ラーメンを食べたことのない日本人はいないと思う。どんな人でも、一回くらいは口にしたことがあるはず。でっかい洋館に住んでるシロガネーゼの箱入り娘さんだって、麻布十番にありそうな高級中華料理屋のラーメンなら食べたことある。そうに決まってる。

問題は一般庶民である。
おいそれと高級ラーメンばかり食べてられない僕らは、近所ののれんでラーメンを済ますわけだけど、店選びは重要だ。それは美味い不味いではない。本気度だ。

ラーメン屋の本気度を示す具を僕は知ってる。
チャーシューやスープはどの店も拘るし、麺は製麺屋から仕入れている場合が多い。どの店もそれなりに本気だから比較できない。ではその具とは何だろう。


海苔です。ノリ。


ラーメンが運ばれて来たら、ノリが乗っていても、すぐ食べてはいけなくて、文字通り泳がせておく。麺を啜ること数分、ノリの形を確認してみよう。しわくちゃになってたり、スープに溶けていたら、残念ながらその店はラーメンに対して本気ではない。本気度の高いラーメン屋の高価なノリは、最後まで卸したてのスーツのようにパリッとしているはず。


今日、駅前のわりかし新しめなラーメン屋で、再生紙のわら半紙みたいなノリが一瞬で溶けていく様を見て、僕はこの心理に辿り着いた。
ラーメン海苔論である。

是非参考にしてね、と言いたいところだけどもこれには深刻な欠点があって、せっかく新しい店舗を見つけても、店に入りラーメンが運ばれて来るまで肝心の本気度はわからないところだ。てへへ


自分の将来像って全く思い浮かばないし特にこれといった夢もないんだけど、ひとつだけ、叶えたい小さな思いがある


子供ができたら、大きくなるまで自分の書斎・本棚はとっておきたい


それだけ。


実家の自分の部屋の向かいが納戸で、そこに親父の本棚があった。古くて大きな本棚。好奇心旺盛な中高生の自分にとって、そこには世の中の森羅万象が詰まっていた。



風の歌を聴け、1973年のピンボール、羊をめぐる冒険(村上春樹)

異邦人(カミュ)

竜馬がゆく(司馬遼太郎)

あたりは何度も読んだし、谷川俊太郎の詩集や丸谷才一のエッセイも好きだった。

マンガもいっぱいあった。ギャグマンガ、麻雀マンガ、手塚作品、他多数。

ホーキングが書いた宇宙科学の本は中学生には難しすぎたけど3年くらいかけて理解した。

他にも経済学書、哲学書、競馬の「優駿」、ちょっぴりエッチな本・・・

なんでもあった。なんでも知れた。僕にとってのインターネットだったかもしれない



僕の子供なんてそれこそ何に興味を持つかまるで見当つかないから、まずは僕自身がいろんな興味を持ちいろんな本を読んで、そのうちの一冊でもその子の糧になればいいと思う。



  文庫本開いて文字を読まないで スポーツのこと考えたりする (中田有里)



本に飽きて外に飛び出してくれたら、それこそ本望だ。

初夏の高原近くのサービスエリアで迎えるような、ひんやりとした朝
雀達がチュンチュン鳴いてる
ここが言葉の、もっといえば感情の墓場にならないように、少し気をつけながら書いていきたいと思う


さて、短歌に興味があることは別の場所でちらっと言ったことがあるけれども、ここでは引用したり日記のネタにしたりするかもしれない


  君とあふ以前の日日は消去され君とゐる日が生きてゐる刻 (島内景二)


2人が出会う前の過去を、僕はよく捏造して話す。ある時は2人は幼馴染で、ある時は同じ高校の先輩と後輩。近所に住んでいたこともあったし、同棲していたこともあった

そのどれもが僕の持ち寄った僕の正史なんかよりずっと輝かしくて、現実より価値のあるもののように思えて、それが堪らなく悔しい

そもそも現実に価値はあるのだろうか。僕の持つ過去の価値とはなんだろうか
価値のある偽りの過去で固めれば、現実の僕に価値が発生するのだろうか


とかなんとか言ってみるけど、個人的にはなんでもありだと思ってる。いいじゃない、価値なんかあとから付けたって。アリアリ。後付けもアリ、喰いタンもアリ。人生にチョンボなんてないでしょう?


なんかすごく俗っぽい終わり方になってしまったけど、今夜は新宿で雀士としてチュンチュン哭いてこよう。