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今日で6年。
今年は去年よりも気持ちが揺れる。
私がもし、あの時感じていた異状をもっと深刻なものかもしれないと受け止めていれば。
なんて思ってしまいます。
「もしもあの時こうしていたら」
これを考えようとするとやはり「もしも」はないんだと思ってしまう。
もしもあの時私が異状に気がつきぱんぽこが助かっていたら。
今の生活、今の家族はなかった。
「もしも」の世界の中でぱんぽこがいると考えると、「今」はないわけで、大切な「今」をなかったことにして考える「もしも」に意味があると思えずここでやめてしまう。
ややこしいですね。
つまり「もしも」を考えると「今」がなくなってしまうので、もしもを考えたくても考えられないジレンマに襲われるということです。
6年前のあの日、深い悲しみとどん底を味わったから今がある。
そして「今」は私にとってかけがえのないもの。
だからといって6年前の今日がこうなって良かったということでは決してなく、ぱんぽこに対しては思いはずっと変わらないし大切な存在であり続けるということ。