一日に2回もブログを書くことは初めてですが、今回の問題は通り一遍当では、この危機感を打開する事は困難と判断して、自分成りに皆さんに訴えたく、勇気を振り絞って書きました、その為に、厳しい表現をするかも知れませんがお許し下さい。
先ず、自殺は単に個人的行為だけでは無い、死に至る迄の経過には必ず第三者の人為的影響が大きいと云っても過言ではない。即ち、虐めに加担した者、全てが犯罪者で有り,殺人者で有ることを理解し、忘れないで欲しい、何故なら虐めに遭わなければ、死ぬ必要性が無い、いや死を意識する事すら無いからだ。
仮に、学生時代に虐めに遭遇しても自殺をせずに実社会に出たとしても、ある時を機会に、遣る事なす事が上手く行かず躓いたり、社会から弾き飛ばされたと感じた時に、その人はどう思うだろうか、きっと『どうして私だけがこんな目に会うのだ
、なんで私だけ嫌な事が次々と覆いかぶさってくるのだ
』半ば自棄になってしまい、自殺をしたり、自分が貧乏くじばかりを引いている不幸平な人生に、ピリオドを打つ前に、自分の人生に帳尻合わせをしようとした行動が、ここ何年か新聞紙上を震撼させている無差別殺人《秋葉原の無差別殺人、茨城の無差別殺人のどれもが殺人対象者は誰でもよかった≫に繋がっていると思うのです。その殺人は弱者の本人が取るべき発想は、凶器を持てば、自分の立場が逆転jし、周囲の大半が弱者になる。そして、自分が満足する結果を挙げる為に、殺人のターゲットにするのだ。所謂、弱者から弱者への攻撃と云う連鎖に繋がる、悲惨で醜い事件の真相が其処に隠されているように思うのです。
だから、周りが遣っているからとの、軽い気持ちやノリだけで、人を虐めないで下さい。もしかしたら虐めに遭った人の攻撃の矛先があなたに向けられる可能性が充分に考えられるからです。 もうそうした、社会の歪みで尊い命が失われる事件は起きて欲しくは有りません。