ブログネタ:放課後、何をして遊んでいた?
参加中全国各地から集まってきた家族が、それぞれのエリアごとに住んでいるような、、、、自衛隊に勤務する人の家族は、県営住宅に、製紙会社と鉄鋼会社の工場に勤務する人の家族は、会社が所有する団地に、と、、、、要するに、“住宅地”です。その中の小学校に通っていて、本屋も無いし、ゲームセンターも無いし、文房具店の内部に拡張された駄菓子コーナーに、偶に寄るぐらいで、大抵、自分ん宅には、真っ直ぐ帰っていましたね。
その区域には、いや、その周囲にも、“商店街”という状態は存在せず、ぽつりぽつり、スーパーとか、八百屋とか、精肉店とか、米屋とかが点在するだけで、人は多いのに、活気が無く、静かな町でした。しかも、規模が余りに小さ過ぎて、<ベッドタウン>と呼ぶのは恥ずかしい程度、、、、当然、子供の遊べるような施設など在りません。公園だって、唯、稼動していない噴水がカラカラに乾き切った状態で、放置されてあるだけ・・・。
「僕の田舎は何も無い処だったけど、自然だけは豊かだったから、川遊びや木登り、山に入って、昆虫採り、、、、秘密基地造りも真剣に取り組んだもんだよ」
言ってみたい台詞ですね、、、、でも、世の中には、都会から離れてはいるけれども、自然環境にすら恵まれない、本当の意味での、“何も無い田舎”が存在するのです。
多少、残される草木も、気付けば、住宅団地の増設が為、切り倒されていたりするのです。
それでも、子供は外に出て、遊ぶものです。狭い地域だったので、寄り道する意味は余り感じず、必ず自宅に戻ってから、改めて、遊びに出ていました。
如何でもいいガラクタを寄り集めて、“宝物”に仕立て上げ、隠し場所を設ける、、、、そこに辿り着く為の地図を作成し(何度も言いますが、狭い地域です。そんな物は無くでも、覚えられるんですけどね)、それ自体も、何処ぞに隠す、という二度手間・・・。中には、裏切る奴も出てきて(僕だったりします)、他の仲間を駆り出し、“宝物”を強奪、、、、その事が発覚し、元の仲間から、拷問を受けるも、共犯の連中については、決して、口を割らない、、、、盗みを働いておきながら、何、この義侠心・・・?
まぁ、アホですね。
“イロイロ遊び”なるものも有りましたね。<泥棒と警察>とか(地域に拠って、呼び方の順序が逆だったりしますが)、<S合戦>とか、<かかしとび>とか、、、、殆ど忘れてしまいましたが、何て事も無くて、子供の遊びの寄せ集めを、唯、こう、呼称していたに過ぎません(一つのカテゴリーに収めて、ネーミングを付けてしまうのが、子供同士、共存意識を高める上で、結構、重要だったりします)。缶蹴りや隠れんぼなどはメジャー過ぎたので、これには含めず、別格扱いにするのが暗黙の了解でした。僕は、タンポポか、何だったか、とある植物の茎を交差して、引っ張り合う<草相撲>が好きでした。後、高学年になってからでしたけど、<軍艦じゃんけん>が楽しかった、、、、懐かしいです。
中学校は、この地区外に在りました。ちょっとした“巣立ち”です。環境が一変した所為か、外に出て、遊ぶ事は無くなりました(中学に通う事自体が、外に出る事になっていたのかも・・・)。でも、静かな生活とはなりませんでしたね。学校の周囲は田んぼだらけでしたが(それ以外、何も無い・・・)、、、、冬の時期以外、始終、カエルの鳴き声が煩くて・・・(冬は冬で、寒過ぎると、逆に、静かなのが身に応えたりします)。