昔、「トイレの便座に、腰を下ろせない(お尻を付けられない)から、浮かせたまま、用を足す」という人に、「高い所から落とせば、その分、跳ね返りも高くなる。便器に溜められた、糞尿交じりの水の方が綺麗だ、って言うなら、いっそ、便座を下げずに、便器に、直接、ケツを突っ込んで、用を足せばいい。多分、他の、誰のケツの皮も触れてない領域だからね」と、大人気無しに詰った事が有って、、、、理不尽な態度でしたし、今、思うと、恥ずかしさを禁じえません。
この類の強迫性障害を患っている人は、好き好んで、過度に潔癖なのでは無く、自らの“不潔恐怖”で、日常の生活を困難にしている訳ですから、本人が一番に苦しんでいます。他人を愚弄するだけなら、自分自身が不幸になる必要は有りません。
まあ、認識している人が殆どでしょうけど・・・。
人生には、多くの不安が纏わり付いてきます。到底、取り除けない問題も出てくるでしょう。その中でも、“不潔恐怖”というものは、一時的にしろ、個人で対処しうる訳です。だから、放置せず、集中的に、気が向いてしまうのかも知れません。不安が多ければ、多い程、そういう性質に傾き易い・・・?(無論、勝手な解釈ですので・・・)。
最近、僕も、トイレのドアノブを触るのに、躊躇する感じです。まあ、後で、手を洗えば良いか、の程度に治まっていますが、、、、でも、そんな自分への嫌悪感が拭えませんね。
これっぽちの事で、大層には言えませんが、、、、潔癖症は、その実、決して他人を責めているのでは無く、総じて自分を責めているのですね。