その報いか。


火曜日に友達と久しぶりのランチ。頼んだピザがめちゃでかかったのでびっくりしましたがもちろん、完食…太るよね…


話していて、童話作家の立原えりかさんが夏に亡くなっていたことを知り、衝撃でした。87才だったそうです。直前までお元気だったそうです。


立原えりかさん、詩とメルヘンで20代のときに知り、童話集をたくさん読んだっけ。あの頃の私、童話作家に憧れていて、勉強会でえりかさんをお見かけしたことがあります。


立原えりかさんの童話塾を通信で取り寄せたことも。しかし、昔から通信は続いたことがなく、この時も挫折。


立原えりかさんの文章はいつもキラキラしていて宝石のように感じていました。童話はパステルカラーのような淡くて優しい、若い女性の心をつかむものでした。そして、私も書こうとするのですが立原えりかさんが宝石なら私は欠けた石ころのようで、言葉に詰まるのでした。


立原えりかさんの童話で「ユキちゃん」という作品があります。ユキちゃんはお人形なのですが、ひな人形なのです。立原えりかさんの実体験ですが、戦争中、大事にしていたお雛様が焼けてしまったと。まず、若いときの私はここで、びっくりしたのです。えりかさんは私の母と同世代。お雛様、持っていたんだ、あの時代に。娘世代の私は誰しも女の子なら持っていたお雛様を買ってもらえませんでした。だから、まず羨ましいという思いが先に立ちました。


今になってわかるのですが、えりかさんはとびきりのお嬢様だったのですね。美しいものに囲まれてそだったからこその審美眼をお持ちでした。それはどんなに望んでも私には手に入らず、だからこそ憧れたのだと思います。


早速図書館で借りたりKindleを利用したりしながら再度立原えりかさんの作品を読んでいます。主にエッセイですけれど。やはり言葉が宝石のようにキラキラしています。


私には一生あんな風に書くことはできないなあ。でも憧れます。若いときの自分を微笑ましく思い出しました。あの頃は書けると信じていたのです。


泥臭い人生を生きてきましたが、泥の中にもファンタジーを。


そう願って書き続けよう。


立原えりかさん、ありがとうございました。

今日は28日。

母の誕生日だった。生きていれば91才になったんだな。


毎年母の誕生日プレゼントは悩みの種だった。何をあげても文句が多いから。


昨年は食べやすいゼリーを送ったっけ。いつものことだけどお礼もお知らせもないから電話してみた。ゼリーなんてしらないと言う。


でも届いているはず。


食べて忘れたのだろう。


その前もゼリーを贈ったら冷蔵庫に入れ、なぜゼリーがあるんだろうと思っていたらしい。


認知症は年々進んでいたんだな。本人が検査を拒むのでなかなか判定できなかったけれど。


今年から何を贈るのか悩まなくてすむことになった。


まさか、誕生日から3ヶ月後に亡くなるとは思わなかったけどね。


さて、本日の私、犬の散歩以外、外出しておりません。もう眠くて眠くて。


寝っ転がって算命学なんかを検索していた。


私は親との関係が良くなく、私の代から花開くってー。良かった~。占いもいいことばかり言われると嬉しいですね!