たとえば組織の中で生きていくためには
どうしても「忍耐力」と「適応力」が必要になるでしょう。
それらは子供のころに、学生時代に揉まれ鍛えていくしかない。
子供のころの学生時代とは、ある意味それらを鍛えるための訓練期間だと私は思っています。
まず早起きをし、遅刻をせず、一定時間拘束される、宿題やルールなど約束事を守るのが当然。
また苦手な人との付き合い方、コミュニケーション方法など。
だって大人になって社会に出たら、否が応でもそれに耐える能力が必要になるからだ。
まるで呼吸をするかのごとく、当然なものとしなければならない。
じゃないと、社会に出てから毎日がストレスになってしまう。
「忍耐力」「適応力」を養うことは、「学校」の存在意義の大きな一つだと思う。
いわば、社会に出るための準備期間、訓練期間だ。
ここで忍耐を養い、忍耐が当たり前のものとして我が物とする「慣れ・習慣化」が必要だと思う。
したがって、私は不登校を認めること自体に否定的であるわけではないのだが、
しかしながら、子供たちの「忍耐力」と「適応力」という、
社会に出てから最も必要な力、
不登校は、それらを鍛えるための機会損失を招いてしまうのではないかとも思う。
また「忍耐力」で1日1日を生き延びていきつつ、ささやかな楽しみを見つけていく力やポジティブ力が必要だと思う。
それが凡人が社会を生きていくために必要な力。
古来より大半の凡人は「忍耐力」を武器に毎日を生きてきた。
それは現代の社会であっても基本構造は変わらないと思う。
奴隷の身分があった時代なら、なおさら必要な生きるための力だ。
さまざまな理不尽に耐える力がなければ、奴隷は正気を保って日々を生きていけないだろう。
そうでもないと過去の歴史で奴隷制度なんか、もっと簡単に崩壊していただろう。
「忍耐力」
現代を生きる人の多くは、もともとその才能を持ち合わせて生まれてきたのだと思う。
なぜなら不幸にも「一定の忍耐力」を持ち合わせられなかった人は、過去からの自然淘汰にあってきたはずだから。
しかし、淘汰されてきたはずなのに、現代に不幸にも「忍耐力」「適応力」を持ち合わせずに生まれてきてしまった人がいる。
それが私だ。
私にもっと「忍耐力」と「適応力」があれば良かったのに・・・!
私のような人間は、普通の人よりも社会で生きていくストレスがすごく大きいんだと思う。
しかし「忍耐力」・・・
たとえ成功者であったとしても、みんな決してヌルくは生きてはいない。
成功者こそ「忍耐力」を上手く使っていることが多いと思う。
みんな仕事や生活の中で、「忍耐力」を駆使している。
そんな成功者のエピソードは星の数ほどあるだろう。
ただ成功者の多くは、そういう努力や忍耐をさらっとこなしてしまう才能もあるのかもしれないけど?
とにかく1日1日を乗り越えていくしかない。
私は悪しき「昭和の習慣」の大半が嫌いだが、「忍耐力」を養う必要性を重く見たその点については、大いに賛同したい。
今からでも鍛えていこう!忍耐力!適応力!
遅いかもしれないけど!笑
なんらかの楽しみを見出していく、ポジティブな心と共に。