こんばんは。
いつも温かいコメントありがとうございます。
そろそろ下書きに入れっぱなしだったものを遡ってアップさせて頂こうと思っています。
その前に話がややこしくなるといけないので、私達の事を再度書かせて頂きますね。
最近のコメントで私達を夫婦だと認識してる方やカップルと認識されている方がいて、改めて書こうと思っていたのですが、僕の体調がどんどん悪化する方が優先だったので書けていませんでした。
サラッと一行位でご報告した記憶があるのですが、、(違っていたらすみません、、忘れました)
私達はブログ途中で入籍をしています。
ただごくごく内輪しか知らない入籍でして、当事者の私達でさえ夫婦という認識があまりなく最後まで過ごしてきました。
入籍した理由は、僕親から僕宅を守る為と僕の希望である私が僕を看取り一緒のお墓に入る為、手続き関係をスムーズにする為です。
こうして文字にすると、なんか凄い決意を持ってと思われるかも知れませんが、その頃はそうでもなかったんですよ苦笑
簡単にお話しますと、僕宅は僕が亡くなっても家の借金は残ります。(理由はいろいろあるのですが、長くなるので割愛)
その為、入籍していなければ、僕親が借金返済の為に確実に売りに出してしまうので、それをなんとか阻止したかった。
移植前に先生から万が一の話をされた後、僕から一緒の墓に入りたい、最期看取ってほしいと言われ、共に生きていくという覚悟を持ちたかった。
役所などの面倒な手続きを少しでも円滑にしたかったからです。
僕の病院が治って、落ち着いてからの入籍が一番良かったのですが、それは途中から無理だってなんとなくわかっていたので、うちの母、子、僕の幼馴染2名にだけ伝えてひっそり入籍しました。
なので病院の先生方も自宅療養になるまで知りませんでした。
僕親には事後報告で伝えました。
特に文句を言われる事はありませんでした。
むしろ自宅療養を決めた直後の報告だったので、自宅療養になっても面倒をみたくない!うちには帰ってこないで!!と言っていたので、正式に僕宅で面倒をみる人間が出来てラッキーって感じでした。
僕自身に貯蓄があるわけでもなく、亡くなったとしても多額の遺産が入る予定もなかったからか、あっさりしてましたね。
僕母が暴走する事だけが心配だったので良かったです。
何度も書いていますが、僕母は今まで出会った事がないモンスターです。
お邪魔する度、暴言を吐かれ、言い返すと縁切ってやる!と大声を出し、余命宣告を受けている息子の心を壊します。
温厚の僕が、あんなやつを生かしていてはいけない、俺はもうすぐ死ぬから一緒に連れていくと言った位、救いようがありません。
私は僕と両親の関係をずっと不憫に思っていました。
闘病、親、今迄のいろんな事‥同情していた部分もありました。
少しでも僕が笑顔でいれたら良いな、一緒に楽しい時間を過ごせたらいいなと烏滸がましいですが思ってきました。
もちろん、不安は大きかったですが、根底には僕への気持ちがあったからです。
また自己満とか言われてしまうのかも知れませんが、もうね‥私の性格でしょうね。
どうしても見捨てる事が出来なかった。
いろんな方に別れたら?と言われました。
役所のおばちゃんとかにもうちの娘なら絶対させないわよ!と言われたりね苦笑
僕母にもこんなやつ(僕の事)、いつでも捨ててくれていいですからと何度も言われましたし。
いろいろ考えた時期もありましたが、何度考えても僕に落ち度が見当たらなかったんです。
好きで病気になったわけじゃない、病気でも弱音を言わず頑張っている姿見てたら、ついて行くしかなかった。
だからこそ、僕宅の悪口を言う僕両親が許せなかったし、出来るだけ守ってあげたいと思い、入籍しました。
誰からも祝福されず、指輪も写真もなく、私達は夫婦になりました。
でもね、後悔はしてないですよ。
私は僕にたくさん救われてきました。
それに僕が大好きなんです。
だからこれからもずっと一緒にいたいです。
ただ、前々から書いてますが、虫や草木が苦手(アレルギー持ち)、車の免許無し、土地勘も知り合いもいない僕宅で暮らしていけるのかだけが最大の問題。
住めば都なんて嘘ですね笑笑
僕がいて都だったこの土地での生活、不安でしかありませんが、もう帰る場所もないので、無理せずにやっていきます。
明日から少しずつ僕の最期の時の事、僕親の手のひら返し、めちゃくちゃになった葬儀の事、私がやり始めた残務処理の事、下書きに入れてあるものを再確認して載せていこうと思います。
もう少しお付き合い頂けたら嬉しいです。
引き続き、よろしくお願いします。