3月16日(月)
寝不足のままベッドから這い出したぱね。フロントに降りて行き、部屋を交換していただけますか?とお願いしてみる。「ブーン、という正体不明の機械音が響いているのです」と説明すると、もしかするとそれは屋上に設置された何かの設備の音が、天井越しに響いているものかもしれません、とフロントのおにいさん(ぱねのその部屋は最上階だったのだ)。「申し訳ありません。では下の方の階にお部屋を用意します」。というわけで、ぱねはめでたく部屋を引っ越すことになった。
で、ねっむー!!と思いながらこの日、ぱねがまず向かったのは年金事務所。この間60歳を迎えたぱね、基礎年金の繰上げ受給手続きをするのだ。ただでさえ少ない受給額が、繰上げをすることによりさらに減るわけだが、ぱねはスエクローナで受給することになるので、この先さらに進むだろう円安のことを考えると、悠長に65まで待ってはいられない、という気持ちの方が強いのだよ(泣)。そして、年金はスエ銀行口座に振り込んでもらうので、その手続きもしなければいけない。
年金事務所で対応してくれたおねえさんは、ぱねのようなパターンにはあまり慣れていないようだったけど、間違いのないようにと丁寧に調べてくれて、手続きをしてくれた。全てが終わったのは1時間半後。やれやれよかった。ふうー。
この日ぱねは、午後にまたチチハハに会いに行こうと思っていた。本当は妹と一緒に行くつもりだったのだが、なんと甥っ子2号が突如高熱を出して学校を早退してきたそうで、妹はチチハハ面会を断念することになった。
・・・ちなみにこの晩、妹宅では続けて甥っ子1号まで熱を出したそうで。翌日、妹は2人を連れてお医者さんに行き、インフルとコロナの検査をしてもらったのだが、なんと2人ともどちらも陰性だったという。そういえば確か、甥っ子2号は去年の今頃にも謎の高熱を出していた記憶があるんだよな・・。なんなのだ?(涙)
ともかくぱねは、1人でホームに向かった。ハハのためにまた小さなお花を買い、土曜日のお花と一緒に花瓶の中に入れてこよう、と思う。そしてチチのためには、センバツ用のガイドブックを購入。
チチハハのところで1時間ほど過ごし、じゃあまた来るねー、と別れてきたのだが、私の姿が見えなくなると同時に、おそらくハハの頭の中からは、私が来ていた事実は即座に消え去るはずだ。こういう記憶のなくなり方・・というか、「記憶できない」状態というのは、幸せなことでもあるのかもしれないな、と思う。今のハハの表情を見ていると、「不安」がなさそうなのだ。今の環境の中で満ち足りて生活しているように見える。ハハの人生は、「xxxしなくちゃ」(がんばらなくちゃ、しっかりしなくちゃ)の連続だったはずだが、今、ハハは、「xxxしなくちゃ」から、やっと解放されたのだろう。私や妹がそばにいないことにはハハは慣れているし、ハハにとっては「お父さんが近くにいること」の方がよほど安心材料なのだろうな・・
チチの方は、ハハほど簡単ではなさそうだ。「大学に行かなくちゃ」というセリフは、ぱねが面会に行っている間は出なかったが、チチの場合、長期記憶がかなりグチャグチャになっているように見えるのに、なぜか短期記憶は機能しているようなのだ。つまり、去年の3月5日に福島を離れてこちらに来たことは「覚えている」し(しかしその割には「大学に行かなければ」なのだがorz )、今いるホームが横浜市にあることも「覚えている/知っている」。去年の3月まで、福島で保っていたルーチンが、こちらに引っ越してきてから一気に「消えてなくなった」ことに、脳みそが対応しきれなかったことも影響しているのかもしれない。特にお金の管理ね・・。我が家では、家計管理はずっとチチの仕事だったので、チチは福島末期までお金も管理していた(まあ実際にはもはや「できていなかった」が、チチとしては「しているつもり」だった)のだが、それも今はチチの手元を完全に離れ、全て妹が管理している。それがなんとなく不安なのかもしれないな。今までずっとやっていたことを「やらなくなってしまった」んだもんね。
チチハハを、半世紀以上暮らした福島市から/30年以上暮らしたマンションから暴力的に「引き剥がした」ことに、もちろんぱねの良心は痛んでいる。でも同時に、これ以外に方法はなかったこともわかっているし、チチハハのどちらにとっても、これが最善の選択肢だったことに疑いの余地はないこともわかっている。ぱねの心が、特にチチのことを考えるとシクシクと痛むのは、ぱねがチチに性格が非常によく似ているためもあるんだろうな。そして、ぱねの人生において常に最大かつ最強の「羅針盤」であり続けてくれたチチが、こんなふうに衰えていくことを見る切なさは、どうしようもない(涙)。チチは今、自分なりに人生を少しずつ片付けようとしているのだろうなと、ぱねは想像している。
この月曜日は、友人たちとの会食の約束はなかったので、チチハハとの面会後、ぱねはやっと遅い昼食を食べることにした。どこで何を食べよう?と思いながら、ホームの最寄り駅まで行くと、そこには日高屋が。
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・・・中略・・・
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というわけで、五目あんかけラーメンを平らげました。おいしかった!ラーメンは、ぱねの「食べるべきものリスト」のなかでも「できるだけたくさん食べておくべし」というカテゴリーに入っているものなのであります(鼻息)。
そしてこの夜、ぱねはなんと10時間眠ったのである!前夜の寝不足を一気に取り戻す爆睡を成し遂げたぱね、おかげで
3月17日(火)
は、すっきりさっぱりのスタートでありました。
この日は、久しぶりの再会となる友人とランチの約束がありました。食べるのは中華であります。混むかもしれないから、少し早めに行きましょう、と、待ち合わせは11時半。
そもそも、この友人Aさんとは何年ぶりの再会になるのか、ぱねにはいまいちわからなかった。最後に会った時のことはよく覚えているのだが・・あれはいつのことだったやら?と思い、Aさんに尋ねてみると、10年前のことだったらしい。その後の10年の間、私とAさんの連絡はほぼ途絶えた形となり、ひさーしぶりに去年の夏にメールが来た時、ぱねはものすごく嬉しかったのだ。Aさん、どうしているかな・・・と、ずっと考えていたから。とにかく、会いたい人、会える人には、会える時に会っておくのだ!そもそも、友人に会えることって、当たり前じゃないんだよ・・
ぱねは、横浜発祥のラーメン(そう、またラーメン)(好きなんだから仕方ない)であるところの「サンマーメン」を初めて食べた。それと、フキノトウの揚げ物。フキノトウは、やっぱり日本の早春の味よね。
そして私たちは、みなとみらいの方向にテクテク歩いて行き(というかぱねはAさんについて行っただけ。Aさんもまた、ハマっ子なのである)、ひさーしぶり(これまた何年ぶりか全く記憶にない)のみなとみらい地区で、帆船を眺めながらお茶をした。この時に気がついたのだが、日本の飲食店では、QRコードでの注文が増えているみたいね?そういえばこういう方式は、スエでは見たことないような気がするんだよな・・デジタル化に関してはスエはかなり進んでる方だと思うが・・
と考えてみたところ、答えはおそらく「スエのレストランやカフェは、高級なところを除いて全てセルフサービスである」ところにあるのだろうという結論に達しました。そもそも席までスタッフが注文を取りに来るという仕組みが最初からないんだなorz。
お茶をした後、Aさんはぱねを連れ、山下公園方向に向かって「よこはまミニ歴史散歩」をしてくれた。幕末の開港の舞台だった横浜は、東京とは全く異なる近代化の歴史を辿ったのだ・・ということ、歴史を考えれば当たり前のはずだが、ぱねは全く考えたことがなかった。ぱね自身、首都圏には大人になってから引っ越してきた「よそもの」であり、首都圏に住んでいた頃に周囲にいた友人たちにも同じような「よそもの」が多かった。ハマっ子の友人は、先日崎陽軒バイキングにぱねを連れて行ってくれたKさんと、このAさんが初めてなのである。そしてAさんは、とにかくいろんなおもしろいこと(それも、ぱねが全く知らない世界)を、たーーーくさん知っている。その博識ぶりは、聞いていて飽きないのだ!
Aさんが、そのミニ歴史散歩の最後に連れて行ってくれたのが、このビルでした。
横浜インペリアルビル
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まるで映画のような、ジブリのアニメにでも出てきそうな雰囲気の世界だったよ(涙)。感動。1930年の竣工というから、まさにポアロの時代だなあ。1階の入り口隣には、小さなギャラリースペースもあって、そこを借りて個展を開催することもできるそうです。
Aさんとはその後、関内の駅の近くでお別れ。これまでは関内といえば「確か中華街がその近く」くらいのイメージしかなかったが、Aさんとのお散歩により、やっと位置関係の地図が頭の中にできあがったような気がするー!:-)
3月18日(水)
この日は午前中にドイツ語プライベートレッスンをしたのち、お昼はみなとみらい地区で友人Uさんと待ち合わせて食べることになっていた。「何が食べたいですか?」と聞かれていたぱね、この日のランチには「ごはん屋さん」を指定していた。「ぱねさんといえばエキゾチックごはんなのに、ごはん屋さんの指定とは珍しいなと思いました」とUさんには指摘されたが、
ぱねが日本に来て食べるごはんが「エキゾチックアジアごはん」になりがちなのは、まずは
1.それはスエでは食べられない
という理由によります。そして、
2. スエで食べられないだけでなく、そもそもぱねは(どこに住んでいようが)そういうごはんは自分では作れない
という理由もあります。
加えて日本では、
3. スエで食べられず、自分でも作れない/作らないが、食べたい。
というものも、食べなければなりません。
この日のお昼にぱねが「ごはん屋さん」を選んだのは、この第3の理由のためです。なぜならその「ごはん屋さん」のランチメニューには、ぱねが絶対に(近いほど)作らない「揚げ物系」があったのだ。
メニューを研究したのち、ぱねが注文したのは「サーモンとアジのフライ」定食。そもそもスエで魚をあまり食べず、揚げ物も作らない/作れないぱねにとっては、これ以上はないお昼ごはんであります。
オフィス街のランチであるため、混み合ってきた頃合いを見計らって私たちは「お茶」に移動。そのお茶の場所は、Uさんが日頃から「入ってお茶したいけど、1人ではとても入れない」と感じていたカフェでした。
Uさんは甘いケーキなどが好きなので、そういう「ケーキとお茶を楽しめるところ」でお茶をしたいという気持ちは大いにあるそうなのだが、「なんか・・1人だと入りにくいんですよ」とおっしゃる。Uさんは男性であり、私よりはずっと若いが、まあ年齢的には中壮年であることは間違いない。それくらいの年齢の日本の男性にとっては、「おいしいケーキを楽しめるようなカフェ」に1人で入るのは、ぱねが想像する以上に気持ちの上で難しいものらしい。
うーむ。悲しいのう・・。性別や年齢といった、自分ではどうしようもない不可抗力的要素による(自縛も含む)縛りは、昔に比べればずいぶん弱くなったとは思うけど、それでもまだまだあるんだろうね。そういう縛りって、誰のためにもならないものだから、早く消え去ってくれればいいなと思うよ、ほんとに。
そのカフェで、私はデザートがわりのケーキを平らげ、Uさんはなにやらおいしそうなフルーツティーとスコーンを楽しんだ。Uさんは仕事の関係でスエに来る機会も多いのだが、前回の2月の来スエの際には、「Semlaセムラ」を心ゆくまで堪能したそうである。
セムラとは。
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残念ながらぱねの口には全く合わないスエの「春の味」orz。Uさんは、スエ名物「シナモンロール(Kanelbulle)」も大好きなんだそうで(ぱねは大嫌い)、なんというか改めて、食の好みというのは人によってここまで違うのかとやっぱり感心するよ・・・・
Uさんと別れた後、ぱねは昨日Aさんとテクテク歩いた街区を再びテクテク歩いてみた。今回、横浜周辺に滞在することにしたのは、「チチハハのホームに少しは行きやすいところ」を選んだためだったのだが、おかげで、これまでは全くといっていいほど土地勘のなかった地域に、少しはつながりができたような気がしている。