門屋方典先生ご逝去

おりしも終戦記念日でした。
先生はクリスチャンで、かつ漢学者でした。
朝礼で、よく故事成語を引用されて、
私達生徒に倫理を説かれました。
詳細についてはもう忘れてしまいましたが、
校長先生の倫理の授業の風景として心に残っているのは、
克己心とは何か、についてお話された授業の場面です。
校長先生のキリスト教的、というより儒教的な雰囲気が好きでした。
「君達は如何に生きるべきか」についてお話されました。
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ミッションスクールでしたので、勿論スペイン人の神父さんもいて、
宗教の時間もありました。
神の存在について、
「時計の部品をバラバラにして何万年振り続けても時計にはならない」
「人間がこの世に存在するのは、神の意思があったからだ」
と説明してました。
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ちょうど今、利根川進の「精神と物質」を読んでいます。
その中にも触れられていますが、若かりし頃、
J・モノーの「偶然と必然」を読んだのを思い出しました。
生命現象、精神活動も、全ては物質レベルで説明できる日がくるだろうと。
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ヴィトゲンシュタインではないですが、
「語りえぬものは語らない」
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門屋方典先生の、今生を如何に生きるべきか、という
その倫理的人生観に対する問いかけが、
不惑の自分には重く響きます。