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妊娠から死産までのざっとした経緯はこちら
ラミナリアの痛みを最大限排除した方法はこちら
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私が入院したB病院の看護師さんや助産師さんの対応は、思いやりと気遣いに溢れているものだったと思います。
私は妊娠中の経緯から、大きな病院に不信感がありました。
最初に通っていたA総合病院で、妊婦でありしかも産婦人科系の異常を訴えても毎回診てもらえず内科に回されたこと(結局内科領域ではないから産婦人科を……と言われ、後日産婦人科を受診すると子宮筋腫が原因の切迫早産)、救急車で運ばれても産婦人科で診てはもらえず内科医も困っていたこと、産婦人科の事務の人に質問しても冷たくされたこと、何度も事務的なミスをされたこと(私が早期に気が付かなかったらとても面倒なことになっていた)、などがあったからです。
子宮内胎児死亡を受けて、これまで妊婦健診をしていた病院を変え、急遽B病院で再度の診察・入院・出産することになりました。
なので、B病院の雰囲気というのが全くわからないままの入院でした。
B病院には、いくつか入院病棟がありました。
私が入院した病棟はX病棟の最上階。
夫が下で事務手続きを済ませている間に、私は一人でX病棟の最上階に行きました。
ナースステーションで、
「この病棟に行くよう言われた◯◯ですけど……。」
と、言葉少なに看護師に声をかけました。
大きな病院だしどうせわからないだろうな、と思っていたら、伝えたのは名字だけなのに資料も見ずすぐに、「お話しは伺っております、担当看護師を呼んできますのでお待ちください。」と。
驚きました。
名字を言っただけで通じることに。
大きい病院なので、もっと詳しい経緯を説明しないといけないと思っていましたから。
こんな風に最初から最後まで、情報の伝達が完璧でした。
1日2回、入院病棟の担当が変わる看護師さん。
しかも3回のラミナリア処置や分娩時には病棟が変わり、新しく会う看護師さん・助産師さん(これもまた会うたびに担当が変わる)。
めまぐるしく担当が変わるというのに、申し伝えは完璧でした。
心配症で同じ要望を担当が変わるたびに伝えましたが、毎回しっかりと伝わっていました。
入院期間中で沢山の要望をしたと思います。
「出産後の赤ちゃんは、普通の赤ちゃんと一緒に扱ってほしい」
「出産後に手型足型がほしい」
「出産後に3人で写真を撮りたい」
「耳と鼻の調子が悪い、アレルギーだと思う、内科を受診したい」
「夜に見回りに来られると眠れない」
「痛いのが苦手」
「夫は荷物を取りに行っていて◯時に戻ってくる」
「氷を何時に変えたい」
・
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・
全部は覚えていませんが、毎日色々と伝えたと思います。
それこそとても細かいことも伝えたと思います。
その全てが完璧に情報共有されていたと思います。
これって当たり前のようですごいことだと思うんですね。
一人ひとりのプロ意識が高くないと、どこかで必ず漏れが出ることだから。
あんなに沢山の看護師さん・助産師さんに関わったのに、みんな意識が高かったんだと思います。
そういう意味で、少しも嫌な思いをすることはありませんでした。
看護師さんや助産師さんの言葉がけや寄り添いでも救われました。
夜、夫がちょっと留守にした間に悲しくなった時、看護師さんが寄り添ってくれて「悲しかったら泣いていいんですよ。」と抱きしめてくれました。
それも一人だけではありません。
深夜の見回りの時に不眠を訴えたら、「私は看護師だから薬は出せないけど」と、アロマを持ってきてくれました。
ぱんぽこが生まれた時は、出産の時にいた看護師さんや助産師さんが
「お鼻が高くてお父さん似ですね。」
「手足もとても長いですね。」
「(卵膜ごと出てきて子宮内に忘れ物がなかったため)お母さん思いの子ですね。」
など、沢山ぱんぽこのことを褒めてくれました。
私が嬉しそうに
「モデルさんみたいだ」「とっても可愛い」「良い子だ」と言えば、一緒にぱんぽこの顔を見ながら盛り上がってくれました。
分娩時の様子を知らない入院病棟の担当看護師さんに、
「卵膜に包まれて生まれた来たんです。」と言ったら
「卵膜に包まれて生まれた子は、幸帽児といってとても幸せな赤ちゃんなんですよ。とても珍しいんです。」
と教えてくれ、出産時の話しも聞いてくれて一緒に喜んでくれました。
産後にぱんぽこを連れてきてくれる時も、おくるみと可愛い折り紙を沢山そえてくれました。
手形足形もとってくれ、ハート型に切った色画用紙に貼り付けてくれました。
ぱんぽこのベッドの下に敷いていた氷を寝る前の22~23時に替えるときも、毎回手伝ってくれました。
泣きながら何かを言った時は、黙って聞いてくれていたと思います。
焦らせることもせず、ゆっくり話しを聞いてくれました。
目線も同じ目線にして話してくれる看護師さんもいました。
亡くなった子を死産する現場は、長く苦しい陣痛の痛みに耐えながら産声のない赤ちゃんを出産するという生き地獄だと聞きました。
本来なら喜びに溢れた分娩室は、とても静かでお母さんの泣き声だけが響くとも聞きました。
出産するまでは私もそうだと思っていました。
「これから私は生き地獄を見る」と、夫か誰かにこぼしたと思います。
でも実際出産してみたら、私の場合は感動と喜びに包まれました。
夫もそうでした。
夫が言うには、死産にも関わらず感動と喜びが大きかったのは、出産時の看護師さんや助産師さんたち病院の雰囲気が良かったからだ、と。
医療関係者の心のサポートというのはとても大きかったと実感しています。
でも同じ体験をされた方のブログを見ていると、どうやらそうではない病院の方が多いみたいです。
死産は普通の出産とは違います。
亡くなった子を出産するんです。
人工的に陣痛をおこし、お腹を痛めて出産するんです。
普通分娩と同じなんです。
時間もかかるし、体も心もとても痛いんです。
1ヶ月やそこらでは体は多少回復しても、心は全く回復しません。
どうか患者の心に寄り添う看護が増えますように。
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私は妊娠中の経緯から、大きな病院に不信感がありました。
最初に通っていたA総合病院で、妊婦でありしかも産婦人科系の異常を訴えても毎回診てもらえず内科に回されたこと(結局内科領域ではないから産婦人科を……と言われ、後日産婦人科を受診すると子宮筋腫が原因の切迫早産)、救急車で運ばれても産婦人科で診てはもらえず内科医も困っていたこと、産婦人科の事務の人に質問しても冷たくされたこと、何度も事務的なミスをされたこと(私が早期に気が付かなかったらとても面倒なことになっていた)、などがあったからです。
子宮内胎児死亡を受けて、これまで妊婦健診をしていた病院を変え、急遽B病院で再度の診察・入院・出産することになりました。
なので、B病院の雰囲気というのが全くわからないままの入院でした。
B病院には、いくつか入院病棟がありました。
私が入院した病棟はX病棟の最上階。
夫が下で事務手続きを済ませている間に、私は一人でX病棟の最上階に行きました。
ナースステーションで、
「この病棟に行くよう言われた◯◯ですけど……。」
と、言葉少なに看護師に声をかけました。
大きな病院だしどうせわからないだろうな、と思っていたら、伝えたのは名字だけなのに資料も見ずすぐに、「お話しは伺っております、担当看護師を呼んできますのでお待ちください。」と。
驚きました。
名字を言っただけで通じることに。
大きい病院なので、もっと詳しい経緯を説明しないといけないと思っていましたから。
こんな風に最初から最後まで、情報の伝達が完璧でした。
1日2回、入院病棟の担当が変わる看護師さん。
しかも3回のラミナリア処置や分娩時には病棟が変わり、新しく会う看護師さん・助産師さん(これもまた会うたびに担当が変わる)。
めまぐるしく担当が変わるというのに、申し伝えは完璧でした。
心配症で同じ要望を担当が変わるたびに伝えましたが、毎回しっかりと伝わっていました。
入院期間中で沢山の要望をしたと思います。
「出産後の赤ちゃんは、普通の赤ちゃんと一緒に扱ってほしい」
「出産後に手型足型がほしい」
「出産後に3人で写真を撮りたい」
「耳と鼻の調子が悪い、アレルギーだと思う、内科を受診したい」
「夜に見回りに来られると眠れない」
「痛いのが苦手」
「夫は荷物を取りに行っていて◯時に戻ってくる」
「氷を何時に変えたい」
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全部は覚えていませんが、毎日色々と伝えたと思います。
それこそとても細かいことも伝えたと思います。
その全てが完璧に情報共有されていたと思います。
これって当たり前のようですごいことだと思うんですね。
一人ひとりのプロ意識が高くないと、どこかで必ず漏れが出ることだから。
あんなに沢山の看護師さん・助産師さんに関わったのに、みんな意識が高かったんだと思います。
そういう意味で、少しも嫌な思いをすることはありませんでした。
看護師さんや助産師さんの言葉がけや寄り添いでも救われました。
夜、夫がちょっと留守にした間に悲しくなった時、看護師さんが寄り添ってくれて「悲しかったら泣いていいんですよ。」と抱きしめてくれました。
それも一人だけではありません。
深夜の見回りの時に不眠を訴えたら、「私は看護師だから薬は出せないけど」と、アロマを持ってきてくれました。
ぱんぽこが生まれた時は、出産の時にいた看護師さんや助産師さんが
「お鼻が高くてお父さん似ですね。」
「手足もとても長いですね。」
「(卵膜ごと出てきて子宮内に忘れ物がなかったため)お母さん思いの子ですね。」
など、沢山ぱんぽこのことを褒めてくれました。
私が嬉しそうに
「モデルさんみたいだ」「とっても可愛い」「良い子だ」と言えば、一緒にぱんぽこの顔を見ながら盛り上がってくれました。
分娩時の様子を知らない入院病棟の担当看護師さんに、
「卵膜に包まれて生まれた来たんです。」と言ったら
「卵膜に包まれて生まれた子は、幸帽児といってとても幸せな赤ちゃんなんですよ。とても珍しいんです。」
と教えてくれ、出産時の話しも聞いてくれて一緒に喜んでくれました。
産後にぱんぽこを連れてきてくれる時も、おくるみと可愛い折り紙を沢山そえてくれました。
手形足形もとってくれ、ハート型に切った色画用紙に貼り付けてくれました。
ぱんぽこのベッドの下に敷いていた氷を寝る前の22~23時に替えるときも、毎回手伝ってくれました。
泣きながら何かを言った時は、黙って聞いてくれていたと思います。
焦らせることもせず、ゆっくり話しを聞いてくれました。
目線も同じ目線にして話してくれる看護師さんもいました。
亡くなった子を死産する現場は、長く苦しい陣痛の痛みに耐えながら産声のない赤ちゃんを出産するという生き地獄だと聞きました。
本来なら喜びに溢れた分娩室は、とても静かでお母さんの泣き声だけが響くとも聞きました。
出産するまでは私もそうだと思っていました。
「これから私は生き地獄を見る」と、夫か誰かにこぼしたと思います。
でも実際出産してみたら、私の場合は感動と喜びに包まれました。
夫もそうでした。
夫が言うには、死産にも関わらず感動と喜びが大きかったのは、出産時の看護師さんや助産師さんたち病院の雰囲気が良かったからだ、と。
医療関係者の心のサポートというのはとても大きかったと実感しています。
でも同じ体験をされた方のブログを見ていると、どうやらそうではない病院の方が多いみたいです。
死産は普通の出産とは違います。
亡くなった子を出産するんです。
人工的に陣痛をおこし、お腹を痛めて出産するんです。
普通分娩と同じなんです。
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