またまた映画の紹介です。(これもたまたま観たので最初の方は見てないんですが・・・)
「マイ・ライフ」
ストーリーは、ガンを宣告された余命少ない男(マイケルキートン)が、生まれてくる子供にビデオレターでメッセージを残すお話。
生まれてくる子供にメッセージを残す部分がストーリーの「核」ではあるけど、観る限りではその周辺の事の方が内容大きいと思われました。
アダルトチルドレンチックな主役(マイケルキートン)は、20才の頃家を出て自らの名前を変えてしまうほど実家との関係を拒みガンを宣告されたことも自分からは言えない・・・対 子供、妻、親、兄弟・・・色んな確執が時間と共に解れていきます。
涙なくしては観られない映画なのです。
が、しかーし、相変わらず僕は泣きません。
確かに感動のお話です。
でも、僕にとっては親と和解する前のマイケルキートンの気持ちがよく分かります(多分)。
マイケルキートンは自分が親に愛されていないと思って育ってきました。・・・僕もそう思っています。
最後には親と和解しますが、僕もその立場になったら同じようになるのだろうか?
子供ができたら同じように親の立場として考えるものだろうか?・・・と考えてしまいます。
マイケルキートンの親は飛行機が嫌いと言う理由で息子の住んでいる家に行ったこともありません。
マイケル曰く、「それで愛していると言えるのか」と。
人が人を心配するときは、正確には所詮は他人(自分以外の人)な訳ですから、そこまで心配をするとは思えません。
今までに身の回りを見ても、その立場になろうとリアルに想像する人や問題点を調べる人なんてほとんどいないと思うのです。
例えば、病気になったら(もちろん)医者に任せますが、その病気のことや飲んでいる薬の事を調べる?→いや調べません。
僕は海外に2年ほど居ましたが、その国の事情や渡航情報まで調べた人はいませんし、危ないから辞めとけとは言われても、何がどう危ないかを教えてくれる人もいませんでした。つまり自分のイメージだけでモノを言っているのです。(もちろん、気持ちはありがたいですが。)
それが現実です。
僕は捻くれているかもしれませんが、「所詮、人とはそんなもの」と思う面と、逆の面も持っています。(ある意味当たり前でもありますが)
性善説、性悪説の言葉を出すこと自体が、細かい?しつこい?性格なのでしょうが、性善であって欲しい期待と性悪(親の事ではない)を目の当たりにしてきたギャップからか、”騙されやすいが猜疑心の強い男”になってしまった気がします。・・・まぁ考え過ぎとか気にし過ぎだとは思いますし、普段からそこまで考えている訳じゃないっすけど。
・・・映画の話に戻して、マイケルキートンは自分の生まれてきた子供を見ることができますが、次第に体は弱ってしまいます。
マイケルキートンは生まれたばかりの子供に男と男の話だと言って、自分の親とのことなどを話します。
死ぬ間際は人は優しくなるものなのでしょうか。
セリフにも出てきますが、人は「死を意識すると生の意味を知る」ようです。