「お爺ちゃん、お婆ちゃんになっても、手を繋いで、一緒に出歩けるような関係で在りたい」



将来の展望について、こういう表現で、若い女性が話していました。


一方、街中で、とある老夫婦を見掛けたのですが、、、、その姿に、存外、感銘を受けました。


その老夫婦が並んで、歩いていて、人混みのごった返している所に差し掛かり、突入する際、、、、恐らく、逸れないように、でしょう、、、、妻の手が夫の肘をそっと掴み、心持に寄り添ったのです。そして、雑踏から抜けると、又、手を離し、元の距離感に戻りました。


この然り気無さ、無駄の無い様子に、老夫婦の、幾重もの年輪を感じたのです。


勿論、これは、傍から見た美点に過ぎません。愛情が足りているなら、どんな状況下だろうと、本人達が望み、照れが生じなければ、老夫婦が手を繋ぎ合って、悪い道理も有りません。


若い女性が思い描くのなら、当然、深い(“不快”では無く、“深い”です)関係の容を示す、その姿が浮かび上がるでしょう。実際、そういう御夫婦もいらっしゃいます、、、、時々、見掛けます。


屹度、あの老夫婦のような関係性も、世の中に、幾らでも存在しているのでしょう。唯、僕が、今迄、認知できなかっただけで・・・。


要するに、これは、『こういう事にも、気付けるようになったんだなぁ』という、僕の、僕個人への感銘に過ぎません。もっと言えば、僕のエゴ・・・。


人は齢を重ねると、閃きや感性より、経験値や実績を重視するようになります。如何しても、自分に置き換えて、事態を見通してしまうからです。自分達の価値を維持したがるが余り、個人より、世代ごとの評価を下してしまいがちです。



「俺たちの頃には、こんな事は無かった」



時代ごと、他を貶し、自らを褒め称えています。



「昔は良かった・・・」



似ていますが、、、、嘆きが入っているので、神の如く、無関係を装い、現代への同情を働かせています。



「君達は恵まれてるよ、、、、羨ましい」



逆説的に、人として、努力していない事を責め立てています。相手が真意を推し量れないのも承知の上で、、、実質、見下して、これをも馬鹿にしているのです。


最後に、こんな小話。。。。





宇宙人が地球に襲来。全人類の抹殺を宣言。



地球人代表「せめて、未来ある子供達は助けてあげて欲しい」
宇宙人代表「何の意味が・・・? 我々は、君達、人間種の絶滅を望んでいるのだ」
地球人代表「しかし、一旦、生まれて来たからには、人生を謳歌させてあげたい、、、、あなた方が管理し、子孫を残さないようにすればいいでしょう?」
宇宙人代表「我々が言っているのは、高が、七十年、八十年を生き長らえて、如何するって事だ、、、、我々の種は、平均一億年の寿命が有るので、さっぱり理解できない」
地球人代表「つまり、あなた方にとっては、地球人の生命など、落ち葉を集めて、燃すようなものなのか・・・?」
宇宙人代表「我々の綿密な調査に拠れば、、、、落ち葉は肥やしになるが、、、、君達人類は、この星の肥やしにもならない存在だろ?」
地球人代表「負けると解ってても、、、、戦わなければならないようだ・・・」
宇宙人代表「それを決めようとする段階で、多分、君達は争い始めるに違いない、、、、ま、ゆっくり見物させて貰うかな、百年ぐらい・・・」





主導権を争う容で、世代間にて競い合うのは、一寸、愚かしい気がするのです・・・。