今回、大阪都構想がまたもや否決されましたね。

 

私は大阪市民であり都構想に賛成の立場です。

 

5年前にも同じようにブログに書きましたが、今回も実に僅差で否決されることになりました。

 

そしてまた、同じように60代・70代の反対派多数によって、50代までの賛成派多数の支持が負ける結果になってしまった。

 

ある意味、大阪市民の老意が打ち勝った結果と言えるのではないでしょうか。

 

 

しかし、これもまた民意。

 

しかも2度も僅差とはいえ負けてしまったものは、もうしょうがない。

 

 

今回、維新の都構想が破れてしまった原因の一つは、維新がここ数年間で二重行政などの問題を解決してきた結果が、ここからさらに市を廃し特別区にしてまで、二重行政解消を推し進めることに、少なくはない財源を使いながらも行っていくことにメリットがあるのか、という有権者の迷いが民意として関係したのではないかと思います。

 

つまり、松井市長、吉村知事の二重行政解消の過去の頑張りと結果が、「二重行政もうだいぶ解消されてんからええやん!」という意見を生み、市を廃してまで二重行政解消を謳うメリットを薄めさせてしまったような、皮肉な結果を招いてしまったんじゃないかと思います。

 

それが、有権者が大阪市の現状維持を求めることに至ったのではないでしょうか。

 

 

 

たしかに今現在の大阪は、大阪府知事と大阪市長が足並みを揃えて行動できているから、二重行政などが起こりにくい状況にあります。

 

しかしそれは、たまたま松井市長と吉村知事の意見が合っているから、可能なだけであって、彼らが任期を終えた後もその方向性が保証され維持されるかどうかなんて誰にも分らないわけです。

 

また意見の違う知事と市長に戻ってしまったら、二重行政はまた起こりえます。

 

それを構造的に起こりにくくさせるのが都構想の大事なところであって、肝であったと思います。

 

 

 

今の大阪の体制はいわば、一つの国に知事と市長という王様がいる。つまり同じ国に力のある国王が二人いるものだと思います。

 

この二人の国王の仲が良いから、たまたま上手くいっているのであって、今後、仲が良い国王二人が任命されるとは限りません。

 

仲が悪い国王二人が、同じ国にいれば当然意見は割れます。

 

意見が割れたら、政治・行政の膠着状態が起こり、行政の進み方が鈍化します。

 

政策も中途半端に終わったり、巨大な財政の無駄が生まれます。

 

そして二重行政の不安の種は、国王が二人いる構造である限り今後も残り続けることでしょう。

 

 

 

選挙後半の大阪自民党、共産党、マスメディア、役人の動きは、私には異様に感じました。

 

まるで既得権益にしがみつこうとする、醜い最後の抵抗のように感じました。

 

選挙間際に、都構想の費用が過大にかかるという誤報をおかしてまで、大阪市財政局と毎日新聞が反対をあおったことなどもそうです。

都構想に218億円かかるというデマを市財政局と毎日新聞はこしらえました。これで反対派が勢いづき、形勢逆転の機会を作ったといわれています。こんなことが法治国家日本、先進国日本で許されていいのでしょうか。既得権益側の横暴を許してもいいのでしょうか。

これは世紀の大誤報といえると思います。こんな稚拙なことで簡単に世の中の大きな流れが歪められてしまう。選挙の大勢が決してから、選挙が終わってから市や毎日新聞が虚偽を謝罪したところで、もうすでに遅いんです。これはもう民主主義や選挙制度への明らかな違反であり反逆であり、挑戦です。嘘で票を釣って結果に反映させるという、これは前例があってはならないものです。公平公正に対して、永久戦犯の罪くらい重罪だと思います。

 

 

日本の地上波を中心とした大マスコミについて、私はもはや信用していません。偏向報道にまみれています。諦めかけてもいます。もはや電波オークションを行っていくしかないと考えています。ネットの普及で威力を弱めたとはいえ、いまだにテレビが持つ世論を動かす力は強いです。しかし電波オークションを行うにあたって、当然、テレビ局の既得権益側の大反対にさえぎられる戦いになることは必至でしょう。

世界の先進自由主義各国で電波オークションが行われずに、一定のテレビ局によるテレビ放送の独占状態が続いているのは日本くらいです。これは日本がこれから直面していかなければならない、最大の既得権益問題の一つと言えるでしょう。

マスコミの影響力は生半可ではないのですから、必ず風通しを良くする必要があります。

 

 

もうすぐアメリカ大統領選挙ですが、これの報道も日米の大メディアともども非常に報道が偏っているように思います。世間の人は新聞や地上波テレビなどを見て、一方向に世論が歪められているように感じるときはないのでしょうか?

まずはその違和感を肌で感じることから、これから生きていく人は訓練されていくべきなんだと思うんです。

情報が簡単に手に入れられる時代になったからこそ、なおさらだと思うんです。

目の前の情報が必ずしも正しいとは限らないと、常に心のどこかで思わなくてはならない。

私たちの何気ない選択が、何気なく世の中を、政治を、生活を変えてしまうからです。

 

 

私は一党独裁など、政治の座が長く続きすぎると、必ず政治は腐敗するものだと認識しています。もちろん短期政権では政策が中途半端になってしまうので、ある程度の長期政権は必要だと思います。

 

何が言いたいのかというと、つまり政治の場の風通しは、たまに良くしないといけないということです。

 

10年前くらいに自民党が与党から転落して、民主党が与党になったことがあります。

民主党の政治は最悪でしたが、その後与党に返り咲いた自民党の政治は、与党転落で風通しを受けたことでだいぶマシになったと思うんですよね。

 

大阪も同じです。大阪の政治が維新になったことで、かなり無駄が減り、既得権益が減りました。最悪だった大阪の財政が少し持ち直しました。風通しが効いたと認識しています。

無論、大阪市も同じです。

長い大阪市の歴史で、役所内外にはびこった既得権益を風通しを良くすることで一掃する機会だったんです。

大阪はその機会を逃してしまったんだと思います。

 

 

とはいえ・・・くどくど言ったところで、結果的に民意で負けたんだから、今さら何を言っても始まらないですよね。

 

 

今後、吉村知事、松井市長が任期を終えてから、大阪がどう動くのか。維新がどう動くのか。大阪市、府民がどう動くのか。

 

都構想反対派の大阪自民党や共産党、立憲民主党、れいわ新選組などが、二重行政などが起こりにくい代替案を考えてくれるのか、そのあたりが大阪、強いては日本の未来の今後を占うことになるのかと思います。

 

大阪市民が選んだ結果なんだから、同じ大阪市民が責任を取らないとならない。

 

それが民主主義のありかたに違いない。