「ぶるるるる!」

どうやら今日もチュホンはご機嫌ななめのようで しきりに前脚で地面を引っかいては嘶いているようである。
馬の寿命は 平均では二十五年から三十年であり、チュホンはすでに二十を超えている。老馬の域に達しているはずだが チェ・ヨンやウンスの姿を見ると 未だに尻尾をフリフリして『乗れ』とアピールする 気の若さは健在だ。

だが、チェ・ヨンは武官であるが故に 戦に出陣することが多く、鎧をつけた彼を一日中乗せて戦場を駆け巡らせるのは チュホンには酷すぎるため、最近はチュホンにはあまり乗っていない。
ウンスも 以前は乗っていたが、年齢や『チェ・ヨン夫人』としての体面もあって あまり乗れていなかった。
軽い運動くらいにしか駆けることができなくなってしまったチュホンは 少々気を害しているようだ。

・・・では あるのだが。

思いっきり走りたいはずのチュホンが 『乗せようとしない相手』もいるのだ。
それは・・・。

「チュホン、そんなに怒るなよ」
「・・・ちゅほん おこってるの? あにうえ、こわい・・・」
「ああ、大丈夫だ ヨンス。 チュホンはヨンスに怒ってるんじゃないぞ 怖くないぞ」
「・・・ほんとう・・・?」

チェ家の末っ子ヨンスも 四歳になり、そろそろ馬の稽古でも、と思ったのだが・・・。

「ぶるるるる!」
「・・・・・」

・・・どうやら お怒りは解けてはいないらしい。
チュホンに威嚇されているのは自分だ、と自覚があるチェ家の嫡子ウォンは 思わず天を仰いだ。

彼が四歳で姉ミギョンが五歳の頃、(チュホンで)乗馬を始めたばかりで 乗りたくて乗りたくてたまらなくて、ミギョンと順番で乗ろうとしたことがある。
黙って姿を消してしまい、留守を預かる使用人たちは大騒ぎになったらしいが、自分は チュホンに乗せられたまま 皇宮へとたどり着いた。
普段 父チェ・ヨンが使用している東門に 当然のようにたどり着いたチュホンと彼を 門番や厩番が見つけ、近衛隊に連絡がいった・・・らしい。
母ウンスへ 屋敷から自分が消えたという報告が上がるのとほぼ前後して 自分が現れたらしいが、ほんの僅かな間といえども 母は生きた心地がしなかったそうだ。

黙って(大人の目の届かぬところで)勝手に馬に乗ったことで 自分はかなり叱られたし、チュホンにも『大人の立ち合いがなく 子供は乗せないで』と母ウンスは頼んでいた。
・・・それから 約十年。
すっかり大人になったはずの自分ではあるが、チュホンにとっては まだまだ子供であるのか 馬(チュホンでなくても)に乗ろうとすると チュホンに必ず威嚇されるのである。

「・・・あにうえぇ、やっぱり ちゅほん おこってる~~」
「あ、ヨンス!」

四歳になったばかりの子供に 大きなチュホンはやはり『怖い』のだろう(しかも威嚇しているし)。
『初めての乗馬はチュホンで』というのは チェ家の子供たちの恒例であるし 自分がヨンスを乗せてやろうと思ったのだが、十三になったウォンでも チュホンにはまだ子供であるようだ。

「・・・チュホン、俺 もう大人じゃない? 母上よりも大きくなったし」
「ぶるるるる!」
「・・・あ~、ダメっぽいな。 母上に頼むしかないか・・・?」

『チュホンは賢い馬なんだから 馬だと馬鹿にするな』という母の教えが身についているウォンだったが、母ウンスのように チュホンの嘶きの意図までは分からない。
(母ほどではないが、父もかなり分かるらしい。まぁ チュホンは元々父の馬で 付き合いは母よりも長いのだが)

十三という年齢は 天界ではまだ子供らしいが(と母ウンスが言っていた) 高麗では大人の仲間入りできる年齢であり、ウォンも近々近衛隊入りが決まっている。
(幼いころから 副隊長のトクマンやチュモに稽古をつけてもらっているので 今更感もあるのだが、正式に試験を受けての入隊である)
女人としては相当高身長である母ウンスの背丈すらも追い抜き、すでに一人前気分のウォンだったのだが、彼を大人とは認めない伏兵が こんな場所に居るとは、という感じである。

「え? 厩? どうしたの? ヨンス」
「ちゅほんが おこってるの~、ははうえ」
「チュホンが? あら、ウォンまで」
「母上」
「ぶるるるる!」

ヨンスが泣きついたのか 母ウンスが引っ張られて厩に顔を出すと、チュホンは今度はとても嬉しそうに嘶いた。
『ぶるるるる』という嘶きも 尻尾を振る動作も、文字にすれば同じなのに こうも違うのか という感じで。

「チュホン、元気だった?」
「ぶるるるる!」
「うん、私も会いたかったわ。 しばらく来なくてごめんね」
「ぶるるるる!」

母ウンスには甘えるように 鼻をこすりつけてチュホンは嘶く。
ウンスも笑って 持参したらしい野菜くずを チュホンの口もとに差し出し 食べさせた。

「ほら、ヨンス。チュホンは怒ってないでしょう?」
「うん、ははうえ」
「・・・さっきとは別の馬かって思う程 態度変わるなぁ」

母ウンスを厩に引っ張ってはきたものの やはり大きな馬が怖いらしいヨンスは ウンスの後ろに隠れていたが、ウンスに甘えるチュホンの姿に 恐る恐る顔を出す。
ウォンのぼやきを聞いたウンスは、にっこりと勝ち誇った笑みを浮かべて言った。

「そりゃそうよ! ね? チュホン」
「ぶるるるる!」

本当に言葉が通じているのではないかと思う程に、チュホンの嘶きは完璧のタイミングだ。
ガックリと脱力して項垂れる長男の姿を見て、ウンスはチュホンへと向き直った。

「ねぇ チュホン」
「ぶるるるる」
「ウォンは今年十三になったのよ、もう大人として扱ってあげてもいいんじゃない?」
「ぶるるるる!」
「でもね 背丈も私より高くなったし、あの人とかなり打ち合えるようになったのよ?」
「・・・・・」

『あの人』とは 当然父チェ・ヨンのことだ。
勿論 父チェ・ヨンの稽古の相手が務まるほどとは言えないが、ウォンの剣技もなかなかの腕前で 一応父と打ち合いが出来るのである。
(精鋭部隊の近衛隊員でも ほとんどの者は2~3打のうちに 地面に転がされるか剣を叩き落されるか腹に一打を食らうので、それだけでも誇らしいことなのだ)

母ウンスがそのことを知ってるとは思わなくて ウォンは驚いたが、母ウンスは(本人には背を向けているが)チュホンに対し『いかにウォンは大人になったか』を力説していた。

「・・・だから、チュホンもウォンを大人だって 認めてあげてくれない?」
「ぶるるるる」
「ウォンは ヨンスにも チュホンに乗せてあげたいって思ったのよ。私はこの子を抱きあげて乗せるのは 大変だからって」
「ぶるるるる」

近々ウォンは近衛隊に入隊し 住まいを兵舎に移すことになるから、その前に ヨンスをチュホンに乗せてやる役目を買って出たということを 母ウンスはチュホンに説明していた。
すると やや不本意そうではあったものの、ようやくチュホンの同意らしきものを得る。

「わぁ! ありがとう チュホン!」
「ぶるるるる!」

お礼を言って鬣を撫でる母ウンスに、チュホンもまた甘えたような嘶きをする。
母ウンスといる時の父チェ・ヨンも相当普段と別人だと思うウォンだったが、チュホンも相当負けてはいない。

ようやくチュホンのお許しが出て、ウォンは幼い弟を抱き上げると チュホンの背に乗せてやった。
普段落ち着きがないヨンスだったが、緊張しているのか 背筋を伸ばしてチュホンの背に座っている。
ゆっくりと (手綱はウォンが掴んだまま)チュホンを庭一周させている間も ヨンスはしっかりとまたがっていた。

「あら、上手じゃない、ヨンス」
「ははうえ~~」
「・・・おっと!」

今の今まで上手に乗っていたのに 母ウンスの声に気が散ったというか 調子に乗って手を振ったりしたものだから、ヨンスが見事にバランスを崩す。
チュホンも落とすことはしないとは思うが、傍らで歩きながら手綱を引いていたウォンが ヨンスを支え また真っすぐ座らせた。

「あにうえ しゅご~い」
「ちゃんと座ってるんだぞ ヨンス」
「はぁい」

そんな風にして 母ウンスに見守られながら 兄ウォンに乗せてもらった ヨンスの初乗馬は終了した。
自分が不在の時に、と父チェ・ヨンは不満そうであったが ヨンスが上機嫌で父に報告したので 今度は父と乗ろうな、と約束したようだ。

そして やっぱり ヨンスはどうしても馬に乗りたくなって こっそり厩に入り込んだが、チュホンが激しく怒ったために 乗ることはできなかったようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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おまけ (ななすけさんのグルっぽ投稿作)
(テーマ;イクメンのヨン)
注;子供の名前は『レン』になっています。男の子です。
 
 
 
 
「ただいま~」

現代で言うところの『急な呼び出しで休日出勤』で さる高官の急病だと典医寺に呼び出されたウンスが ヘトヘトになって屋敷に戻ったのは 夕刻になってからだった。
本来なら 夫チェ・ヨンと息子レンと三人で郊外に出かけるはずが すっかりおじゃんである。
ウンスはともかく チェ・ヨンはそうそう休みが取れないから、次はいつになるやら、と残念に思いながら門を潜ると・・・。
使用人たちが 慌ただしく行き交っていた。

「・・・チュホン?」
「ぶるるるる」
「何で厩じゃなくって 庭にいるの?」
「す、すみません 奥方様! 今捕まえますっ」

ウンスの帰宅に大慌ての使用人たちは なんとかチュホンを捕まえようと躍起になっているのだが、相手が悪い。
チュホンは 縄で輪を作って投げてもヒョイと避けるような賢い馬なのだ。

「チュホン、皆が困ってるわ。厩に戻りましょう?」
「ぶるるるる」

ウンスがそう言って 優しく鬣を撫でると、チュホンは今までのアレは何だったのだ?と思いたくなるほどに大人しくなり、ウンスに連れられて厩に戻った。
使用人たちは 疲労感だけが残り、ガックリと項垂れたようだったが。

汗を拭いて ブラッシングしてやってから、ウンスはチュホンに尋ねた。

「チュホン、どうして庭にいたの?」
「ぶるるるる」
「え? 旦那様が レンを乗せたの? まだ小さいのに!」
「ぶるるるる」
「そりゃあ、私だってチュホンに乗せてもらって乗馬を覚えたわ。だけど幼すぎる」
「ぶるるるる」
「なかなか筋が良かった? まぁ、あの人の子だしね」

チュホンは『ぶるるるる』しか言ってないのだが、会話が成り立っているように聞こえるから不思議だ。
ウンスは 手慣れた手順でチュホンの世話を焼くと 母屋に戻っていったのだが・・・。

「あらあら」

庭でほったらかしにされたチュホンの大捕り物があっても チェ・ヨンが顔をださないはずである。
一人息子の面倒を見慣れていない彼が どれだけ奮闘したのだろうか?
おもちゃや着替えが散乱し すごい惨状の部屋の中で 大きいのと小さい『ウンスの男』が並んで大の字に眠っていた。

彼女の休みは潰されてしまったが、普段なかなか一緒に過ごすことができない 父と息子が、楽しく(?)過ごせたのならまぁいいか、と ウンスはほほ笑んだのだった。
 
 
 
 
 
 
 
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チュホンつながりで のせてみました(笑)
(ウォンとかヨンスに名前を変えようとは思わなかったらしい)
 
ウォンがチュホンにこっそり乗って・・・という話はどこかと思ったのですが 最近目次を全く改訂していないため わからず(というか探してもいない)
 
あれ、超短文190とかだったよね・・・?
もう230超えてるよ・・・(貯めすぎや・・・)