
30年近く毎年夏に繰り広げられる男子トーナメントKBCオーガスタの舞台。博多から45分ほどのシーサイドの美しき景勝地に栄光のチャンピオンコースは位置します。
赤星四郎の代表作の名門・箱根カントリーは何度も訪れている大好きなコースですが、
それに匹敵するような名コース・芥屋ゴルフ倶楽部がある。
コースを包むように玄海の荒波に浸蝕された国の天然記念物・芥屋の大門
海岸沿いに弊の松原、二見ヶ浦などが点在しています。

ゴルフする前にちょっと寄り道すると遠くまで来た甲斐があったことを確信すると同時に、
こんな美しき風景に心が洗われるようです。
第一級のホスピタリティーを用意したリゾートコースへの期待は高まります。
コース内はとても行き届いた男子キャディさんの運転で5人乗りカートがフェアウェイ乗り入れしていて驚きました。

言われなければ気付かないような高麗のワングリーンだけど、
さすがの素晴らしいコンディション。
バンカーの砂は細かいパウダー状だった下関GCと違い、もう少し褐色ががった素晴らしい土で、気持ちよくエクスプロージョンで打てます。タイプは違うものの、両方とも秀逸なるバンカーでした。
はためくピンフラッグが垂れる事のない、春風が強い一日
アイアン番手選びに悩まされました。
花冷えで前半は気温も低く、ウィンドブレーカーが手放せない前半でした。

リゾートマンションや別荘が海に向かって林立していて。都市型リゾートらしく、オフにはホークスの選手達がオフにコース来場するみたいです。
この日はMIZUNOプロ新ドライバーでの初ラウンドでして、風を怖がらずとても感触良く振り抜けました。
スランプだった
アイアンやアプローチにも良いイメージが波及してIN42
これぞ納得の美味しさでした!
そして、一流レストランを思わせる物腰の柔らかい男性スタッフの上品な接客や、景色やコースについて説明のサービスは芥屋GCならでを感じさせる素敵なひとときでした。
プレー以外でも魅力的なサービスが数多く感じられて近くだったら、何度でも来たいコースとなるでしょう。

トーナメントと同じようにアウトとインが逆になるインスタートだったので、
最終9番がトーナメントでも上がりホールとなります。
上がり4ホール1オーバーで切り抜けて、後半OUT43

36回も毎年夏この芥屋ゴルフ倶楽部にて開催されているKBCオーガスタ
今はライザップが冠スポンサーなのも時代の流れでしょうか。
男子ツアーで高麗グリーンは今はここだけ?
歴代優勝者を回顧すると日本プロゴルフツアーの歴史を感じます。

パノラマサイズの名画を観るようなレストランからの眺め。
こんな眺めはなかなかお目にかかる事ないですから、名残惜しさありました
しばし時を忘れて、目の前の雄大な風景を魅入ってしまいますね。
日本ゴルフ界黎明期の代表的な人物、赤星四郎は毒舌家としても知られいろんな名言を残しています。
ゴルフだけでなく人生訓として、自己中心的な考えが蔓延している平成時代だからこそ、とくに大切にしておきたい言葉を遺されています。
「ゴルフの先輩として、私はよかれと思うことをズケズケ言うよ。
ゴルフに限らず、人生のすべては先輩から教えられるのが順序というもの。
もし人の忠告がうるさく感じられるならば、きみは救いがたいほど傲慢な人間。
自分では予想もつかんほど人に嫌われているはずだ」
「ゴルフの先輩として、私はよかれと思うことをズケズケ言うよ。
ゴルフに限らず、人生のすべては先輩から教えられるのが順序というもの。
もし人の忠告がうるさく感じられるならば、きみは救いがたいほど傲慢な人間。
自分では予想もつかんほど人に嫌われているはずだ」
明治、大正、昭和初期生まれにはこういう人たくさんいましたよね。
令和という時代はどういう風になっていくのやら。。。
これで
赤星四郎設計コース20のうち10コースを回りましたが、
雄大で好きなコース多くて、まだいくつか訪れたいコースがあります。

帰り道は少し遠回りしてシーサイドドライブ。
夫婦岩に続く海岸沿いの道はリゾート色が強くハワイのノースショアを感じさせるような、カフェやレストランやサーフショップなどが点在していて、ロンドンバスを利用したカフェもありました。
道すがら立ち寄る事しばしば、楽しいドライブコースでした。

福岡市内の大濠公園内、かつて西鉄ライオンズが本拠地としていた平和台球場跡は広大な広場になっていて、地元民の憩いの場でしょう。
桜まつりがで園内は賑わいをみせていました。

中洲界隈を散策しましたが、赤星家の財産を食いつぶした?とも言われる豪快な粋人だった赤星四郎。
彼がゴルフの後に欠かさず通ったというような料亭がいくつか残っていて、塀の高さはプライドの高さ
黒塀が昭和の名残でなんとも風情あります。
夕方になると大通りの歩道上に名物の屋台の設営が始まり、少しずつ夜の歓楽街の風景へと場面が転換されていき、博多弁が街中に飛び交うのでしょうね




