こんにちは、長男くんです。
早いことに、父の他界からもう一か月経ちました。
ふとした途端さみしさが現れる日常が続いています。
さて、
で一区切りつきましたが
誰かの役に立つように
というのが父が残したこのブログの役割なので
今回は父の死後、私たち家族が行った葬式や手続きについて書いていこうと思います。
「2022/9/6~ 葬式と手続き 後編」では時系列にまとめています。
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9/5 13:00~
訪問看護の看護師さんがあっという間に
父の身なりを整えてくださいました。
「あれだけ家族4人でいろいろ苦労したのに、流石プロだな」
この気持ちと共に私はプロの手伝いをしました。
その後
訪問看護の看護師さんの指示で
その日のうちに葬儀場に連絡し
父の葬儀について話し合いました。
この写真はエンディングノートになります。
これには「死後はこうして欲しい」と様々なことが記入されています。
この父の残したエンディングノートには
「葬儀は行わなくていい、お金をなるべくかけないでほしい」
と。
ですが
葬儀を行うことによって
生前お世話になった方々に
お礼を言うことができる
そして
後から家に来てもらわなくても済むように
家族葬をすることにしました。
また
私たちの地域ではコロナ禍で
通夜葬儀に参列せず焼香だけして帰るという風潮があります。
ですので家族葬で十分だと判断しました。
日時については
遠方に住む親戚の移動を考慮し葬儀は 9/7(水)19:00~
となりました。
これ以降、あっという間に時間は過ぎました。
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9/6
この日は母の誕生日でした。
本来であれば5人と猫2匹を合わせた
我が家の家族写真を撮るはずでした。
あと1日だったのに。
2,3日間の睡眠時間(夜)の合計が
母:片手で数えられるほど
私:両手あれば数えられるほど
でしたので
家族4人は一日中休んでいました。
9/6 日中
葬儀が明日のため
日の当たらない部屋でドライアイスで冷やされている
父の仏様は
今にも動き出しそうに
いつものように静かに寝ているだけ
のように感じました。
胸部が呼吸で動いているように錯覚するほど
まるで昼寝をしているように
安らかに眠っていました。
どうしても帰ってきてほしかったので
どうしてももう一度話したかったので
あえて悪口を本人の前で言ってみたのですが…
一言も返事はありませんでした。
9/6 夜
父が最後の入院時に食べたいと言っていた
【不二家のホワイトチョコ生ケーキ】
(写真が暗く見にくいです。申し訳ありません)
を用意し
家族4人、父の側で母の誕生日を祝いました。
自分が棚から妹たちの幼少期の写真を
たまたま見つけたので
写真を見ながら家族で楽しいひと時を過ごしました。
それでもさみしい誕生会でした。
エリさんとロコにゃんも一緒にと思い父の側に何度も連れてきたのですが
すぐに逃げてしまいました。
何かを怖がったような逃げ出し方でした。
きっと猫も現実を受け入れられなかったのでしょう。
あれだけ生前は一緒にいて
側によればすぐにゴロゴロ言っていたので。
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葬儀を執り行うにあたり
一緒に棺に入れるものを用意してくれと
葬儀の担当の方に言われました。
いつも着ていた服
父の好きだった人形
私と妹たちの手紙
好きだと公言していたペットボトルの飲み物
など
機械や瓶、電池など※以外なら焼けるということで
たくさんの思いを込めて用意しました。
(※葬儀の担当者に確認することをお勧めします)
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9/7~
親族の到着
家での本当の最後のひと時
父の出棺
通夜。
あっという間でした。
家族葬でしたが
通夜の前1時間は参列者の方々に焼香していただきました。
とても驚くほど
たくさんの方が来てくださいました。
生前父がお世話になった方々を始め
母の知り合いから友達まで。
忙しい中時間を割いて来てくれた私や妹たちの友達。
本当にたくさんの方々が来てくださいました。
心から感謝しても足りないくらいでした。
最後に一言家族は
「また明日」
とだけ告げて葬儀場を後にしました。
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9/8 午前
最後の朝です。
まずは父の大切にしていた挨拶から。
しっかりと聞こえるように
「おはよう」
いつも妹たちは
「声が小さい、やり直し」
と怒られていましたから
いつもよりしっかりと。
その後再び参列者の焼香、本葬の時間が過ぎ
とうとう火葬場まで来ました。
お世話になる日が来るなんて思ってもいませんでした。
火葬場の担当員「本当の最後です、何か言い残したことはありませんか?」
ただ一言、お互い言い合ってたいつもの決まり文句
私「じゃあな」
「おう、またな👋」
父の声が聞こえた気がしました。
母や妹たちも一言。
その後は親族と共に焼き終わるまで待機していました。
70分ほどでしょうか。
火葬場の担当の方「準備が出来ました、こちらにお願いします」
想像はしていました
していましたが
衝撃のあまり言葉がしばらく出ませんでした。
かつて父に
箸同士でつっつかない
と言われ
なぜか聞き返した時
「火葬場では~」
なんて話を聞いていましたが
本当に箸渡しをするなんて。
本当に現実はつらいことばかりで
私の感覚は少しばかり麻痺していたのかもしれません。
手は震えず
いつもよりも慎重になっていました。
一個人の感想になりますが
最もがんの転移が多かったこともあり
腰骨が他の骨とは違いよりぼろぼろだったように見えました。
その後
お骨を家に持ち帰り一言
「おかえり」
「ただいま」という返事は聞こえませんでした。
これを書いている今(2022年10月7日)でも
「あの骨は父の物ではない」
「きっとまだどこかにいる」
そう思っています。
そう思うことで目をそらしているのはわかっています。
誰よりもわかっているつもりです。
でも、、、
2022/9/6~ 葬式と手続き 後編に続きます。