「ひゃくえむ。」の中には、人生観を変えさせるようなキーとなるたくさんの名言があります。
その中の1つに
「明日生きる為に、今日死んでた。」
という言葉があります。
これは実は原作の中には出てこず、映画オリジナルの言葉なんですが
たしか主人公のトガシが仁神さんに、
「僕は、明日生きる為に、今日死んでました。」
と言っていたセリフだったと思います。
百メートル走の調子が上がってきていたトガシ。
もうすぐ行われる大会を前に、脚の筋肉の肉離れを起こしてしまった。医者から、このまま大会に出てしまうと、2度と選手としてやっていけなくなるおそれがあると言われた。自分の選手生命のために今回の大会は見送り静養して、未来の自分にかけようと思ったトガシ。
しかし、大会に出られないことは企業との雇用契約が打ち切られることになってしまう契約内容だったことを知る。
トガシは2度と競技者として走れなくなろうが、大会に出ることを決意する。
トガシは未来の自分より、今、全力で生きることを選んだ。
まさに財津選手が言っていた、自分のちっぽけな細胞の寄せ集めを、目の前にある栄光のために捧げたのだ。
これは現在までのトガシの、守りの人生観を変えた大きな決断だったように思います。
自分の居場所の確保、現状を変えることへの不安と恐怖、動くことへの怠慢、保守的思想
明日への保守的思想が、現在の足の動きを止めていた
つまり「明日生きる為に、今日死んでた。」
この考え方は
まさに私の性格そのものに思えてグサっときました。
明日を守るために「今を生きていない」んですよね
「今を楽しむ」ことができていない
いつも先の未来のことや、なんだったら過去のことばかりを気にして
今に夢中になれていない
これは、私の持病であるパニック障害にも深く関わってくる「思考のクセ」でもあるんです。
明日への不安でいっぱいになってしまって、今日を楽しめていない。
明日の仕事のことばかり考えて、今日の思考を停止してしまっていたり(特に日曜日)
最近「マインドフルネス」という思考方法が注目されていたりしますが、
これも「今、この瞬間を充実させることを忘れてしまった現代の人たち」が増加してしまっていることを示唆しているのではないかと私は思っています。
小さい頃の私は純粋に「今」をたのしむことができていた
それがいつからか、過去や未来への不安や恐れに捉われ、今を楽しむことができなくなり、思考や行動が停止してしまっている
これが今の私の「悪癖」であり
「明日生きる為に、今日死んでた。」
という言葉が、私に深く刺さった理由です。
みなさんはどうでしょうか?
私は少しでもこの「悪癖」を矯正できていけたらと思っています。