相田 寛治 78歳、、、、今、正に、自分の妻が息を引き取ろうとしている場面で、相手の手を握り締めながら、虚しくも、励ますような言葉を掛けている。

寛治「春子、大丈夫か? もう少し我慢すれば、絶対に良くなるからな」
春子「嫌ですよ。最後なのに、そんな、杓子定規の文句を聞いて、別れるのは・・・」
寛治「しっかりしろ。弱音を吐くんじゃない。頼むから、気を強く持ってくれ」
春子「私の方こそ、お願いします。こんな折になって、社交辞令なんて、、、、悲しいですから・・・」
寛治「・・・安心しろ。お前が死んだら、俺も後を追うからな」
春子「だ、め・・・! 私の命を愛おしいと惜しんでくれるのなら、、、、自分の命も慈しんでください。そうじゃないと、折角の、お父さんの優しさも、嘘に思えてしまうから・・・」
寛治「でもな、、、、」
春子「約束してください」
寛治「・・・分かったよ、、、、約束する」
春子「本当、世話の焼ける人ですね」
寛治「お前に、何もしてあげる事が無いから、、、、今までも、ずっと、そうだった・・・」
春子「一つ、叶えてさせて欲しい事が有るんだけど・・・?」
寛治「ん? 何かな・・・? 教えてくれ」
春子「何時の頃からか、お父さんの事は、ずっと、“お父さん”と呼んできたじゃないですか・・・。こんな時だし、、、、名前を読んでも、構わないですか?」
寛治「そんな事か・・・。いや、全然、、、、、ちょっと照れるけどな。でも、好きなように呼んでくれ」
春子「ありがとう、寛治さん・・・」

春子は、そのまま、息を引き取った。朗らかな微笑みすらも湛えていた。



妻を亡くしてから、寛治は、気が抜けたように、日々を暮らしていた。

(或る意味、春子は恵まれていたな。これで、俺が死ぬ時、看取る人間は、もう居ない、、、、確定したんだ。子供達が傍に居てくれたとしても、それは、意味合いが違ってくる。彼らが自分の死をリアルに意識するのは、もう少し先の事だ。殆ど、死ぬ準備の為に生きているような、何かと不自由な老人の感慨は理解てきないだろうし、又、不思議な事に、こっちも理解されたい、とも思わない。歳を同じように重ね、長い年月を一緒に過ごしてきた相手じゃないと、真には苦しみを分かち合えないのだ。だから、妻を亡くして、俺が感じた、第一の煩いは、寂しさ、とか、悲しさ、とかじゃなく、そういう悔しさだった、、、、と、同時に、人間は、つくづく、エゴの動物なんだな、、、、そう、思い知った)



数年後、寛治も床に臥せるようになり、いよいよ、最期の時を迎えていた。そこは病院のベットで、彼を看取ってくれるのは、子供達ですら無かったのだ。医療関係者だとて、仕事が有り、始終、付きっ切りに寄り添う事も叶わない状況・・・。

(そうか・・・。こうして、今わの際となるまで、全く以て分からなかったが、、、、成程、看取ってくれる相手など居ずとも、寂しくなど無い・・・。自分の最期にて、別れを告げる相手なら、ちゃんと居たんだな)

寛治の意識は、朦朧となり始めた。

(いよいよ、だな・・・。じゃあ、別れを告げよう、自分に、、、、さようなら、相田 寛治、、、、ありがとう・・・)

寛治は、そっと、息を引き取った。朗らかな微笑みすらも湛えていた。