ここで紹介する作品は、宮沢賢治の小説の代表作「銀河鉄道の夜」を85年にアニメ映画化したものです。


僕がはじめてこの作品にふれたのは、小学校4年くらいの頃、体育館に集まってみんなで観たのが最初でした。

当時思ったのは、映像が美しいながらも、作品の意図するところがよくわからず、結局何だったんだろう?と思ったことが最初の感想でした。



ただ、最後。。。


映画の最後にあったある出来事に「いったいなぜ???」とわけがわからなく、学校の帰りも胸の奥にずっと鈍い痛みを抱え、分からないまま十数年間放置された思い出になっていました。


僕が23歳になったある日、DVDショップでこの作品を見つけ、もう一度観てみようという気持ちになり、買いました。

なにしろ、あの有名な宮沢賢治の代表作だし、子供の頃の胸の痛みをもう一度知りたかったというのがありました。


その後、小説も購読し、このアニメ映画版のサントラも買いました

サントラはかの巨匠、細野晴臣さんが作曲されています

非常にこのアニメ映画を、よく表した音楽だと思います

また同作品のようなテーマを扱った、宮沢賢治の作品「グスコーブドリの伝記」にも出会うきっかけとなりました


この先ネタバレの部分けっこうあります、お気をつけてお読みください

↓アニメ映画「銀河鉄道の夜」予告篇



病気の母親をもち、どこか遠いところで監獄に入れられたと噂される父親をもつ、貧しい家庭の男の子。それが本編の主役となる少年ジョバンニ。
そして、父親の噂によって学校でいじめられているジョバンニ。
学校の授業が終わって、みんな遊んでいる中、家の貧しさから活版印刷所で働きに行くジョバンニ。
そのお金で病気のお母さんにミルクを買ってあげている。


すっかり話しのスジは忘れてしまっていましたが、僕が少年だった当時を振り返りながら観て、思い出していました。

映画の中の時は非常にゆっくり進んでいくかんじで、独特な不思議な間があり、孤独感があり、貧しさがあり、純粋さがあり、映画が進んでいきます。

理屈を求めながら映画を観たい人には不向きかもしれません。

ただ、眺めるように観て感じる映画のように思います。


同級生と出会う度に、話しかけようとしても、お父さんのことでからかわれるジョバンニ
みんなでジョバンニを笑って走って向こうへ行ってしまうクラスメイトたち

一人ポツンとたたずんでいるジョバンニ

観ていてすごく寂しい・・・孤独感

しかし、なぜかその孤独感に心地よさを感じている自分をも見つける

不思議なかんじです

これから何かが起きるべき予感を感じているからでしょうか、それは分かりませんが・・・


ジョバンニにはたった一人ともいえるべき、親友のような友がいます。

カムパネルラという名の少年

カムパネルラだけは、彼をバカにすることはありませんでした


ジョバンニは町の祭りに参加することもなく、お母さんのミルクを取りにいきます。

その途中、ある草原で寝そべって夜空を見ていると、不思議な光が

銀河鉄道が轟音と共にやってきます

ジョバンニは銀河鉄道に乗り込みます


汽車の中には、なぜか町の祭りに参加していたはずのカムパネルラがいました

そして、カムパネルラとの銀河への旅が始まるのです


カムパネルラはなぜか思い悩んでいます

ぶつぶつと一人で、自分のお母さんに謝っています

ジョバンニはそれを不思議に思いながらも、カムパネルラと旅を続けます


幻想的な世界

ただただ美しく、彼らは不思議な体験をしていきます

孤独から離れ、彼ら二人が純粋に共有できる世界

共有する様々な物語


物語の中で、ジョバンニたちは汽車の車窓から外に、見渡す限りの青空の中、地平一面に黄金色に輝くとうもろこし畑を目にします

その時に流れるドヴォルザークの「新世界交響曲」

僕が小学生の時、放課後に学校から流れていた曲です

僕は夕暮れの中その曲を聴きながら、一人家路についていた記憶が蘇り、何かシンクロして少し涙が出そうになりました。


ジョバンニは車窓から、過ぎ行く汽車を見つめているもう一人の自分を見つけました


汽車はまた進んでいきます


そして、永遠に続いていく幻想世界


しかし、物語には終わりがあります


例によって、僕が子供の頃に、わけもわからず胸を痛めていた箇所


ただ、ぼーっとなって成り行きを眺めていました


やはり胸が痛くなりました


胸が熱くなりました


寂しくなりました


本当に美しく、純粋な心を綴った物語でした


子供の頃に観ていてよかった・・・

そして大人にならないと分からない部分が、けっこうありました


宮沢賢治が、この小説で最も伝えたいことは、おそらくは「自己犠牲」

他にも孤独や貧困、幻想性、純粋性、別離、いろいろあると思いますが

やはり「自己犠牲」が大きなテーマなのではないでしょうか

それが小学生の僕には、少し分かりづらかったのです


僕はいまだに「自己犠牲」が良いものなのかどうか、それは分かりません

はたして胸をはって「それは良いものだ!」と言えるかどうか、僕の頭では分かりません

しかし、そのテーマが人々の心を打つのは事実だし

時には涙する人もいます

それだけは確実に「確か」なんだと言えます


このテーマを考えることは、人が持つ「宝」となるのでしょうか


分かりませんが、考える価値のあること


そのように思います


「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのように、ほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」


カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。