「・・・でさ、そこの女がスゲェいいんだよ!」
「うわ~、いいなぁ! 俺も行きてぇ!」
「でも 高いんだよなぁ。 俺だってあの妓楼 通いてぇけど 絶対無理」

「・・・・・」

普段は通ることはない 下っ端用の兵舎の後ろ側を チェ・ヨンが近道にと歩いていると、そんな下卑たやり取りが聞こえてきた。
そういう品位を貶めるような発言を チェ・ヨンが嫌う事を知っているチュンソクは、いつ雷が誰に落ちるかと顔を真っ赤にしている。
(部下の監督不行届で 矛先が自分に向かって来ることも覚悟していたようだ)

チェ・ヨンは無言で立ち止ると 後ろのチュンソクへと振り返った。

「聞いたか?」
「・・・はい」
「近衛隊か? 禁軍か?」
「・・・恐らく 近衛隊です」
「鍛錬が足りないようだな。新入りには特に追加してやれ」
「・・・はい」
「あと、鎧の麒麟紋様を汚すような行為は断じて許さぬ。妓楼で女を買うならばともかく、村の女に合意でなく手を出した者は 大護軍チェ・ヨンが鬼剣で斬って捨てる、と通達しとけ」
「はい 大護軍」

そう言って チュンソクは深々と頭を下げた。
言葉だけで(鍛錬の追加は言い渡されたが)済んだのは 珍しい。
大護軍は 横暴な言動や私腹を肥やすようなことは一切ないが、結構蹴りだの拳骨だのを飛ばしてくるという意味で手が早い。

チェ・ヨンが護軍を拝命してから 王命で近衛隊の人数を大幅に増員した。
国境から離れたがらないチェ・ヨンの代わりに チュンソクが近衛隊の実際の指揮を執るようになって久しいが、以前のような少数精鋭ではないために 規律や鍛錬の不十分さが現れているようで 彼はガックリと項垂れた。

「お前が悪いのではない」
「ですが・・・」
「声からして 若い兵のようだ。 そういう意味でも若さを持て余しておるのだろう」
「・・・はぁ」
「昔とは人数が違うから さすがに妓楼での宴を奢ってやるわけにはいかぬ」
「ハハハ、そういうこともありましたな」

チュンソクは チェ・ヨンの軽口に 懐かしい目をして頷いた。
あれはまだ 三代前の忠恵王の頃、・・・いや 忠恵王が身罷られた後だったか?
最低限の仕事はこなすが それ以外は兵舎で寝てばかりいた隊長が、ある日突然 『宴だ』と言ったことがある。
勤務の隊員を除くほぼ全員が 隊長の奢りで 妓楼で宴会をしたのだ。
(後に 隊長の個人的な伝手・・・スリバンの白い奴の実家であると聞いたのだが)
チェ・ヨンが隊長になってから 名ばかりだった鍛錬は相当辛いものになり、貴族のお坊ちゃんが箔をつけるためだけに入隊したような奴らはどんどん辞めていった後で 隊長としては 彼のしごきに耐えたという褒美のつもりだったのかもしれない。
隊長が金を出してくれて 酒を買ったことは多々あったが、妓楼に連れていってもらったのはその時だけで 相当嬉しかったことを チュンソクも覚えていた。
(チュンソクもその時点では 独り身であった。 ちなみに チェ・ヨンは酒を飲み続けていただけで 妓生は全く相手にしなかった)

あの時の人数であっても 金額は相当なものだっただろう。
今の人数では 高麗屈指の家柄であるチェ・ヨンでも できぬと言うのも当然だ。

王の警護のための近衛隊でありながら、こうして国境に派遣されているため 羽目を外しつつあるのかもしれぬ、とチュンソクは思った。
王から 『チェ・ヨンの様子を確かめてきてくれ』と仰せつかり 国境へ赴任しているのだが、全ての隊員が彼のようにチェ・ヨンを慕っているわけではない。
大増員された新入り隊員たちは (一応まだ「隊長」ではあるものの)ほとんどチェ・ヨンと接点を持たないのである。
連日 元赤月隊の部隊長だったチェ・ヨンに徹底的にしごかれた古参の隊員とは違い、たまに鍛錬を視察する程度な接点の(チェ・ヨンが直々に相手をする力量の持ち主がいないため)新入りとでは 彼への尊敬度が違って当然だ。
だが 大所帯になりすぎたことで 団結度が薄くなってしまった気もする。

「・・・妓楼は無理だが、酒を差し入れてやるくらいはできるだろう。 チュンソク、隊員を何名か酒の買い出しに行かせろ。 軍資金はコレだ」
「え?あのっ、大護軍!?」

懐から財布代わりの小袋を取り出して ポンとチュンソクに投げ、チェ・ヨンはニヤリと笑った。
・・・あまり笑みを見せぬ彼だが、ふとたまに そんな風に笑うことがある。
そう、『彼女』がいた頃に よく見られたような・・・。

「チュンソク?」
「あ、はい! ありがとうございます 大護軍! 奴らも喜ぶでしょう」
「ああ」

フッと片頬だけで笑みを浮かべ、チェ・ヨンはスタスタと歩いて行ってしまった。
・・・金だけを出し 彼は飲み会に参加する意思はないようだ。
参加せず 一人どこへ行くのか、それは聞かなくても分かるような気がした。
チュンソクが 折々にふと思い出してしまうように、彼もまた彼女を忘れてはいないのだろう。
彼と彼女とを結ぶ あの天門のある丘へ 行くに違いない。

テマンを呼んで 酒を買い出しに行く隊員に同行し 一部を大護軍へと差し入れるように頼んで、チュンソクはふぅ、と息を吐いた。
自分たち近衛隊が この地に駐屯できるのもあとわずかだ。
王様は 自分たちと共に大護軍も帰京されるのをお望みだが、チュンソクはまだ彼を説得できてはいない。
『王命』になる前に 何とかならないか、できれば 『彼女』が戻って来てくれれば それが一番なのだが。
チュンソクは 仏なのか 天門なのか 誰にかは自分でも分からないまま、それだけを祈ったのだった。
 
 
 
 
 

『大護軍の奢り』の宴会は 兵舎で行われたが かなり盛り上がった。
一応『無礼講』とは言ってあるが、チュンソクらに絡んでくるほど勇気はないと見えて チュンソクはトクマンらと共に静かに飲んでいた。
気が付けば 古参の 大護軍と『彼女』とのあの時間を知る者たちがそこに集まる。
酒は飲まないテマンも チェ・ヨンにつまみと酒を届けてきた後で合流していた。

「大護軍にお届けしてきたか?」
「はい。『気が利く』って嬉しそうでしたよ」
「まだ暖かい時期だから、あのまま夜を過ごされるかもしれんな」
「そうですか? もう一晩中外にいるような気候じゃないでしょ」
「でもまぁ 大護軍だしな」

大護軍があの場所で見張っているからといって それで門が開く訳じゃない。それで彼女がやって来る訳じゃない。
でも それでも、あの場所を離れがたく思う大護軍の気持ちは痛いほどによく分かるから、チュンソクは 彼の不在の間 自分でもできる仕事はなるべく肩代わりしたし、なるべくあの場所に留まれるようにしてきた。
・・・が、あと残る日々は それほど長くはない。
一番焦っているのは チュンソクなのかもしれなかった。

ギャハハハ、と 比較的若い近衛隊員たちが 大きな声で笑っているのが聞こえ始める。
いくら無礼講とはいっても 翌日は普通業務で 朝の鍛錬に支障がでるような飲み方は許されない。
チュンソクが眉を顰め、注意しようとそちらへ向かう。

「お前たち、気持ちよく飲むなら構わんが、明日の鍛錬に支障をきたす飲みはいかんぞ」
「あ、副隊長! ふくたいちょおお!」

酔っ払いも 一人二人ならばまだいいが、集団でこられるとさすがのチュンソクもタジタジだ。
比較的若い隊員たちに囲まれて チュンソクは 酔っ払い相手でも投げ飛ばしていいかと思い始めていたのだが。

「副隊長! どうして大護軍は いらっしゃらないのですかぁ?」
「・・・お出かけになっておる」
「一緒に飲みたかったのに~!」
「あれ? もしかして おひとりだけで妓楼とかいらっしゃってるんじゃ?」
「え~~? いいなぁ! 俺も行きてぇ!」
「馬鹿者! そんなことはない!」

酔っ払いの戯言だと頭では分かっていても つい我慢できずに チュンソクは爆発した。

「そんなことはない! 大護軍を愚弄するな!」

ドス、バコっと 拳骨や蹴りをお見舞いし チュンソクは若い隊員たちに怒鳴る。

「無礼講だとは言ったが、上司を愚弄するような言葉、見過ごせぬ!」
「・・・相変わらず真面目だな チュンソク。無礼講なら いいんじゃないか?」
「・・・大護軍」

怒りが収まらず拳をさらに振り上げようとしたその手を パシッと止められ チュンソクが驚いて振り向くと、話の主チェ・ヨンがそこにいた。

「お戻りでしたか」
「ああ。意外に冷えてきたし、酒が足りん」
「はぁ そうでしたか」

とはいっても テマンに持たせた量はかなりの量だったはずだ。
まぁ 長い付き合いであるチュンソクでも チェ・ヨンが酔っぱらって潰れたなどということは見たことが無いため、いくら量があっても 足りないのかもしれない。

「では あちらに」
「ああ」

拳骨をお見舞いしてやったとはいえ、若い奴らが飲んでいるような場所よりは、と 自分たちが飲んでいた卓へチェ・ヨンを誘導しようとすると 彼もすんなりついてきた。
が、数歩歩いたところで立ち止り まだ(チュンソクの拳骨を)痛がっている若い隊員たちに 言った。

「まぁ 一応言っておくが、俺は 妓楼など行かぬ。 俺の女の代わりになど 妓生にはとてもなれぬからな」
「テ、大護軍・・・」
「一人の女に捕らわれるのも悪くはないぞ? まぁ それだけの女と出会わねば無理だがな」
「・・・・・」

真っ赤になって口ごもった若い隊員たちをそのままに チェ・ヨンは古参の隊員たちの卓へと合流し 飲み始める。
若い隊員たちは チェ・ヨンがそこまで言い切った 彼の女とは 一体どのような女人だろう?と 想像を巡らせたが、それから少し経って 実物を目にし 『ああ、なるほど』と 納得したらしい。
 
 
 
 
 
 
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相変わらず『幕間』が進まないので 禁じ手である『ウンスが不在の四年間』話。
ウンスがいない時期ですが チェ・ヨンがウンスのことを惚気るのが書きたかったのでする。
(だから 本当に書きたかったのは最後の数行w)
それだけじゃ短いので 色々と足していったら・・・って コレ毎回書いてないか?
 
本当に文が上手い人は 書き直しすると どんどん短くなるそうですが(出典は忘れたケド) どんどん長くなるオイラは その域には絶対たどり着かないだろうなぁ(苦笑)
 
 
あ、ちなみに チュンソクは好意的な勘違いをしています。
チェ・ヨンは 赤月隊の恨みがあったため 忠恵王(コンミン王の兄)が亡くなった宴だったようです(;´▽`A``