こんばんは。
最近、子供の中学受験について色々考えたり、考えたことをブログにまとめたり、実際に子供の勉強に付き添ったりする時間がものすごく増えました。つい半年前までは、塾に任せて放置しておけば、あとは、妻と子が勝手にやるはずだと思っていましたので、子供が、こんな↓↓↓
になりながら勉強しているのを目の当たりにしても、迷いや悩みのようなものを感じることは、ほとんどなかったのですが、最近いろいろなことに対して真剣に向き合うようになると、これまで考えもしなかったことが、ふと、頭をもたげてくることがあります。
そういえば、なんで中学受験させてるんだっけ?
中学受験て必要なの?
中学受験て有用なの?
そこまでして子供にやらせる意味はある?
私自身は、中学受験を経験しており、第一志望に合格することはできなかったのですが、少なくとも、中学受験の時に色々と頭を使ったことが、人生において脈々と有意に活きていると考えていましたので、子供に中学受験を経験させようとすることは、ごく自然な成り行きでした。ただし、これは多分に主観的な思い込みである可能性もあって、実証してみると(そもそも実証可能なのか、ということはさておき)、別の要因でなんとなく人生うまくいっていただけだ、という可能性もあります。
もっとも、親が、「子供の時にああしていればよかった、こうしていればよかった」ことを子供に押しつけようとすると、かなりの確率で歪みが生じる一方で(子供からすると、「どうせ、パパ(ママ)だってやってなかったんでしょ!?」という素朴な反論が、常に強力であるため)、親が「自分はこれをやっておいて本当に良かった」と考えるものを、子供にやらせるときは、諍いが生じることはあっても、結果的に、子供は最終的に理解してくれるような気がしています。だからこそ、多分に過剰な楽観も相俟って、「子供に中学受験を促す(いや、させる!)」という決断をしたわけです。
しかし、実際に、中学受験に真剣に向き合い始めた子供に対して、親として真剣に向き合い始めると、小学4年生に過ぎない子供が、シビアに習い事の取捨選択をしたり、友達を遊ぶことを我慢しながら勉強をしたりしていることに改めて気づかされます。(せっかくここまで続けてきた習い事をやめてしまうなんて)勿体ない!!とか、(人として友達は大事だし)確かに勉強以外に大事なことってあるよね!とか、そういった感情が、むしろ、どんどん湧いてくるようになりました。
同一線上には比較不能な価値を、中学受験なるものを軸に、無理矢理比較して、優先順位を付けて整理してしまっていることに、後ろめたさを感じているのかもしれません。人生80年時代の現代において、最初の10年をそんなに生き急がなくても。。。ということなのかもしれません。
おそらくこの問題は、この先もずっといろいろな人を悩ませ、自分も悩み続けるのだと思いますが、自分なりにこの問題を整理するのに役立つ本を見つけました。
今でしょっ!の林先生の本なので、ご存じの方も多いかもしれません(上記はAbema Pickのリンクですので、ご興味のある方は、タイトルだけコピペして、各自Amazonでお調べ頂くのがよろしいかと思います。)。
受験勉強を極めて肯定的な視点から書きつつ、受験勉強の「罪」の部分にもきちんと触れており、バランスの取れた思考の割り切りが、とても参考になりました。
それでも、完全に解決したわけではなく、やはり、これからも、試行錯誤・右往左往しながら、子供と向き合っていかなければならないのだろうなと思い、今日はもう寝ようと思います。
お休みなさいませ。
たまにはぽちお願いします笑