私はふとした瞬間に思いを馳せるのです。
『パニになる前の自分の身体に戻りたい』
と
なぜかって?当たり前ですよ、どの局面においても今よりは遥かに高いパフォーマンスが出せるはずだもの。
間も無くパニ持ちにとって鬼門の『梅雨』がやってくる。
健常者が何事もなかったかのように普通に生活している最中、我々だけがより鮮度の高いフレッシュな空気を探して右往左往しなければならない日々、それがdeath in the rain、『梅雨』です
そんな事を考えると、私は深いため息が出るのです。
例年通り、現在の体調は行ったり来たり、梅雨を迎える今月は「絶対参加」の日程がいくつか決まっている、この身体で乗り切る事が出来るのだろうか?
虚空を見上げて脳裏に浮かんだのはあの店だった。
「久々に行ってみようかね?闇市によ」
しばらく酷い体調の崩れが無かったため、久しぶりに見るこの街の光景はやはり日本有数のスラム街だ。
お目当ての店の前に着くと、通りを挟んだ遊郭の客引きの女と目が合った。
彼女達はいつも私には声をかけて来ない、何度となくこちらを訪れているうちに私がそちら側の客ではないと認識されているようだった。
「わ!ずいぶんお久しぶりですね!」
お目当ての店に入るなり、店主が驚いたような素ぶりでにこやかに迎えてくれた。
「お客様はウチの商品をもう必要とされないのかと思ってましたが、どうかなされたのですか?」
いやいや、すごく体調が悪いわけではないんだけどね、、、ほら?もうすぐ私の大の苦手な梅雨が来るでしょ?なんだか急に心配になってきちゃってさ、、、最近よく思うの、『今の病気になる前の自分』だったらこんな不安は無かったのになって。
「、、、珍しいですね、お客様はいつも切羽詰まった状況でウチの店に来られるのに、、、」
、、、ふとね、病気になる前の自分に戻りたいなあと思ったらココが頭に浮んだんだ
「なるほど、過去の自分、、、昔に戻りたいだけならば、最近入荷したばかりの丁度良い商品がありますよ」
ほんと?
「お客様は何年前に戻りたいのですか?」
店主の男がそう聞くので、私は「パニになる前」、、、『13年前』と答えた。
私の話を背中で聞くと、店主の男は店奥の棚からワインボトルのようなモノを取り出してきた。
『赤ワイソの13年モノになります』
、、ワイン?、、、ですか?
「いや、ワインではなく、『ワイソ』です」
、、、わいそ???
「はい、パラグアイの少数民族の間で使われているスーパーアンチエイジングドリンクです」
、、、パラグアイの?それを飲むとどうなるのでしょうか?
「今の年齢のまま昔の体型や思想、健康状態になります。そうですねぇ、、、ワイソグラス一杯で一ヶ月程度を目安に徐々に昔の身体に戻り、そこから効果が薄れてまた徐々に今のご自身に戻る感じになります」
ボトル一本で何杯いけるのでしょうか?
「10杯ちょっとですかね?」
なるほど、1年間くらいもつわけか、、、で、おいくらでしょうか?
「一本、100万円です」
めっちゃ安いじゃないか!
この商品に毎年100万払う金なんぞ無いのだけども、とりあえず超絶お買い得商品な事はわかるので、即決で一本購入する事を決めた。
「この商品に限っては、一回試してみてやはり必要無いというお客様も多いため、三ヶ月以内での返品が可能となってますその際には半額の50万円を返金いたしますので」
ああ、大丈夫大丈夫、返品なんてしないから
どうせ戻る必要の無いリア充の成功者が一回試して返品してんだろ?挫折の無い人生で羨ましい限りだわ。
私は家に帰ると、さっそく一杯分をワイングラスに注いでみた。
一応、ソムリエのようにグラスをくるくると回し、香りを嗜むフリをしながらチビチビと飲んだ、、、コンビニの安い赤ワインの味に似ている。
飲み干してはみたが何も変わってない気がする、、、そりゃあそうか、一ヶ月かけて変化するみたいだからね。
最初に変化を感じたのは、飲んでから3日後だった。
いつも履いているジーパンがキツくなってきた
でも、それと比例して体調の崩れも減った。
飲んで一週間後には、今まで着ていた服がどれも着れなくなっていた、、そうだった、、「昔の私」は今より全然太っていたのだ、、、
どこへ行っても「謙信さん、太りましたか?」と聞かれるので、「自主制作映画の役作りのために増量している」と無理な嘘をついて誤魔化した。
でも、体調だけはめっちゃ良い。
ある日の朝の事だ、私は電車にギリギリで小走りに走って飛び乗った、その際に自身の身体の重さと息の切れ具合に驚愕した。
私はここ数年、運動を取り入れ年齢の割に体力をつけたはずなのに、、、これも昔に戻ったということか?しかし、息が切れても不安感や自律神経の乱れはやって来なかった、、、やはり、パニになる前の身体に戻って来たらしい
この息の切れ具合で不安感が襲って来ないのはとてつもないミラクルだと内心喜んでいた瞬間、電車が急停車した。
どうやら、前の電車で急病人が出たらしく救護活動をしている関係で電車が止まったらしい。
「はあ?フザケンナよ?」
私は遅刻が脳裏にチラつきイラついた。
電車が動き出した頃にはすでに遅刻が確定していた、イラつきがピークに達した私はクールダウンするために喫煙所に入った。
タバコを吸おうとポッケや鞄を探すがタバコが見つからない。
そりゃあそうだわ、私はパニになってすぐにタバコを辞めたんだもん
昔の私はヘビースモーカーだったっけか?いつの間にやら高騰していたマイルドセブンを13年ぶりに購入して火をつける。
煙を吸い込んだ瞬間、私は派手に咽込んだ。
猛毒のハイパーポイズンだ。
反町隆史の歌う「こんな世の中じゃ」のフレーズが頭に浮かんだ瞬間、私はある事に気がついた。
はて?
私は何故にイラついていたのだろう?
確か急病人だかで電車が止まってイライラしてたのだっけ?
私はパニ持ちになってから、こういったシチュエーションでのイラつきは無くなったはずなのに、、、
なぜなら、私自身が電車を「止める側」に十分成り得るから。
だから急病人で電車が止まった際は、いつも心の中で「がんばれー」とエールを送っているの、当事者が「パニ友」の可能性もあるでしょ?
その時、私は雷にうたれたように気づいてしまった。
容姿も価値観もライフスタイルも『パニになる前の私』は恐ろしくダサイと
「パニになる前の私」と「今の私」
私は頭の中で様々な事象を天秤にかける。
すぐに答えが出た。
『パニになった後の私』、現在進行形の「今の私」の方が人としてのクオリティーが高いですね
結構な僅差だったけど、「今の私」が鼻差でゴールテープを切った。
「わいそ」だっけか?これ返品ですわ
私は今、再び闇市に来ている。
返品なんて初めての事だ。
「ここに来るのも今日で最後かもしれないな」
ふとそんな予感を感じると清々しい気分が溢れ出てきた。
通りを挟んだ遊郭の客引きの女と目が合う。
気のせいか女は私に微笑みかけたように見えた。
そして「新しい私」が店の扉を開いた。
【闇市シリーズ 完】