ダイエットするに当たって、色々と考えた…
まず思ったのは、
【無理なダイエットは続かないだろう】と言う事。
私は根性無しである。
中高生時代に運動部で根性を鍛えると言う経験もしていない。
…と言いたいところだが、実は中学時代は卓球部に所属していた。
その帯広の中学は、全員が必ず部活に所属しなければならなかった。
何故なら、水曜日の6時間目が【部活の時間】だったからだ。
今思うと変な学校であった。
要は、授業で行う部活と、放課後に活動する部活の2つがあったのだ。
授業の部活は週に1度しか無いので、私は親に『だったら放課後の部活にも所属したら?』と言われ、言われるまま深く考えずに入部した。
…これが悲劇の幕開けである
ぶっちゃけ、私はほぼ卓球などした事がない。
卓球部を選んだ理由だって『ゆるくて楽しそう♪』である。
私は知らなかった…
帯広市は卓球がすごーく盛んだった事を。
卓球部はゆるさとは無縁のスパルタ部活だったのである😭
放課後の練習は言うに及ばず、朝練もあり、日曜日も練習。
体育館が使えない日曜日は、市立体育館に集まって練習。
練習内容も、まずは学校の周りをマラソン。
多分、3キロとか走らされてたと思う。
マラソンが終わると素振りをし、その後は反復横跳びや腕立てや腹筋やスクワットのセットメニューがあり、それを毎日タイムを測り、ノートに記入し顧問に提出。
そしてやっと卓球台で打ち合い…とは行かない。
新人は、半分だけの卓球台を壁につけ、一人で『壁打ち』をし、500回連続をクリアしないとならないのである。

私は卓球などした事が無かったが、他の一年生はそれなりに卓球が出来たので、どんどん壁打ちをクリアして行った。
そして不幸な事に…
部員の数は奇数であった。
卓球というのは3人でプレーできないスポーツなのである。
私は最後に500回をクリアしたのだが、その時には私の練習相手はもういなかったのである。
仕方ないので私は壁打ちを続行するしか無かった。
私の壁打ち記録は伸びに伸び、優に1000回を超える様になった。
もはや壁打ちのプロである。
私は卓球をほぼやった事がない状態で、バックバンドのみの壁打ちを続けていたため…
バックハンドしかできない体になっていた。
その後は、さすがに1人だけ「のけもの」なのは顧問も不味いと思ったのか、ローテーションが組まれて私も壁では無く人間相手に練習できる様になったが、元々下手な上に壁打ちばかり続けていたので、他の1年との差は大きく広がり私は最下位であった。
なんか理不尽を感じてもう部活を辞めたくなっていた。
何とか理由を付けて辞めたかったが、それっぽい理由が見つからずズルズルと続けていた。
何が嫌って、元々体力のない私は部活でぐったり疲れてしまい、元から勉強も嫌いだったのもあり、全然予習復習をしなくなり、成績も悪くなって行ったのである。
そして1番嫌だったのは…

部活でガンダムが見れない事である‼️
私は初回放送の1話からドップリとガンダムにハマってしまっていたのだ。
当時はビデオデッキなど30万円コースの豪華家電で一般家庭には普及しておらず、録画して後から見るなど無理。
そんな生活を4ヶ月続けていた私に…
…何と女神が微笑んだのである!
父が余市支店に転勤になった㊗️🎉🎏🎂🎅
これほど転勤が嬉しかった事はない!
もうこのスパルタ卓球部とはオサラバだ♪
バンザーイ\(^o^)/
そして何より嬉しかったのは
これでガンダムが見れる♪😭
そして、転校先の中学校の卓球部の練習を見た私は…卓球部に入る事にした。
そこには私が思い描いていた『ゆるい卓球部』があった。
まず、学校指定のジャージで練習していた。
前の中学は卓球メーカーのユニホーム着用だったし、靴だって上履きでは無く卓球シューズだった。
そして…
みんな笑っちゃうほどヘタクソだった♪😆ノシ
3年生も相手にならない。
カットしたサーブを打つと、球は全く返って来ない😆ノシ
前の卓球部で最下位だった私は、
『卓球の天才』と呼ばれる様になった(爆
形勢逆転、一発太郎である
私の天下は暫く続いたのだが…
2年生になってクラス変えがあり、ちょっと風向きが変わって来た。
Y君の登場である。
Y君は私と違って頭が良く、テストの際はいつも学年5番以内に入ってる様な奴であった。
…しかし、実は彼は本気を出せば学年1は取れるのにわざと手を抜いて、5位とかに甘んじていた。
親に『頑張って1位取って!』と言わせては、一位のご褒美をねだり、褒美が出ると本気を出すと言う…
それで彼は結構高いステレオラジカセをゲットしたりしていたと言うとんでもない策士であった。
彼は私と似た所があり、ガンダムにもハマっていた。
彼は手先が器用な所も私と似ていたし、音楽の趣味も似ていたので、急速に仲良しになった。
彼はその後卓球部に入り、2人は卓球部のワンツートップになった。
しかし、それは続かなかった。
Y君と私は爆竹🧨に目覚めてしまったのだ(笑
3年になると、海岸に行っては焚き火をし、爆竹で遊び呆けてすっかり部活には顔を出さなくなっていた。
卓球部には後から入った同級生2人が熱心に練習をしていて、私とY君はとっくに敵わなくなっていた。
因みに、一口に爆竹と言っても3種類あり、私とY君は
・🧨鹿爆
・🧨薔薇爆
・🧨虎爆
と呼んでいた。
それぞれ箱に、鹿🦌と薔薇🌹と虎🐯の絵が描いてあった。
検索してみたが残念ながら薔薇爆しか見つからなかった。

薔薇じゃなくて牡丹だった(笑
鹿爆🦌が1番パワフルで好評だったが、徐々に見かけなくなり薔薇爆🌹と虎爆🐯のみになってしまった。
虎爆🐯は不発弾が多くて不評であった。
そんな訳で、一箱分の爆竹🧨をほぐして火薬を取り出して薬莢を作って、パチンコ玉を打ち出す鉄砲を作ったりしてるうちに中学生活は終わりを告げ、
Y君はこのエリアで1番レベルの高い小樽の進学校へ行き、私は歩いて登校できる近所の高校へ進学し、ほぼ会う事はなくなって行った。
そして、高校生になった訳だが…
なんか知らんが、私が『めちゃくちゃ卓球が上手い』と言う過去の話が伝わっており、卓球部の奴からしつこく勧誘を受けると言う受難が待ち受けていたのである😓
私はもう一発太郎じゃないんだよ…

冴えない学生の三木靖男なんだよ…

…
と言う訳で…何の話だっけ?
…ああ、ダイエットか😅
その話は次の講釈で。
続。
まず思ったのは、
【無理なダイエットは続かないだろう】と言う事。
私は根性無しである。
中高生時代に運動部で根性を鍛えると言う経験もしていない。
…と言いたいところだが、実は中学時代は卓球部に所属していた。
その帯広の中学は、全員が必ず部活に所属しなければならなかった。
何故なら、水曜日の6時間目が【部活の時間】だったからだ。
今思うと変な学校であった。
要は、授業で行う部活と、放課後に活動する部活の2つがあったのだ。
授業の部活は週に1度しか無いので、私は親に『だったら放課後の部活にも所属したら?』と言われ、言われるまま深く考えずに入部した。
…これが悲劇の幕開けである
ぶっちゃけ、私はほぼ卓球などした事がない。
卓球部を選んだ理由だって『ゆるくて楽しそう♪』である。
私は知らなかった…
帯広市は卓球がすごーく盛んだった事を。
卓球部はゆるさとは無縁のスパルタ部活だったのである😭
放課後の練習は言うに及ばず、朝練もあり、日曜日も練習。
体育館が使えない日曜日は、市立体育館に集まって練習。
練習内容も、まずは学校の周りをマラソン。
多分、3キロとか走らされてたと思う。
マラソンが終わると素振りをし、その後は反復横跳びや腕立てや腹筋やスクワットのセットメニューがあり、それを毎日タイムを測り、ノートに記入し顧問に提出。
そしてやっと卓球台で打ち合い…とは行かない。
新人は、半分だけの卓球台を壁につけ、一人で『壁打ち』をし、500回連続をクリアしないとならないのである。

私は卓球などした事が無かったが、他の一年生はそれなりに卓球が出来たので、どんどん壁打ちをクリアして行った。
そして不幸な事に…
部員の数は奇数であった。
卓球というのは3人でプレーできないスポーツなのである。
私は最後に500回をクリアしたのだが、その時には私の練習相手はもういなかったのである。
仕方ないので私は壁打ちを続行するしか無かった。
私の壁打ち記録は伸びに伸び、優に1000回を超える様になった。
もはや壁打ちのプロである。
私は卓球をほぼやった事がない状態で、バックバンドのみの壁打ちを続けていたため…
バックハンドしかできない体になっていた。
その後は、さすがに1人だけ「のけもの」なのは顧問も不味いと思ったのか、ローテーションが組まれて私も壁では無く人間相手に練習できる様になったが、元々下手な上に壁打ちばかり続けていたので、他の1年との差は大きく広がり私は最下位であった。
なんか理不尽を感じてもう部活を辞めたくなっていた。
何とか理由を付けて辞めたかったが、それっぽい理由が見つからずズルズルと続けていた。
何が嫌って、元々体力のない私は部活でぐったり疲れてしまい、元から勉強も嫌いだったのもあり、全然予習復習をしなくなり、成績も悪くなって行ったのである。
そして1番嫌だったのは…

部活でガンダムが見れない事である‼️
私は初回放送の1話からドップリとガンダムにハマってしまっていたのだ。
当時はビデオデッキなど30万円コースの豪華家電で一般家庭には普及しておらず、録画して後から見るなど無理。
そんな生活を4ヶ月続けていた私に…
…何と女神が微笑んだのである!
父が余市支店に転勤になった㊗️🎉🎏🎂🎅
これほど転勤が嬉しかった事はない!
もうこのスパルタ卓球部とはオサラバだ♪
バンザーイ\(^o^)/
そして何より嬉しかったのは
これでガンダムが見れる♪😭
そして、転校先の中学校の卓球部の練習を見た私は…卓球部に入る事にした。
そこには私が思い描いていた『ゆるい卓球部』があった。
まず、学校指定のジャージで練習していた。
前の中学は卓球メーカーのユニホーム着用だったし、靴だって上履きでは無く卓球シューズだった。
そして…
みんな笑っちゃうほどヘタクソだった♪😆ノシ
3年生も相手にならない。
カットしたサーブを打つと、球は全く返って来ない😆ノシ
前の卓球部で最下位だった私は、
『卓球の天才』と呼ばれる様になった(爆
形勢逆転、一発太郎である
私の天下は暫く続いたのだが…
2年生になってクラス変えがあり、ちょっと風向きが変わって来た。
Y君の登場である。
Y君は私と違って頭が良く、テストの際はいつも学年5番以内に入ってる様な奴であった。
…しかし、実は彼は本気を出せば学年1は取れるのにわざと手を抜いて、5位とかに甘んじていた。
親に『頑張って1位取って!』と言わせては、一位のご褒美をねだり、褒美が出ると本気を出すと言う…
それで彼は結構高いステレオラジカセをゲットしたりしていたと言うとんでもない策士であった。
彼は私と似た所があり、ガンダムにもハマっていた。
彼は手先が器用な所も私と似ていたし、音楽の趣味も似ていたので、急速に仲良しになった。
彼はその後卓球部に入り、2人は卓球部のワンツートップになった。
しかし、それは続かなかった。
Y君と私は爆竹🧨に目覚めてしまったのだ(笑
3年になると、海岸に行っては焚き火をし、爆竹で遊び呆けてすっかり部活には顔を出さなくなっていた。
卓球部には後から入った同級生2人が熱心に練習をしていて、私とY君はとっくに敵わなくなっていた。
因みに、一口に爆竹と言っても3種類あり、私とY君は
・🧨鹿爆
・🧨薔薇爆
・🧨虎爆
と呼んでいた。
それぞれ箱に、鹿🦌と薔薇🌹と虎🐯の絵が描いてあった。
検索してみたが残念ながら薔薇爆しか見つからなかった。

薔薇じゃなくて牡丹だった(笑
鹿爆🦌が1番パワフルで好評だったが、徐々に見かけなくなり薔薇爆🌹と虎爆🐯のみになってしまった。
虎爆🐯は不発弾が多くて不評であった。
そんな訳で、一箱分の爆竹🧨をほぐして火薬を取り出して薬莢を作って、パチンコ玉を打ち出す鉄砲を作ったりしてるうちに中学生活は終わりを告げ、
Y君はこのエリアで1番レベルの高い小樽の進学校へ行き、私は歩いて登校できる近所の高校へ進学し、ほぼ会う事はなくなって行った。
そして、高校生になった訳だが…
なんか知らんが、私が『めちゃくちゃ卓球が上手い』と言う過去の話が伝わっており、卓球部の奴からしつこく勧誘を受けると言う受難が待ち受けていたのである😓
私はもう一発太郎じゃないんだよ…

冴えない学生の三木靖男なんだよ…

…
と言う訳で…何の話だっけ?
…ああ、ダイエットか😅
その話は次の講釈で。
続。