寒い日々が続きますねー

 

 

いやあもう、職場のくそったれな義理の付き合いであったり、くそったれ接待、

 

 

くそったれ先輩であったり、仕事そのものであったり、精神削られてる日々です。

 

 

 

 

もうね、私はやっぱり基本的に人が嫌いなんだと実感しますね。

 

 

もちろん人の温かい部分にふれることもあるし、助けられてるし、人には良い部分もたくさんある。

 

 

でもくそったれだと思うことのほうが圧倒的に多いような気がします。

 

 

もちろん私自身も、人に言わせればくそったれな部分がたくさんあるんでしょう。

 

 

人のことを好きになりたいけど、同時に嫌いで恐れを抱いている部分がある。

 

 

人にあまり期待しすぎないことが大事ですよね。

 

 

でも、生きている限り、人と関わらないとしょうがないから。

 

 

付き合いの深い人は、あくまで手の届く範囲の人で十分だ

 

 

こんな考え方して、生きてて何が楽しいんだって思われちゃいますね(笑)

 

 

 

 

 

明日、目が覚めたら「やっぱりいつも通り生きてる」

 

 

別に目覚めたら、世界は滅んでるもなく、いつも通り続いてる

 

 

これって最高に安心なことであると同時に、永遠に続く地獄に感じられるときもあるんです。

 

 

これ聞いて「ん?何を言ってるのコイツ?」って思う人が大多数だと思います。

 

 

たぶんほんの一部の人には、私のこの言葉、刺さると思います。

 

 

幸か不幸か、日常は何の変哲もなく続いている

 

 

 

 

でも逆に言うと「だから生きないとしょうがない」んですよね。

 

 

 

 

私は終末期医療の場で働いていたから、余計にそう思うのかもしれない。

 

 

 

 

生きている理由なんてそんな大それたもんじゃない。

 

 

たまたま生きてたから「生きる」 それも立派な理由だと思うんです。

 

 

地球上の多くの生物がきっとそんな理由で生きてるわけで、「人間だから高尚な理由がある」なんてのは思い上がりかもしれない。

 

 

 

朝、目が覚めなくても、別にいいんですけどね(笑)

 

 

 

 

 

「ひゃくえむ。」、劇場版がネットフリックスで配信されているらしいですね。

 

 

私はDVD出たら即買います。

 

 

 

 

さて、「ひゃくえむ。」といえば「本気(ガチ)」の尊さを描いた作品!

 

 

みなさん「本気(ガチ)」になれてますか?

 

 

私は微妙です。

 

 

「本気(ガチ)」になることがシンドくなることもありますよね。

 

 

毎日毎日、「本気(ガチ)」になるというのもシンドイ。

 

 

そんな毎日を続けてたら、早死にします。

 

 

そもそも「本気(ガチ)」になれること自体が少ない。

 

 

「本気(ガチ)」になれること、なんでもいいと思うんですよね。

 

 

そりゃ映画の100m走くらいに、人生凝縮して「本気(ガチ)」になれることがあれば一番いい。

 

 

自分が本当に好きなことであったり、時間を忘れてしまうくらい「本気(ガチ)」になれたり、

 

 

その道がとても困難な道であったり、だからこそ達成できたとき脳汁ドバドバになれる。

 

 

そのために捧げてきた努力、時間、熱中度や達成感、喜び、そして自分のアイデンティティーに深く根差すようなことであればあるほど、それに比例して「本気(ガチ)」になれる時の幸福感も増すように思います。

 

 

でもなかなかそういうものって見つからない。

 

 

だから実際問題、日常の中で自分の中の小さな「本気(ガチ)」を探すしかないのかなと思います。

 

 

たとえそれが、自分の喜びに根差してなかったとしても・・・

 

 

 

 

私の場合は例えば仕事

 

 

はっきりいって自分の仕事に「喜び」なんてものは皆無に近いです。

 

 

でも仕事だから、お金もらってるから、人や組織に対して何か貢献できるようにならなきゃしょうがない。

 

 

先輩や上司に怒られないように、「本気(ガチ)」にならざるをえない。

(なんてめっちゃショボくて情けない理由(笑))

 

 

でも自分には、今これくらいしかないんですよね。

 

 

はっきり言って「ひゃくえむ。」のような立派な「本気(ガチ)」なんか、そこには存在しない。

 

 

喜びのない「本気(ガチ)」って悲しい(笑)

 

 

むしろ不安や恐れに突き動かされて、無理やりふるえながら「本気(ガチ)」にならざるを得ないかんじ(笑)

 

 

でも器用さも技術力も才能も経験も頭の良さも根性もコミュニケーション力も若さも、人間力も、まるでない自分にとっては、

 

 

 

 

 

 

あとは「本気(ガチ)」になるくらいしか手札が無いんですよね(笑)

 

 

 

 

 

手抜きしてる余裕なんかないんですよね。

 

 

 

 

 

 

悲しいことに!!!

 

 

 

 

 

自分に残されているのは「一生懸命さ」しかない!

 

 

 

 

じゃないと人や仕事や社会に置いてかれてしまうんです。

 

 

なんとかしがみ付いてくしかない。

 

 

それだけ。

 

 

でも、そんな情けない「本気(ガチ)」ではあるのだけども・・・

 

 

「本気(ガチ)」になった後に後悔はしたことがないんです。

 

 

そのときはめちゃくちゃマイナス思考で、けっきょく後で失敗してて、怒られたりするんだけど。

 

 

情けない、滑稽な姿の「本気(ガチ)」かもしれないけど、そのときは夢中になって仕事してる。

 

 

不器用なりの、そんな自分を私は褒めてあげたいんです。

 

 

 

 

よく「本気(ガチ)」になって一生懸命やったね!

 

 

 

 

だって、他に誰も褒めてくれないんだもん(笑)

 

 

 

 

 

ただ、回を重ねていくごとに、スローペースではあるが、少しずつ仕事に慣れてきている自分がいることもたしかなんです。

(本当の本当に少しずつなんだけど(笑))

 

 

現状、私の「本気(ガチ)」なんてものは、むちゃくちゃスケールが小さく、臆病でちっぽけなものなんです。

 

 

「ひゃくえむ。」なんかと比べるべくもない。

 

 

でも、そこにせめてもの価値を見出していきたい。

 

 

今、私にはそこしかないんですから。

 

 

 

 

 

せめてもの「推し活」みたいに熱中して「本気(ガチ)」になれるようなモノがあればなー

 

 

無いんですねー、私にはまるっきり

 

 

だから「推し活」で夢中で「本気(ガチ)」になれてる人とか見たとき、うらやましく思ったりもするんです。ほんま

 

 

 

 

明日きっと、目が覚めると同時に、やっぱり昨日の続きである今日を生きることに直面して、「本気(ガチ)」になるための準備をして仕事へ向かうことになるんでしょう。

 

 

 

 

でも毎日毎日、今日も「本気(ガチ)」にならねば!って体を奮い立たせて出勤するの、シンドイんですよね・・・

 

 

特に週のはじまりの朝

 

 

ああいやだなあ

 

 

毎日、戦場に向かうような感覚

 

 

せめてもの、こんな日々を繰り返しながらも、すこしでも仕事に慣れ、自信をつけ、リラックスしながら出勤できるようになりたいです。

 

 

 

今回、「ひゃくえむ。」にあまり関係ないような、個人的な内容で申し訳ありませんでした。

 

 

次回くらいには、ちゃんと本編の内容にもふれていけたらと思います。

 

 

私の「本気(ガチ)」の現状でした_笑い泣き

 

 

前ブログで、ガチ(本気)になれることの魅力を書きました。

 

 

たとえ失敗しても、その時ガチで向き合っていたなら、後になってきっと良かったと思うはず。

 

 

中途半端に手を抜いてやってたら、納得できないままモヤモヤしてると思う。

 

 

ガチでやってたからこそ、たとえ失敗しても全力を出せたんだから納得できるんだと思う。

 

 

なかにはガチで向き合って失敗して、カッコ悪いとか思う人がいるかもしれない。

 

 

あのときの自分は全力じゃなかったんだと言い訳できるから。

 

 

でもそんな保険はいらない。

 

 

誰にかっこ悪いと思われようが、結局は自分が納得できていたかどうかなんだから。

 

 

絶対にガチの人生のほうが楽しいと思う。

 

 

自分に納得がいく人生のほうがいいはず。

 

 

もちろん、あらゆる物事にガチになる必要はない。

 

 

そんなのシンドイだけだ。

 

 

自分の好きなこと、自分がガチになると決めたことに、素直にガチになれたほうが楽しいに決まってる。

 

 

 

前回、ブログにて考え方の転換 『PERFECT DAYS』 幸福について①を書きましたが、今回はその②です。

 

 

前回は映画『PERFECT DAYS』についてご紹介させていただきました。

 

 

今回は漫画「ひゃくえむ。」について。

 

 

昨日、1人で映画館へ観に行ってきました。

 

 

映画も相当素晴らしい!漫画では表現しきれない迫力がすごい!

 

 

 

 

そしてOfficial髭男dism「らしさ」がものすごく映画にあっていて良い!名曲!

 

 

↑YouTubeの字幕アイコンを押せば歌詞が画面に表示されます。
 

これ一度、Official髭男dism「らしさ」の歌詞も見てほしい。

 

 

 

 

作曲者・作詞者である藤原さんも、絶対この作品の原作をよく読んで書いてるよね。

絶対、自分にもこの作品の内容とリンクする部分があったんだと思う。めっちゃ気持ちが入っているのが分かる。

おそらく、藤原さんがこの作品を読んだうえでの、最高のアンサーソングなんだと思う。

 

 

 

 

 

映画も良いけど、でも個人的にはやはり、原作である漫画のほうが5倍は内容が濃い。

 

 

作者の考えがそのまま詰め込まれているからです。

 

 

入りは映画から入ってもいい、でもそこでびびっと衝撃を受けたなら、漫画も読んだ方が良いです。

 

 

でもこの映画には、原作とはまた違った躍動感と感動があるのも事実であり、結果、両方とも必要ですね。

 

 

たぶん5回くらい観に行っても楽しめる。

 

 

ちなみに原作者は『。-地球の運動について-』を描いた人。魚豊氏

 

 

作者のデビュー作が「ひゃくえむ。」です。

 

 

驚いたことに、21歳のときに描かれた作品だということです。

 

 

諌山創氏のときの「進撃の巨人」にも感じたけど、この若さでこの内容が描けるんだ?

 

 

まったく・・・

 

 

魚豊氏はその頃、「死」についてめっちゃ考えていたそうです。

 

 

哲学的な側面が強い人なのだと思う。

 

 

だいたい処女作にその人の等身大のすべてが詰め込まれた作品が多い。

 

 

だから注目している表現者がいたら、処女作にも注目してみるのが良いと思います。

 

 

映画『PERFECT DAYS』、漫画「ひゃくえむ。」

 

 

両作品に共通するのは、人生において充足感を得るためのコツとなる考え方、その本質が描かれているであろうということです。

 

 

ただし、両者のテーマは「幸福について」という点で同じだとしても、その考え方の角度が全く異なります。(私が主観的に感じたテーマ性なだけであって、両作品の作者にとってのテーマは別かもしれません)

 

 

映画『PERFECT DAYS』だとしたら、漫画「ひゃくえむ。」の考え方といえるかもしれません。

 

 

これはどちらが正解であるかとの問題ではなく、両者とも同時に存在する真理だと思います。

 

 

 

 

 

 

前置きはこのくらいにして、漫画「ひゃくえむ。」を読んで私と照らし合わせ感じたこと

 

 

 

私たちは誰もが何か、1位になることに意義を感じる。

 

 

1位の世界は、自己肯定感のマックスの場所であり、甘美であり、そこからしか見ることのできない、例えようもない世界に浸れることができるのだろう。

 

 

私たちは生きていく上で、否が応でも競争にさらされます。

 

 

今回の「ひゃくえむ。」でしたら、陸上100メートル走の世界における競争。

 

 

100メートル走にかぎらず、あらゆる物事の中で競争は発生します。

 

 

なぜなら、自然の摂理の本質が弱肉強食だからです。

 

 

まぁそれは今回はおいといて、私たちはいつも、いつの時代でも「競争」にさらされる。

 

 

スタートラインにつきたくなくても、気づいたらついてるんだから仕方がない。

 

 

たとえば100m走だったら、小学校の頃からすでにある。

 

 

「ひゃくえむ。」では「100mだけ誰よりも速ければ、全部解決する」という代表的な言葉が出てくる。

 

 

この言葉、主人公トガシが、少年期、社会人期の2回、ライバルである小宮に話すシーンがある。

 

 

これ実は同じ言葉でも、主人公が少年期に言ったときと、社会人期に言ったときで、秘められた意味が微妙に変わってきてるんだと思う。

 

 

少年期に言ったときの意味は

 

 

学校で、クラスで一番速いやつが人気者になれるっていうやつです。

 

 

1位になった。しかしそこで終わりではないことにだんだん気づいてく。

 

 

次からまさに本当の戦いが始まる。

 

 

次は1位を死守するための戦いだ。

 

 

その頃からプレッシャーを感じだす。

 

 

小学校時代は第二次成長期の始まりの時期でもある。

 

 

後から成長することによって追い上げてくる者たちが山ほどいる。

 

 

中学生になり

 

 

運よく1位が保てたとしても、上を見てみる。

 

 

次は地区大会で1位だ。

 

 

次は県大会、全国大会、世界大会

 

 

1位は上を見上げればキリがないのです。

 

 

つまり、いつかは誰もが、程度の差こそあれ、挫折や諦めと妥協を経験することになる。

 

 

世界1位の者以外の99.999999999%の者は世界1位になれない気持ちを持っているんだから。

 

 

それが世間の超大多数なんだから。

 

 

それどころか、たとえ世界1位になった者でも、挫折や諦めを経験したことがあるはずだ。

 

 

いつか人は衰えるし、1位の席を誰かに譲ることになる。

 

 

したがって1位を目指すこと、それ自体は人生の幸福を目指すための手段のうちの一つにすぎないのであって、それが幸福を追求する目的だとは必ずしもそうじゃない。

 

 

 

みんな誰もがサラっと生きていない

 

 

 

 

純粋な楽しさからの行動だったはずなのに、何が楽しくてやってるのか分からなくなってくる。

 

 

そして後からやってきた者に追い抜かれ、追い求めることに疲れ、やがて諦める。

 

 

気づいたらドベ争いの中で戦っていることに気づく。

 

 

そして現実逃避をはじめる。

 

 

他に楽しいことが見つかれば、それでいいのかもしれない。

 

 

でも楽しいことなんか、そうそう見つけられない。

 

 

それどころか、他に様々な精神を削ってくる出来事が、人生には絶え間なくやってくる。

 

 

自分は本当はなにがやりたかったのか分からないまま、社会人となり

 

 

何か分からないけど、現状維持を保ちつつも、「何かあるかもしれない」という淡い希望を抱きながらも日々を過ごしていく。

 

 

やがて自分を保てなくなってくる。

 

 

少しでも安楽な場所を見つけ、次はそこを死守する。

 

 

アルコールに逃げる。

 

 

アルコールで気を紛らわせるのも悪くない。

 

 

でもそんな中でも、生きていればキラっと光る、何か本気(ガチ)になれる瞬間に出会えたりする。

 

 

本気になっているとき、不思議とそのときはアルコールが1滴も必要なくなる。

 

 

何かに本気になる、夢中になるっていうのはそういう特別な瞬間だ。

 

 

そういう瞬間は、アルコールなんかではごまかされない。

 

 

 

「本気になる」そのものの味は、酒の味なんかより格段に旨かったことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

という風なことを漫画「ひゃくえむ。」を読んで、私に照らし合わせ考えさせられた。

 

 

 

 

 

 

 

ラスト近く主人公トガシは、挫折を味わい目的を見失ったライバルに、100m走を何のために走っているのかを問われたとき

 

 

 

「真剣(ガチ)になるため、それ以外いらない」と説いた

 

 

 

実にシンプルだ。

 

 

ずっと何のために走っているのかが分からず、苦しみ続けた主人公だが、

 

 

10数年走り続けて、やっと出た答えだった。

 

 

人生、ガチになれるものがあることほど、最高なことはない!

 

 

私は読みながらそう思った。

 

 

 

主人公は続けて語る。

 

 

「自分を振り返ると、なんだかテンパってる人生だった。

 

 

孤立や敗北を恐れたり、逆に負けねえって開き直ったり

 

 

そのせいで現実を直視しなかったり、誰かが見てくれてるとか妙な信仰したり

 

 

まぁそんなこんなあって、やっと真理にたどり着いた

 

 

人間(おれら)は最後まで自分の心しか理解できないし、誰にもどこにも居場所なんてない

 

 

連帯も共感も愛情もすべてこっちの思い込みだ

 

 

そして極めつけに みんな 絶対 死ぬ

 

 

冷静に考えたら、こんなヤバイ話ってないよ

 

 

そんな真理が俺らを絶えず不安にさせる

 

 

・・・不安にさせる が そんな真理には

 

 

人間(おれら)が本気でいる時の”幸福感”を1ミリも奪えない

 

 

そんなのを今まで散々見てきた」

 

 

 

 

場面は別に移り、伝説のスプリンター財津選手が引退を表明し、マスコミ陣から「将来のスプリンターにメッセージを」とコメントを求められ言った言葉

 

 

 

「選手生活を終え、やっと私は今、断言できる

 

 

100mは一瞬に人生を凝縮させる

 

 

センチのズレで破綻する グラムの違いで破滅する

 

 

緊張で吐くし 酸欠に溺れる

 

 

だが だからこそ得られる高揚がある

 

 

あの距離にだけ許された豊かさがある

 

 

希望、失望、栄光、挫折、疲労、満足、焦燥、達成、喜怒哀楽

 

 

あの距離に全部つめ込んで 極上の10秒を味わえ」

 

 

 

 

そして悟った主人公は、いや主人公たちは、ラストシーンで100mを、「希望、失望、栄光、挫折、疲労、満足、焦燥、達成、喜怒哀楽」その全部を詰め込んで それを表現しながら走っていた。

 

 

 

走るのが、好きだと

 

 

 

 

意外なことに、100m走の決着が見られずに終わる。

 

 

 

おそらく作者は、100mの結果よりも、その過程で本気になって楽しんでいる主人公たちへと、読者のフォーカスを集めたかったのだろう。

 

 

この作品は100m走を題材にした作品だけど、その他すべての物事にも存在する、共通する、人の幸福について語っていると思う。

 

 

この作品は名言が多くて、他にも紹介したい部分がたくさんあるんだけど、長くなってしまうからまた今度近いうち紹介します(笑)

 

 

 

 

 

最後に

 

 

 

人は本気になれることがあっても、どうせダメだからとか

 

 

過去に本気になって失敗した自分を思い出したり

 

 

怖くなったり、不安になったり、面倒くさくなったり

 

 

傷ついたり

 

 

何らかの言い訳を引っ張り出してきて、それを材料にして本気になれなかったりする

 

 

 

 

でも違うんだ

 

 

 

 

成功や失敗などの「結果」、そこに本気になるための価値があるわけじゃない

 

 

 

 

 

 

「本気になれている今!この瞬間!」そのものに価値があり、幸福があるんだ!

 

 

 

 

 

 

本当に本気になれているとき、その瞬間は恐れだって不安さえ感じない この上ない歓喜に満ちているはず

 

 

 

 

 

思考転換するんだ!

 

 

 

 

 

「本気になる」それはその人の生命エネルギー「熱量の高まり」 そのものなんだ

 

 

 

呼吸が早まり、鼓動が高まり、汗がにじみだす

 

 

それは決して「恐怖」や「不安」からきているだけじゃない

 

 

 

本気になれるモノ、それ自体が何であるかにさほど意味はない

 

 

 

本気になれることがあったら、それが何であってもいいんだ

 

 

 

人にどう思われようが関係ない

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に恐ろしいのは、何物にも本気になれなくなってしまったときだ