母の死と叔父さんのお葬式 | Dadacco Dacco

Dadacco Dacco

長男→9歳。HSS型HSC、ADHD.ディスレクシア.DCD.支援級3年生。
過度激動(OE)がすごくて育てにくい。成長ホルモン分泌不全性低身長症。
次男5歳→ハイパーレクシアのアスペっ子。私は内向型HSPのAC。


叔父さんはちゃんとしたお葬式だった。

お坊さんがツーブロックなのが
すごく気になった。
刈り上げとトップの髪の長さの
差の具合など。

でもお坊さんの
なまんだぶつ〜って声
かっこいいなーと思った。

2日で3回読経聞いて
毎回眠たくなった。

次男は喪服でおんぶして

長男は別室でテレビ見せて待たせといた。


小さい頃は毎年お盆休みに
母の実家に集まって
おじいちゃんとおばあちゃんの
法要をしていた。

中学生頃から
母がお金掛かるからと
行かなくなってしまったにも関わらず
叔父さんは毎年お年玉を
私達に現金書留で送ってくれていた。

親戚が少ないので
お年玉は母と叔父さんからしか
もらえなかった私達は
すごく嬉しかった。


他にもたくさん
叔父さんにはお世話になった…。





長男とのやりとり。

母が亡くなる前
「ばぁば死んじゃうかも」
と伝えても

癇癪は収まらない。

病院で静かにしてくれないし
落ち着いてくれなかった。

長男に刺激を与え過ぎては
いけないのはわかってるけど、
他にみてくれる人間がいないんだもの…



結局3日間
朝だったり夜だったり病院連れてったり

旦那の車使う日もあれば
バスと電車で1時間かけて
通ったりもした。


深夜に病院呼び出されたとき
長男が吐いたり、
そのまま熱出したり、

私が次男抱えて深夜にタクシーに
(送迎料金無しで5,110円〜¥)
乗ってそのまま夜まで帰らなかった日は
長男はずっとしくしく泣いていたらしい。
(旦那がたまたま休みだった!)


時々涙が溢れてきて
「なんで泣いてるの?」と
聞かれたら
「ばぁばはお母さんのお母さんだからだよ」
という自分の言葉で
また涙が溢れてきたり。


亡くなったあとは
「ばぁばが死んじゃった」と
何回か伝えて

「死んだらどうなるの?」
と聞かれたので

死んだ身体は腐ってしまうから
燃やしてしまって
ホネホネ人間になるんだよ

と言ったら
涙を浮かべて

「ホネホネ人間は怖いから見たくない」
と何度か拒否したので
長男は2回ともお骨上げをしなかった。
(始めは
「目を瞑ってるばぁばも見たくない」と泣いていた)


でもそのあと思い出すように
You Tubeで見た
「ガイコーツコツコーツガイコーツゾンビ♪」
と歌っていた(笑)



長男、明日で5歳になるけど

私の父
主人の父(何十年も離別していたが最期は義母に世話をしてもらっていた)
私の母
私の叔父

と4回葬式出てるって
どんだけー(笑)


親族は少ないけど
葬式のときは
イトコがいてくれたり
姉の旦那がいてくれて

パワー有り余る長男と
遊んでくれたり、

次男の抱っこに疲れた時
代わってもらえたりして
なんとか乗り切れた。




母がうちの家に来るはずだった
1月4日の日。

1月2日と1月3日に電話で会話したとき
「Dr.STONEの最終回録ってる?」
と言われて
Amazonプライムにあるから
うちで見れるよって話してた。


あとは、
ずっと連絡つかなかったから、
長男が発達障害の診断されたことも

「ホンマに色々あって、
お母さんに長男のことも話したくてさぁ〜
会えるの楽しみにしてるから」

と会話した。

結局足が痛くて行けないと
連絡があったから
「私が行くから」と言ったら
家は駅から20分は掛かるのに
「駅でいい」と言われ、

駅で待ち合わせして
さぁ2人連れて家出よう!
とした矢先
弟から1時間前に着信あったのが気づかず

電話したら前日の夜に母が
救急車で運ばれたと。

入院することになったのが
22時過ぎていたから
私と姉に連絡しない方がいいという
弟なりの気遣いで翌朝になり…
(弟は自閉症(未診断)で私たちの感覚とはズレがある…)


私が病院着いたときには
意識半分で母に話しかけたら
「うーん」と言うだけで

事前に医師に説明された
「人工呼吸器つけることになったら
つけてもいい??」
と聞いたら
「ええよ…」と返ってきた。

それが最後の会話。
姉が到着した夜には
返事もしなくなった。


そこから
重大な決断は全て
私たち兄弟がたくさん決めた。

姉は頑張り屋でしっかり者なので
責任感が強すぎる性格で
身体が弱く、
精神状態がずっと不安定。

私は
自分に自信が無く、
気を遣いすぎて
自分の気持ちが行方不明になりやすく、
決断力がないが、
その場の空気を読んで
取りまとめるのが得意。


2人で欠点を補いながら
なんとか事を進めた。



今日は母の初七日。

母が入院すると
1月4日の朝に弟から聞いて
「着替えがいるらしい」とだけ言われ
(何回も電話でやり取りして聞いていた)

近所のしまむら寄って
下着やパジャマやスリッパやらを
9,000円弱分買ってから
電車ではるばる行ったのに

「ICUだからパジャマやタオルとかは
いらないんですよ」と言われ…

その服達を
自分で使おうと
ようやく開いて使っていると
なぜだか涙が溢れてきた。


母が子供らにくれた
パチンコの景品のオモチャ達も
見ると涙が出てくる。



この1週間
家事を全てずっと手抜きしてきて
レトルトカレーの甘口を
次男の離乳食に取り分けて
軟飯に混ぜたら
「これおじややなぁ」って考えてたら
涙が溢れてきた。

そういや昔
2〜3日続いたカレーの最後は
「おじややで〜」と母が言って
カレーおじやが出てきていた。

我が家では「おじや」と言えば
「カレーおじや」だった。

すっかり忘れていた記憶なのに。



貧乏なのに
月に1回給料日に
回転寿司に連れて行ってくれていた
時期があったことも、
回転寿司屋を見たら
思い出して泣けてきた。


お米研いでるとき
急に母を思い出して
涙が溢れてきた。

水道出した水流の勢いで
米を回転させて洗う方法を
昔働いてたラーメン屋で
教えてもらったのをたまにやるんやけど、

そのラーメン屋があった駅が
母の長年働いてた駅で
私の家からバスで1本の駅だから
よくそこで会っていた。

すごい遠い関連のはずなのに
ふいに涙が出てきて
泣きたい気持ちになる。



後悔と会いたかった気持ちが
押し寄せてくる。


父の時には兄弟みんな泣かなかったのに

母の時には兄弟みんな
今日明日が山と言われてから
何回も大泣きした。


弟への説明はずっと苦労した。

なかなか理解が出来ないのか
理解してるけど受け入れられないのか
検討外れの事ばかり言うので
姉がイライラして

自閉症の勉強を多少なりともしてる私は
2人の間に立って話をして。
(昔からこういう役目だったなぁと思い出してみたり)


父の時も
母の時も

私が育休中だったので
仕事休んでる間に敢えてしてくれたのかなぁ
なんて考えたり

叔父さんが2日後に亡くなったのも
母が「兄さんそろそろええんちゃう」
って連れ出したのかなって
考えたりする。




テレビで見る
『母の泣いてる姿を見たのは
アレが最初で最後だった強い母でした。』
みたいな美徳があるけど

息子らには
関係なく泣く姿見せまくってる(笑)


お母さんが子供の前で泣かないのが
教育上は良いんやろうけど、

私は私の感情を押し込めると
私の身体が保たないことを
私自身が知ってるので
私は吐き出すことにしている。

加えて
家事を一切やらなくて
家がヤバイことになっていても
冷蔵庫の中身を把握できていなくても

無理をすると
私が保たないことを
直感的に感じたので
自分を守るためにやらなかった。



インターネットもほとんどしなかったし
せっかくあちこち行ってるのに
ドラクエウォークもほとんどしなかった。

でもICU前の待合室で
四六時中、心がザワザワしてる時
少音でドラクエサウンド聴いたら
心が落ち着いた。

全体的にはほぼしなかったので、
心に余裕がないと
こういうのも出来ないんやなぁと
改めて感じた。



発達支援センターの担当心理士さんの
保育園訪問も無くなり、

その2日後の予約を入れていた
発達支援センターの予約も無くなった。

心理士さんからは
「お母さんご自身を大切にされてください」
と言われて涙が溢れてきた。



私って
自分を保つ術を
意外と知ってるんやなぁと
改めて感じた。

HSP特性である直感力のお陰!?


姉はそれが下手なので
上手くやれればいいんだけど。