雨畑硯さんの‘甘いくちづけ’
花ろまんさんでは多くのブリーダーの品種を販売していますが、そのブリ-ダー同士交流があるかがあるかと言うとそうでもありません。
私が実際に交流がある方は落合けいこさんと平塚弘子さんのお2人だけです。
その方々以外のブリーダーにも興味があるのですが、その中で今一番興味があるのが雨畑硯さんです。
「あまはた けん」さんとお読みするんでしょうか?精確な読み方も分かりませんし、ご事情があるようでブリーディングネーム。本当に謎の人です。
その雨畑さんの作品‘甘いくちづけ’を間近に目にすることができました。
ラベルのとおり色合いに幅があります。
(話は変わりますが、この品種における色素(おそらくアントシアニン)はパープル~ローズの変異の幅を持っているということが分かりますね)
こんな感じで株ごとに変異。どれもいいですね。
多くのブリーダーは一つの形を追及していくものですが、この方は普通のブリーダーとはどうも違うみたい。一つの形を追及したものもあるのですが、そこがこの方の本質ではないように思えて仕方がありません。
これってなんだろうとずっと気になっていたんですが、以前園芸ガイドに寄せられた雨畑さんのコメントにヒントを見つけました。
「・・・よくよく見れば、毎年お目にかかる色と柄。そして、なんだかお行儀のよい子ばかり。パンジーの歴史をひもとくと、なんとなんと豊かな表現力をもった花色、草姿のユニークなものが存在していたことか。それを知った時、いてもたってもいられずやみくもに交配を始めてしまいました。・・・」
そう、お行儀が悪くていいんです。もっといろんな表情が見たいんです。体育館で正座して校長先生の訓話を聞いている女子高生じゃなくて、その訓話が終わった途端に横座りして嬉々としておしゃべりをしだすそんな風景、表情がみたいんだと思います。
私の作品の中にも幅のあるものはありますが、それはまとめようとしてまとめられなくて仕方なくというのが本音のところ。しかし、この方は違う。その幅(表情)がいいんだという思いがこの作品からは伝わってきます。
そこに目的(意志、想い)があるがないかで、当然ながら作品は違って来るのです。
ここが、ただ単に変わっているから種を採る生産者のとブリーダーの違いです。
そして、私は今は亡き緒方拳さん(たぶんそうだったと思う)の俳優論を思い出しました。
「俳優には3つのランクがあって、それは(演技が)「出来ない」、「出来る」、「(演技を)そうやらない(例えば、涙を流すなのどのストレートな表現ではなく悲しさを表現する)」だ。「出来ない」から「出来る」には経験や努力で達することができるが、「そうやらない」には「出来る」方でも達せないことが多い。「そうやらない」方は段階を経ずに一気にその域に行ってしまうのでおそらく天分の才なのであろう」というような内容。
おそらく、ブリーダーもそうなのでしょう。
私もあえてそうやらない境地に達したいと思っていますが、その道のりは遠そうです。
作品名は甘いくちづけ。と、言えばファーストキスでしょうか?これから起こる期待(ドキドキ)感とそしてちょっとの恐怖感。それがこの花色の幅でしょう。
そして、香り。この作品には強い香りがあります。あのころを思い出させるノスタルジーの香り。
手にとって香りをかいでみてください。そして花を見てください。ピュアだったころの甘く切ないときめきがきっとよみがえる事でしょう。
雨畑硯さん、あなたの作品をこう読みとらせていただきました。コメント頂けたら嬉しいです。
でも、この香りのことをどれくらいの販売店さんが分かっているんでしょうかね?