広島史記傅説 己斐の巻
勝手に連載してますが、今回は其の六です。
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◇中国民衆の嘆願
昭和20年8月。日本軍は無条件に降伏した。蒋介石は、日本軍に対して”恨みに報ゆるに、徳をもってせよ”と、全中国に布告した。
この蒋介石の温情により、在中国日本軍は勿論のこと、在留日本人も続々と無事帰国することができるに至った。
しかし、第一、蒋政権にとって裏切り者であり、漢奸である汪精衛を庇護し、ハノイ脱出から東京会談など、和平工作に暗躍した岩田幸雄氏は、蒋政権のみならず、それをめぐる藍衣社テロ団にとって、恨み骨髄に達する宿敵で、当然に第一戦犯として逮捕、処刑すべき人物とみられた。
事実、氏は崙山島で逮捕された。
だが、蒋介石は無罪を言い渡した。中国民衆の嘆願を押し切ってまで、有罪、死刑を言い渡すことができなかったのである。
そしてまもなく天下晴れて、アメリカの駆逐艦で護送され、己斐町軍人谷の自邸に帰り、波乱万丈の中国生活のあれこれを想い浮かべながら、好きな庭木いじりに時を過ごすことになったわけである。
拘留中にも、氏の心は微動だにしなかった。何故なれば、中国民衆に対して行った温愛の情は、一軍閥の思想や、一イデオロギーによるものではなく、太古インドから中国へ--中国から日本に伝わった大慈大悲の観世音精神--すなわち、世界苦の根元をぬき去り、真の安楽と自由を与えん、とする観音精神によったものだからである。
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次回(其の七)は、己斐の巻の最終回です。