「おかえりなさいませ 大護軍 奥方様」


夜が明けきらぬ開京の道を 馬が2頭並んで疾走してくる。
皇宮の南門前で 当直の門番を下がらせて 自ら警備にあたっていたチュモは、馬を降りる人影に向かって笑みを浮かべた。


「ああ、朝早く悪かったな」
「重臣たちが大護軍の帰京を騒ぎ立ててしまったゆえ 王様も王命を出したことを言わぬわけにはいかなかったのです。それで民にまで噂が伝わってしまったので スリバンに言伝を頼もうと思っていた折でした」
「・・・わかった」


チュモの説明に納得したように チェ・ヨンは頷く。
ふたりが乗ってきた馬を近衛隊員に預けると チュモは二人を兵舎に案内した。


「大護軍のお部屋は かつてのままにしております。夜明けまでまだ時間がありますので どうぞお休みください」
「・・・だが」
「チェ尚宮様が 夜が明けたら伺うと仰ってました。奥方様のお着替えを手伝いにいらっしゃると」
「・・・ああ」
「王様には チェ尚宮様から お伝えしてあるようです。『朝議で会おう』との仰せでした」
「・・・わかった」


いちいち言わなくても 随分と先回りして 行動できるようになったチュモに チェ・ヨンは内心感心していた。
ここが、トクマンとチュモの大きな違いだろうか。
チュモには任せても トクマンを皇宮警護の責任者にはしない理由が 分かったような気がする。


「・・・懐かしい」
「ええ」
「・・・変わらないのね」
「この4年 俺もほとんどここに戻っておりません。掃除に入ることくらいしかしていないようだ」


かつての隊長室へと案内された二人は 以前のことを思い出し しばし思い出に浸る。
あれから4年もの間 高麗にいなかったウンスは当然だが、チェ・ヨンもまた この部屋に戻ることはほとんどなかった。
国境から離れようとしなかったのも事実だが、開京の皇宮に来る際は 典医寺の奥のかつてのウンスの部屋に寝泊まりをしていたからである。


そのことは 典医寺の者すらも 知る者はほとんどいない事実で、唯一知っていたトギが典医寺を辞めてからは 『王妃によって立ち入りを禁止されている部屋』としか認識されていなかった。
この4年で 典医寺の顔ぶれも随分と変わってしまい 『医仙』と呼ばれた女人のことを知るものは いなくなってしまっていたからである。


「・・・・・」


二人には 甘いようで切ない思い出が残る この部屋。
一つの寝台を分けあって眠ってはいても、互いの想いを伝えることはできずにいた日々だった。
今 こうして 夫婦となって この部屋に戻ったことが 奇跡にも感じる。


「・・・夢みたいね」
「ああ」


寝台に並んで腰掛け、コツンとチェ・ヨンの肩に頭をのせる。
朝になれば 重臣たちが並ぶ朝議の場で 正念場を迎えなければならない。
今から緊張しても始まらないけれど、その嵐の前の ほんのわずかな静けさの中 ウンスは夫の腕の中で 幸せに包まれていた。
















ドンドンドン、という大きな音が 静寂を破る。
寝台で身を寄せ合って 微睡んでいた二人だったが 扉を叩く音に ビクリと起こされた。


「・・・何かしら?」
「叔母上だろう。貴女の着替えを手伝うと言ってた」


大股で入り口へと向かうと チェ・ヨンは扉の閂を開け 叔母を招き入れる。
この部屋に閂がかけられていたことなど珍しく(緊急時に閂での時間ロスを嫌ったチェ・ヨンは 以前はかけたことがなかった)、チェ尚宮は ジロリと甥を睨んだ。


「・・・何だ?」
「閂をかけねばならんことでも してたのかと思うてな」
「ここは近衛隊兵舎だぞ? できるかっ」
「おはようございます 叔母様」


叔母と甥の話を幸運にも聞こえていなかったウンスが、にこにこと微笑む。
新妻の幸せ一杯の輝きはあっても さすがに昨夜は何もなかったのか、迸る色気はなさそうだった。


「着替えはできるだろうが、髪を結うのは無理だろうと思ってな」
「そうなんです! 叔母様に来ていただいて よかったぁ!」


さすがに女官としての生活が長いチェ尚宮は 婚儀のときもウンスの髪を手早く美しく結い上げたのだった。
同じようにできる自信がなかったウンスは 叔母の心遣いに感謝する。


「・・・ヨン」
「何だ?」
「嫁御が支度する。部屋を出ておれ」
「・・・俺は夫だぞ?」
「いいから出ておれ。ついでに部屋の門番でもしてろ。部屋の前に隊員がたむろしておる」
「・・・・・」


チェ・ヨンは 叔母には敵わず 大人しく部屋を出る。
やはり聞き耳を立てていた(あの頃のトルベたちのように)隊員たちを蹴散らすと 彼は 扉の前でため息をついたのだった。

















その日の朝議は いつもとはどこか違う緊張感があるようだった。


普段はあまりお出ましにならない王妃が 出席されているからだろうと イ・セクは思ったが、どうやら 宣仁殿に配置されている近衛隊からもピリピリとしたものを感じる。
何かあったのか? 彼は思ったが、その理由は その後すぐに知ることになる。


重要な案件から 報告や提案 そして王の指示が続き ふと 皆が一息ついた頃、王に仕える内官が 部屋の前で王に報告した。


「王様。お着きでございます」
「うむ。通せ」


王の声に 『誰が?』と視線をそちらに向けた イ・セクが、一瞬の驚きの後 納得した。
大護軍チェ・ヨン。国境から王様が王命で呼び戻すとお話になっていたが 到着していたのか。
近衛隊の緊張も当たり前と言えよう。


大柄なチェ・ヨンの後ろに 小柄な二人が続いたが、外套を頭の上からすっぽりと深くかぶっているので その姿は見えない。
チェ・ヨンの配下で 近衛隊員ではない私兵扱いの小柄な男がいたな、と イ・セクはさほど気にかけなかった。


「臣チェ・ヨン。 王命により国境より帰還いたしました」
「うむ。大護軍 ご苦労であった」


スッと跪き 臣下の礼をとると チェ・ヨンは言った。王もまた 頷く。


「・・・幾度も元との戦いを制し多大なる戦果を得た大護軍に 褒美をとらせたいと思う。 チェ・ヨン 何か望みはないか?」
「ありませぬ 王様」


王が 重臣たちの前で水を向けたが、チェ・ヨンは即座にその話を断った。


「・・・大護軍」
「・・・臣から 王様に ご報告したいことが一つあります。望みといえば それをお聞きいただきたいかと」
「申してみよ」


王は先に帰京しているチェ尚宮から 話は聞いているが、どのようにチェ・ヨンにその話を向けたらいいのかと悩んでいた。
褒美の話をしたのもそのためだったが、『褒美』という言葉が悪かったのか チェ・ヨンはすぐに断わってしまう。
王の戸惑いを察したのか チェ・ヨンが顔を上げたが、その瞳はどこか楽しそうに輝いていた。


イ・セクら重臣たちは、突然の展開についていけずにいた。
チェ・ヨンが今朝の朝議に出てくるのを知っていれば、彼に娶らせようとしている娘を皇宮へと連れてきたものを、と悔しがる気持ちと、王とチェ・ヨンの間の意味深なやりとりに戸惑っていたのだった。


「臣チェ・ヨン。かねてよりの許嫁と 国境の地で婚儀を挙げたことをご報告させていただきます」
「・・・婚儀だと?」
「・・・何!?」


チェ・ヨンの報告に 反応したのは重臣たちだった。
王と王妃は 表情を崩すことなく 彼をみつめている。


「婚儀とな」
「はい 王様」
「いつだ?」
「8日前にございます」
「・・・チェ尚宮。そなたが王命を持ってチェ・ヨンを尋ねたのはいつだ?」
「7日前にございます 王様」
「すると 婚儀はその前か」
「はい 王様」


王とチェ・ヨン。チェ尚宮。3人のやり取りを 重臣たちは呆然と聞いている。
王は全く驚いていない。チェ尚宮から聞いていたのか。 この叔母と甥は 全く侮れない。


「王様!? これはどういうことです?」
「大護軍が勝手に婚儀を挙げるなどとは」
「かねてよりの許嫁?誰ですそれは? 王はご存知なのですか?」


寝耳に水の重臣たちから 一転 矢のような質問が浴びせられるが、チェ・ヨンは涼しい顔のまま スッと合図を送った。
そして、彼の後ろに隠れるように控えていた 小柄な影が一つ ゆっくりと立ち上がり その外套を脱ぐ。
皆が固まったように動けずにいるなか、漆黒の外套から現れた白く輝くような美しい女人に 重臣たちは言葉を失った。
あの、薄い桃色の生地に 紫の桔梗の花があしらわれた衣を身に纏った ウンスの姿に。


「大護軍チェ・ヨンの妻 ユ・ウンス。 王様と王妃様に ご挨拶申し上げます」


そう言って にこっと微笑むと、優雅に腰を折り 礼をする。
その流れるような動作に 女人から目を離せずにいたイ・セクだったが、それまで黙っていた王妃の言葉に我にかえった。


「医仙。よく戻られた」


「医仙? 医仙だと?」
「あの女人が医仙なのか?」
「大護軍の妻は 医仙なのか?」


王妃が発した『医仙』という名に 再び重臣たちが反応する。
ウンスは その呼び名に困ったように 微笑んだ。


「お久しぶりでございます 王様 王妃様」
「医仙 よくぞ戻られたな」


王と王妃は 顔を見合わせて微笑みながら ウンスへ笑いかけた。
チェ・ヨンとウンス。 再び二人が並んでいることが 我が事のように嬉しいと 喜びながら。


「お話を・・・させていただいても よろしいでしょうか?王様」
「ああ、話すがよい。・・・どうかされたのか?」
「・・・私が 高麗を去って また戻ってくるまでの話です。お話しなければならないことがあります」


そう言ってから ウンスはふぅ、と一度大きく息を吐く。
さあ、ここからが 私の本番だわ。 上手くやらなきゃ と心のなかで思いながら。














王の許可を得たウンスは ゆっくりと話しだした。


王が キ・チョルに襲われかけていたとき、近衛隊兵舎にいた彼女もまた キ・チョルの舎弟舎妹に襲われ 誘拐されたこと。
天門間近で チェ・ヨンが 一行に追いつき 彼女を救いだしてくれたこと。
そして ウンスの身体を蝕んでいた毒を解毒できたことを確認し 二人は婚姻の約束をしたこと。
翌日、天界に帰るつもりはなくても 計算通り天門が開いているか 確認しに行ったこと。
キ・チョルが待ち構えていて チェ・ヨンが倒れたこと。
キ・チョルを振りきって でもチェ・ヨンの命を救うための道具が欲しくて 天門を潜ったこと。
道具を揃えて 天門へと戻ったが ここに帰ってこられなかったこと。


なるべく私情を交えずに ウンスは淡々と説明した。
王はチェ・ヨンから報告を得ていたが、ウンスの話を神妙な顔で聞いていた。


ここからが 問題ね。 ウンスは心のなかで呟く。


「それまでは姿を見てなかったけど 天門には門番がいたのです」


ウンスは 話を続けた。ここからはチェ・ヨンと二人で考えた 偽りの話を。


チェ・ヨンは 王命で華佗を探すために 天門を潜った。 そして戻った。
ウンスは チェ・ヨンに連れられて 王妃の命を救うために潜った。 そして戻った。
その往復には正当な理由があるから 問題なく通ることができた。が、今お前が通るのには どんな理由があるのか?と 門番は問うた。
ウンスは「チェ・ヨンの命を救うためだ」と言ったが それは聞き入れられなかった。
それは「願い」であって 「正当な理由」とは言えないと。
何度も何度も 天門に跳ね返されたウンスだったが ようやく一つの条件を見つけた。
『一つを得るためには 一つを失わなければならない』ということを。
しかし、その失うものは何か 彼女は悩み 時間がかかってしまったが、ようやく答えが出た。
・・・彼女が知り得ていた『天の知識』 そして高麗にはまだ伝わっていない『天の道具』。
この2つを失うことで 彼女はようやく 天門を通ることを許されたのだ、と。


「・・・ですから、今の私は 『医仙』と呼んでいただける医術や知識はありません。少し脈診や針が打てるだけの 医員としても未熟な者です。・・・でも、そんな私でも 高麗の一人の民として 生きていくことをお許し願えませんか?王様」
「医仙、いや ユ・ウンス。そなたは そこまでしても この高麗で生きたいと思っているのだな?」
「はい 王様。 全てを失ってもチェ・ヨンと共にいたい。それが望みです」
「・・・大護軍。 それを聞いたそなたの答えは?」
「某のために この女人は全てを捨ててくれました。某にできることは、この女人をただ一人の妻とし 生涯守りぬくことだと思っております」


ウンスも チェ・ヨンも その言葉に偽りはなかった。
王は満足そうに頷き、重臣たちを見回す。


「皆聞いたか? 二人は相当の覚悟で婚儀を挙げ ここに参った。それでもまだ この婚儀に異を唱えるか?」


王の言葉に さすがの重臣たちも 意見を言うことはできなかった。











■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



第十話。二桁突破で長編だとやっと言える感じ。

何十話も続けられる他のブロガーさんは 本当にすごいですね(@_@)


予定より やや早回しになってきました。ウンスさんの話まで行く予定じゃなかった・・・。

王様は全てご存知なのですが、医仙って言っちゃったのはどうなのよ?

ウンスさんの創作話は 以前少し書いたとおりです。


まだまだ朝議は続きます・・・。