最初にことわっておきますが、これから書いていくことは単なる僕の妄言です
そしてこれは、自分に無理やりそう言い聞かせて、労働や結婚に対する考え・重みから解放されたいがため、慰めに言っているだけの文章です。笑
また考えの記録として残しておきたかったがために書く文章です。
私の偏見が多分に入り込んでいますことを了承ください。
ですから、生温かい目でご覧ください![]()
人はなんで「労働」や「結婚」をするのか考えてみた
もちろん、生活を少しでも豊かに維持したり、有意義な人生をおくるために必要だからでしょう。
第一そうしなければ生きていけないし、生命の連続性は失われてしまう。
でもおそらく、それだけではない
ではなんだ
もし「労働」や「結婚」が無かったとしたら、おそらく空いた時間、人間はとてもヒマで寂しくなる。
そしてヒマな時間に飽き飽きしてきて、もうどうしようもなくなる。
↓
単純にそれが理由ではないのか?
なんとなくだけどそう思った。
現代社会はインターネットやスマホ、それに伴うSNS。またTVやゲーム、アニメ、映画やドラマなど娯楽に溢れています。
だからこそ、それが楽しくて、ヒマな時間にうんざりすることが少なく、いつまでも飽きることがなく、ずっと室内でそれをしていられる。
いわゆる、世間でニートといわれるような人たちの多くは、これに思い当たることは少なくないのではないかと思います。
しかし、ここで極論的なことを仮定してみたとする
もしインターネットやスマホ、それに伴うSNS。またTVやゲーム、アニメ、映画やドラマなど(つまり自室で行う娯楽)がすべて無くなったとしたら。
もし自分がそうなってしまったらと想像してみてください。
おそらく、私たちはヒマで仕方なくなる。
ヒマすぎて、その生活に飽き飽きしてしょうがなくなるでしょう。
その姿は想像に難くないです。
自分がそうだと想像してみてください。
とても辛く感じませんか?
なんならやることが失われたまま、ずっと家に籠っていると、心が病んできたりするかもしれません。
そうするとどうなるか。
おそらく必然的にその目は外へ向くことになる のではないでしょうか。
外に行きたくてしょうがなくなってくる。
耐えられないくらいに。(もちろん病気やケガなどで困っている人は別です)
精神分野の一つに森田療法で行う絶対臥床というものが、治療法としてありますが、少しはそれにも関係しているのではないかと思えるのです。
みなさんは病院で入院したことはありませんでしょうか?
私はあります。
マイコプラズマ肺炎で10日ほど個室で入院しましたが、それはもうおぞましくも耐えられないほどのヒマ死しそうな体験でした。
一刻も早くここから脱出したい、そう思いました。
入院中、TVもスマホもインターネットも無かったら、おそらくおかしくなる。
幸い、私は携帯電話だけはその頃ありましたので助かりましたが。
ですが私は思いました。
そういった理由こそが、古来より人類が外へ行動しようとする最も自然な動機の一つだったのではなかろうか。
おそらく、江戸時代なんかより昔は、自室で楽しめる娯楽はほとんど無かったのではないでしょうか。
だから引きこもりの人はほとんどいなかったのでは?
子供のころを思い出してみましょう。
まだ社会に対する恐れも何も知らなかった純粋無垢な時代。
家でヒマなときとか、外に出たくてたまらない思いをした人は少なくないのではないでしょうか。
少なくとも私はそんな少年でした。
おそらくそれが正常な健康な人の状態であり、人が目を、そして体を外に向けるための最も大きな、自然的な理由だったのではないでしょうか。
モノに溢れてしまった現代は、家の中であらゆる娯楽が完結してしまい、外に出るべき理由がなくなりつつあるのではないでしょうか。
そのモノたちが孤独やヒマを埋めてくれる。
部屋の中が楽しすぎるのが問題なのです。
しかし、その中におぼれてしまうと、きっと危険なのです。
危険はそんな便利で快適な空間にこそあるのでは?と思いました。
つまり何が言いたいのかというと
それら家で行える娯楽が、人から仕事を行うことや、結婚をするための行動を阻害している
その大きな一因になっているのではないでしょうか。ということです。
先進国ほど潜在的ニートの数が多く、独身の人間が多い、その原因をつくってしまっているのが、それら部屋で行える娯楽たちなのではないかと思うのです。
そして精神疾患が現代病として増えている原因の一因もここにあるのではないかと思うのです。
「外に出ない」 から 「外に出られない」に変わっていってしまう。
部屋にいることに慣れてしまって、、部屋に楽しいことがたくさんあるから、そればっかりになってしまって、外との繋がりを作り、保つことがだんだん億劫になる。それどころか、外への繋がりがやがて怖くなってきてしまう。
そうなってしまってもおかしくない環境だとは思いませんか。
私は、そのうち世界中の人が、部屋の中にある娯楽に依存していってしまう方向へ突き進み続けるのではないかと危惧します。
インドアの娯楽に依存することが、社会に出ることへの不安を生み出し、経済状態の悪化や結婚率の低下を招く一因になるのではないかと不安視しています。
ここで重要なのは、そういった娯楽は、依存してしまうのが危険なだけであって、上手く使いこなせるツールとして活用できれば問題ないということです。
人々がちゃんとそれを認識していることが大切だと思います。
その娯楽の長所と短所を把握したうえで、正しく使用していくように心がけたら問題も少なくなるように思います。
ためしにこの日本という国から、インターネットやスマホ、SNS、TV、ゲームやアニメを取っ払ってみればどうなるでしょうか。
私の考えでは、数十年後に、まあ間違いなく労働人口は増えるし、結婚率は上昇し、少子化も改善されていくことだと思います。
世の中、ほかに楽しいことが多すぎるのが問題なんだと思います。もちろんそれは良いことでもあるんですが。
話は少しそれてしまいましたので戻しますが。
もし、こういった娯楽が一斉に失われてしまうと、人々は部屋の生活に飽き、外へと目を向けることになるでしょう。
なんで「労働」や「結婚」をするのか
極論ですが、根本的に考え方を変えてしまいましょう。
生活のために必要であるから仕事をするというより、ただ単純にヒマに耐えられないからから仕事に行くと。
そう考えたら社会へと出ていくことへの恐怖感や面倒くささが、少しはマシにならないでしょうか。
生活のためにイヤイヤ仕事に行っているという先入観・固定観念に支配された状態
(考え方を変えて)
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ただ単にヒマで耐えられなくなったから自分は好んで仕事に行っているのだと。
そのように考え方を根本から改革してみましょう。
そうすればいろいろ物事をうまく肯定的に考えやすくなることでしょう。
仕事をたいそうに重荷に考えすぎているからストレスになるのです。
仕事はゲームの一部であって、どれだけうまくゲームをクリアできるか、そう考えたらいくぶん気持ちも楽になるはずです。
「人生はゲームだ!」くらいがリラックスできてちょうどいいのです。
また「結婚」についても同じで、
結婚しなければならないからするのではなく、したいから好んでするのだ!と。
じゃなければ、独身だとヒマでしょうがないし、さびしいし孤独なんだ!
と考えてみてはどうでしょうか。
まず前提となる考え方からこのように変えてみると、仕事や結婚が重荷と思ってしまう気持ちが薄まって、物事がいろいろ肯定的に思えてくるかもしれません。
仕事や結婚などを先入観によって責任・重荷にとらえすぎてやしませんでしょうか。
仕事や結婚をする最も本来的で単純な理由は、ヒマや飽きから逃れ、孤独など寂しさから逃れるためなんだと。
理性で考えるのではなく、そういった実に動物的で本能的な動機から生まれたものだとしたら。
相手のことが好きだから結婚するわ~、というシンプルなものでいいんです。経済的な重荷とかそんなのは考えなくていい。
生活のためとか、有意義に生きるためとか、そんな御大層な御託は二の次で、単純に、ただ単純にヒマで寂しいから好んでそうしてるだけだと。
そのほうが考え方としてとても気楽で、生きやすくなるのではないでしょうか。
私にとってそれくらいの気持ちのほうが、不安やうつ、パニック障害を背負う上でも気楽で生きやすいです。