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子宮内胎児死亡を宣告された2015年4月11日(土)。

この日はまだ夫は冷静だったと思います。



即日入院をすすめられたのを断ったのは夫です。

理由は、「入院すると不思議な事に人は弱るから」です。

これは介護経験があるからこその言葉なのかもしれません。

そうなんです、11日、12日は土日でした。

だから11日に入院したとしても、処置をするのは13日(月)になるので、11、12日は病院で寝るだけになるのです。

何もしないのにあんな精神状態で病院で二日間も寝ていたら、弱るどころの騒ぎではなかったかもしれません。

夫のこの判断は正しかったと実感します。




12日はカトリックの教会に行ったり、家族三人の最後の旅行をしたりしました。


12日の夜、シャワーをあびているとふと「生きているのでは?」という思いが頭をよぎりました。

シャワーを浴びるとぱんぽこはいつも静かになりました。

だからこの時も静かにしているだけでは?と思ったんです。

産んだら息を吹き返すのでは?と思いました。


シャワーを浴びた後、夫にこの話しをしました。

「ぱんぽこは死んでないと思う。」と。

ぱんぽこの棺に入れるために買ったレッサーパンダのぬいぐるみのしっぽについた鈴をお腹の前で鳴らして、「早く目を覚ましなさい」と何度も話しかけました。

ふと夫の顔を見ると、とても寂しそうな顔をしていました。



夫に再び「ぱんぽこは生きているかも」と話しましたが、この12日の夜は夫は涙を流して否定しました。

夫の涙を見たのは初めてです。

涙を流して否定する夫の姿がとても心に残っています。



私はかなりおかしくなっていたと思いますが、おかしくなった私を見て夫も少しおかしくなったのかもしれません。

パニックが続いていたと思いますし、精神的にギリギリな状態でした。



翌日13日(月)の朝辺りから「ちょっと夫がおかしくなった」と、当時のメモに書いてあります。

夫も「生きているかもしれない」という私の説を信じ始めたんだと思います。

そんな夫を見て、私が初めてほんの少しだけ冷静になったのかもしれません。




今考えると、私と同じ当事者であるはずの夫は、対外的な面で私よりもかなり大変な思いをしたはずです。


・私を支えないといけない

・病院から事務的な話しを聞かないといけない

・後悔の残らない選択と判断をくださないといけない

・親戚への相談(ここで相当きついことを言われる)




思いつくだけでもこれだけありました。

親戚からは、相当きつい言葉で長時間に渡り責められています。

電話でしたが、聞き漏れてくる音から判断すると、「今の夫に言わないで!」という言葉ばかりだったと思います。

それにプラスして、夫は自分の悲しみとも向き合わないといけません。

普段からポーカーフェイスで飄々としているように見える夫ですが、相当きつかったはずです。




これも含めてこの1年、私は大きく夫に支えてもらっています。

これを簡単に裏切るようなことは出来ません。

夫が何かあったら全力で応援したいし、自分のこと以上に手助けしたいと思って行動しています。

そう思うのはやはり娘のおかげなのかもしれません。

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このブログは、可愛いぱんぽこの思い出と、自分の心の整理と、情報が少ない死産後のことが少しでもお役に立てばと思って更新しています。

私はまだ精神状態が不安定で、人に気が使える状態ではありません。

このブログは、死産・流産・不妊などで悩んでいる方が多く読んでくださっているかと思います。

不快な表現があったら大変申し訳ありません。

読んでくださっている全ての皆様に、穏やかな明日がくることを願っています。