人と人との繋がり。出会って別れて何を得る?関係性に亀裂が生じれば関わりは終了。終了してしまえば、相手は自分が生きていようが死んでいようが感知不能。なのに、人は人を求めて繰り返して傷付いて、エンドレス。人って虚しい。何でも話して相談もして、一緒に過ごした時間の経過も沢山で、だけど、終わってしまえば虚しいだけ。
飲むか飲まないか再開したラミクタール。再開したコンサータ。効果は?飲むべき?飲まなくていい?どうすればいいの?しなきゃない事がないゆえという考えも分かる。精力的に仕事をしたり。けど、しなきゃない事や仕事がなくても成り立つのが「普通」なわけで。それによって成り立つのも悪くはないけれど、諸刃の剣なのかなとか、悩んでしまう。効果も分からない。引きこもっていれば分からないのも当然。自問自答を繰り返して、抜け出せるのは、いつ。「普通」でいいんだよ。望んでも、いいでしょ。叶えてくれても、いいでしょ。
詰んだin仙台。完全に詰んだ感じで、どうすればいいのか分からない。独りで生きていく限界を感じて、辛い。食べて寝て、食べて寝て、わたしは何をしているのだろう。生産性もなく、エピソードもなく、太陽の下で輝く人達が遠い。仕事をすれば、軌道に乗るのかな。何もしていないゆえなのかな。だけど、仕事をしていなくても、自ら一定のリズムで生活していける人もいて、自己管理の問題。環境で生き死にが変化するなんて、情けない。
コンサータコンサータを飲む事によって、生活が成り立つ。成り立つのは必要な事。だけど、コンサータが必要なのは、理想のかたちではない。だけど、それしか生きていく術がないのかな。人生からフェイドアウトしたいけれど簡単に出来ない。生きていくしかないとなった今、方法として必要なのであれば、仕方がないのかな。でも、複雑な思いは消えないまま。
生きていけない無理。嫌な情報で双極の波は激鬱へ。「普通」の人は、「生活」が成り立つ。生きる術を持っているという事。けれど、わたしは当たり前を知らない。生活をしていれば、片付け、洗濯、家事とか暮らす事のメンテナンスが色々とあってでも、わたしは分からない。人間的な生活が、送れない。送れていない。道標となるものがなければ、分からない。だけど、独りぼっち。生きる術を持たず、このまま独りな事にこの上ない不安を感じて、絶望してどうやって生きていけばいいのか分からない。怖い。色々な感情が混ざり合って泣きたくなる。泣いても泣かなくても、何も変わらないままに、明日はくる。