ブログネタ:部活何してた? 参加中




試合は、佳境に差し掛かっていた。



1点のビハインドで、味方の攻撃中、、、、ツーアウト一塁、二塁のチャンスで、僕の打席が回ってきた。一打同点、長打が出れば、一挙に逆転だ。



相手のチームは我が軍を格下と見て、エースを温存していたが、このピンチに登板してきて、見事、前のバッターを三振に切って取っていた。



僕は集中して、打席に入るが、ふと気付いた。




(あ、このバットは、球威の無いピッチャー用に使う、重い方のだ、、、、エースのスピードボールに対応するには、軽い方のに替えないと・・・)




でも、僕は、一旦、打席に入った以上、又、外して、替えに戻るのは、集中力が途切れるような気がしたし、何より、早く打ちたくて、気が急いていた、、、、結局、めんどうに思い、そのまま、勝負に挑んだ・・・。



結果、初球を叩いて、ピッチャーゴロ、、、、僕に向けられていた歓声が、僕を非難するかのような溜息に変わった・・・(そんな風に聴こえただけで、後、誰からも責められる事は無かった)。



試合は、この後、何の展開も無く、終った、、、、1点差負けだ。






小学生の頃の話、、、、野球部に所属していました。



まぁ、なんて事も無い、只の失敗談なんですが、、、、でも、自分の野球経験の中では、これがピークだったような気がします。



一応、エースナンバーを付けていましたが、別の奴が台頭してきて、この頃には、僕は、ライトに回されていました。それでも、レギュラーとして、試合には出場できていましたから・・・。



中学に上がっても、野球は続けましたが、、、、選手になれたのは、二年生の秋、最上級生が抜けてからです。それでも、背番号10の補欠でした。



しかも、僕らの世代はダメダメで、一年の内、秋、春二回、夏、と、四つ在った公式大会で、二回戦にまでは勝ち抜けた夏を除いて、後は全て、一回戦敗退、、、、僕らの先輩達は、必ず、一つは優勝旗を持ち帰っていた強豪校だったのにも拘らず・・・(下級生の頃、先輩達よりも遅く、練習に出て行ったりしてましたから、、、、自明の理ですね)。



そんなチームで、一年間、ずっと補欠、、、、背番号も、11番、14番、15番、と、徐々に下がっていきました。



『テストを兼ねる』とした練習試合で、僕だけが出場できなかった事も有りました。



監督に嫌われていた事も有りますが、、、、それでも、実力が伴っていれば、公式戦には出して貰えてた筈です。監督だって、負けたくは無いでしょうから・・・。



学年が上がってから、転勤した先生に代わって、新しい監督が就任したのですが(何方の監督にも嫌われましたが、理由は違っていた、と思います)、これが曰く付きで、、、、教師では無かったんです。秋の大会での、僕らの低調ぶりを見兼ねてか、保護者が何処からか連れてきた、外部の人間だったんです。現在は分かりませんけど、当時は、完全な違反行為だった筈です。その証拠に、大会ともなれば、その運営に於いて、各学校の野球部監督が持ち回りで、(当該校以外の)試合の審判を担わなければならなかったんですが、、、、何か、こそこそしてましたもん・・・。結局、顧問の先生が監督の立場を以て、馴れない審判に担ぎ出されていました。



ていうか、そもそも、顧問の先生こそが監督に就く筈だったんです。



その先生は、僕のクラスの担任だったんですが、、、、監督への就任が決まってから、物凄い張り切りようで、授業を自習にしてまで、野球のルールブックを熱心に読み込んでいました(教師の本分としては、如何かと思いますが・・・)。




「なぁ、ディレードスチールの利点って、何だ?」




とか、僕も訊かれたりしました。



準備は怠らず、さて、その先生が、いや、監督が、練習に初参加する、という日、、、、僕がグラウンドに出て行くと、見知らぬ大人が二人、待ち構えていました。




「此方は、今日から、お前たちの指導をして下さる〇〇さんだ。私が無理に頼み込んで、了承して頂いた。皆、新監督の言う事を良く聞いて、頑張るようにな」




(やばっ!)と、僕は、思いました。僕の通っていた中学の校舎は、二階に、エントランスが在ったんですが、、、、僕が恐る恐る振り返ると、その階段の途中で、此方を窺いながら、呆然と立ち尽くす元・新監督の姿が見えました。



あれ程、物悲しい人間のシルエットを認めたのは、後にも先にも、これ一度きりです。



恐らく、状況を察したのでしょう、、、、暫くすると、その先生は踵を返し、校舎の中へと戻って行ってしまいました。



そんなこんなで、、、、公式戦に、一度の出場も無いまま、僕の、中学での野球生活を終えたのです。高校では、野球部に入りませんでしたから、結局、小学生の頃がピークだった、という訳です。余り、良い思い出では無いのに、何故か懐かしく回顧してしまう、一つの理由なのかも知れません。






取留めも無く書き綴った為、構成も、文意もメチャクチャですが、、、、当時の、未熟な心機が顕れた為の、荒さと拙さなのだと、ご理解下さい。