火葬場にて。
生花に囲まれて、安らかに横たわっている女性。
その棺の傍らには、妻を亡くした、悲しみの老翁が佇んでいる。
少し後ろに立つ男が、彼の耳元へと囁き掛ける。
「父さん。僕が遣ろうか?」
老翁は、自分の手に提げた把手付き紙袋の方に、視線は落としたものの、返答しなかった。
「気持は解るよ。でも、母さんの宝物だし、持たせてあげないと・・・。形見だからって、父さんの手元に残しておきたがるのは、エゴだよ」
手提げ袋の中には、生前、故人が趣味としていた俳句、その作品が綴られた、十数冊にも及ぶメモ帳が収められていた。
老翁にとって、故人が何時も持ち歩いて、書き溜めては、一冊ずつ増え続けて行った其れは、もう、疾うに、我が妻の象徴だった。老後の生活に於いて、あらゆる場面に、二人は行動を共にしていたし、一句一句の全てに、自分との思い出が絡んでいたのだ。これをも失うのは、妻との繋がりを絶ち切られるような心持ちで、どうにも寂しく、息子の言う事は、理屈では解るものの、受け容れられないでいた。
渋る老翁に、もう一人、女性が話し掛けてくる。
「お義父様。寂しくて、不安なのは、お義母様の方なんですよ。たった一人で逝かれるんですから」
この言葉に、老翁は、少し戸惑った様子だ。
「何もお義母様に持たせてあげないのは可哀そうです。こうしたら、如何でしょう? 以前、お義母様から御聞きしたのですけど、お義父様が大事になさっている万年筆、お二人が出会われた馴れ初めの御品なのでしょう? あれを一緒に持たせてあげるんです。天国でも俳句を続けるには、書く物が必要ですし、 お義父様の事も思い出せます。それで、繋がりも保てますでしょう?」
「ちょっと待て。それじゃあ、父さんは失うばっかりだろ?」
「でも、引き止める事が叶わないんなら、旅立つ相手には、自分の事を忘れないでいてほしいから、多くを与えて然るべきじゃない?」
息子は父親に向き直り、改めて語り掛け始める。
「父さん。使い掛けの一冊と、父さんの万年筆だけを棺にいれて、母さんに持たせよう。残りは、父さんが持っていればいい。そして、母さんの命日の度に、新しいメモ帳を一冊、お墓に供えてあげる事にしよう。それで、いいだろ?」
直ぐには反応しなかったものの、老翁は緩と安堵するように、妻を亡くしてから初めて、優しく、温かい表情を見せた。
上記の話の中に、現実的に成立しそうも無い事柄が一つ含まれています。何でしょうか?
お気付きの方も(相当)いらっしゃるでしょうが、クイズでは無いので、正解を発表します。
【回答】 遺体を火葬する際、棺の中には不燃物(この場合、万年筆)を入れられない。
火葬炉を傷める原因になるかららしいですが、“十数冊にも及ぶメモ帳”っていうのも、又、それが多過ぎるみたいで、実際、燃焼の妨げになって、萌え残ってしまう為、火葬場に拠っては不可だそうです。
非可燃物は、小さいものであれば、火葬後、骨壷の中に収めるのがベスト。
だけど、こういう制限が生ずるくらいなら、“土葬する”という選択肢も有って然るべきなんじゃないかな、と思います。
日本では、元々、貴族や僧侶以外、一般の人は土葬が多かったようですが、湿度が高い気候条件から、伝染病や害虫の発生に繋がり易いので、衛生面の配慮から、近年、火葬が広まっていったらしいです。
ただ、一部の大都市では、条例にて土葬が禁じられているらしいので、やはり、現状では、土地の浪費を防ぐ目論見も窺えますね。
自分では、全身が緑色の液体に溶け出して、消滅する死に方を希望します。