当時沢山のお客様をお迎えしつつ
なかでも、特に会話を楽しませて頂いたお客様は
「当たり前だのクラッカー」(古過ぎかっ!!)の話ではありますが
おかみの昔話として
確定申告上「歌手」という時期があったと話していましたよねぇ・・・。
おかみが20代の頃、国分町のど真ん中にあるビルの4Fに220人収容する大きなお店が当時あったんですね。
実はその歌の仕事が、お店を出すまでボランティアも含めて細ぉ~く長ぁ~く続いていたんですよ。
「なんぶ彩葉」の店内で、お客様の前で唄うってのはほとんどありませんでしたが
開店前の仕込みの時間とか
閉店後にシャッターを閉めてからとか
よく口づさんでたりしてました。
「なんぶ彩葉」の開業後も、営業に差支えのない状態ならと何度かお仕事を受けていました。
そんな時のレコーディング当日は
まず、出汁をひいて、魚をさばいてから
スクーターでレコーディングスタジオにぷいぃ~んと出向いて
ヘッドフォンをしたら、30分ほど「おかみ」を離れる。
んで、またスクーターに乗っているあいだに「おかみ」に戻る。
そんなことをしてました。
「なんぶ彩葉 第三章」の準備が少ぉしずつ進みながら
今夜はふっとその時のことを思い出しています。
同じ歌を唄うでも
オリジナルでメディアに出たり、CDを発売したりとかという仕事ではなかったので
当時の記録というのはほぼ残っていません(大量のビデオテープはあるので誰かダビングできませんかね、笑)。
youtubeという便利なツールで声だけ。
私ごとですが声を聴くと当時が思い出されます。
2曲聴けるみたいですが、よろしければ聴いてみます?
↓
https://www.youtube.com/watch?v=P7cBYkZU81E
https://www.youtube.com/watch?v=jbn7CLggZlE