愛する妻を腕に抱き チェ・ヨンが彼の人生で一番幸せな目覚めを迎えたのは それから一刻ほどが過ぎた頃だった。
4年前のあの朝も 幸せな目覚めではあったが、今傍らに眠る彼女は 昨夜ついに彼の妻になったのだ。
これからは 誰に憚ることなく こうした目覚めをずっと迎えていけると思うと、チェ・ヨンは 怖いくらいの幸せを感じて胸が熱くなったのだった。


「・・・・・」


顰めた声ではあったが、部屋の外で話し声の気配がある。
部屋の前にはチュンソクとテマンがいるはずで 護衛には申し分がない二人だったが、国境に駐屯している高麗軍を統括している身であるチェ・ヨンは 国境に何か動きでもあったのかと思い、妻を起こさぬようそっと寝台を出ると 下衣を手早く身につけた。


「・・・大護軍、起きていらっしゃいますか?」
「ああ、チュンソク どうかしたのか?」
「・・・兵舎のトクマンから伝令が届きました。 開京から王の使者がいらしているようです」
「王の使者だと?」
「はい。大護軍にお目通り願っているようです。・・・どうしますか?」


大護軍が 邪魔が入る前に一刻も早く婚儀を済ませたいのを知っているチュンソクは、困ったように問いかける。
とはいえ、相手は『王の使者』を名乗っているとすれば、待たせることも『不敬罪』になりかねない。
王はお疑いにはならなくても、王に絶大な信頼を得ている大護軍の存在を 快く思わない輩に 口実を与えてしまうのも厄介だ。


「・・・国境を見回りに行ったとでもして 時間を稼ぐように言え。二刻稼げれば御の字だが・・・そこまで待たせるのは無理だろうな」
「はい、トクマンに伝えます」


そう行って 去って行ったチュンソクだったが すぐに戻ってきた。


「大護軍! 王の使者殿がこちらへ向かっております」
「・・・何?」
「トクマンでは抑えられぬお方だったようでして・・・」
「・・・ハッキリ言え。・・・だとすると・・・まさか 叔母上か?」
「はい、チェ尚宮さまのようです」
「・・・・・」


まさかこのタイミングで 王の使者 しかも叔母上とは。
さすがに予期していなかった事態に 彼も苦笑せざるを得ない。
・・・まぁ、叔母上なのは 厄介な反面 やり方次第で好都合とも言えなくもない。
あくまでも 『やり方次第』で それが無事成功すれば、の話だが。


下衣の上からもう一枚羽織り、チェ・ヨンは手早く服を整えると 彼の妻の元へと駆け寄った。


「・・・ウンス。起きてください」
「う~~ん? もう朝?」
「ええ。そして 間もなく来客があるようです」
「・・・え??」


寝ぼけているのか、甘えたような声を出す妻に チェ・ヨンは思わず笑みを零す。
しかし 時間の猶予はなく、彼は急いで言葉を続けた。


「まずは衝立で覆いますゆえ 俺が対応している間にその影で着替えてください」
「うん、わかった。・・・でも」
「開京の王より 使者が来ているらしい。しかも どうも 叔母上のようだ」
「え?? 叔母様が?」
「まずは俺が応対します。その後で貴女と引き合わせます。・・・一応身内だ 婚儀を報告せねば」
「・・・参列してくださるかな? って、その前に嫁と認めてくださると思う?」
「あの衣を仕立てた本人ですよ? それは心配ありませぬ」


ウンスに安心するよう笑いかけると、彼女も笑みを返してくれる。
床に脱ぎ捨てた衣を拾い上げて妻に渡し、チェ・ヨンは衝立を動かして彼女の姿を入り口から隠した。


「・・・大護軍はここか?」
「チェ尚宮さま! どうしてこちらに!?」
「・・・わざとらしい応対はよい。大護軍はここにいるのかと聞いている」


チェ・ヨンが衝立を設置し終わるのを待っていたかのように 部屋の前から彼の叔母の声が聞こえる。
チュンソクが せめてもの時間稼ぎをしようとしているが 叔母相手に通用するはずもなかった。


「国境警備の責任者であるはずの大護軍チェ・ヨンが、兵舎ではなくこの宿屋に泊まっているのか、と聞いている」
「・・・それには相応の理由がある。・・・大声をだすのはやめていただきたいな 叔母上」
「ヨン。貴様 何をしている」
「・・・理由があると言っているだろう? まずは部屋に入ってくれ」

チェ・ヨンが部屋に招き入れると チェ尚宮は 部屋を見回し 苦虫を噛み潰したような表情をした。


「兵舎におらぬだけではなく、おなごを連れ込んだのか? お前 何を」
「何故?」
「そこにあるのは おなごの衣だろう!? そなた何を考え・・・いや、ヨン。お前 この衣は・・・」
「さすが 見覚えがあるはずだな。自分で仕立てたのだから」
「ヨン。お前・・・まさか」
「大声をあげぬと約束してくれ。・・・あと、あの方の名前を呼ばぬと」
「・・・・・わかった」


まさか、と チェ尚宮の心臓も早鐘を打つ。 常に冷静なはずの彼女も 平静を保ってはいられなかった。
まさか 4年の時を経て ついに甥の願いが叶ったというのか・・・?


「・・・叔母様 お久しぶりです」


衝立の向こうから現れた女人は チェ・ヨンの手を借りてゆっくりと立ち上がると 彼女の元へと歩いてきた。
4年前と変わらぬ笑みを浮かべ 彼女へと抱きついてくる。
チラリと甥を見やると、叔母にまで悋気を起こしているのか 苦笑いを浮かべて 叔母ではなく愛しい女人を見つめていた。


「・・・お戻りに なられたのか・・・」
「はい、昨日。 やっと戻ってこれました」
「・・・昨日」
「・・・『理由がある』と言っただろう?」


いい加減我慢の限界なのか、心の狭い甥は チェ尚宮とウンスの抱擁を引き離すと、妻になった女人を背後に隠す。
それでも 二人に 独特の心満ちた笑みを見て取ったチェ尚宮は、そういうことかと納得した。


「・・・叔母上 頼みがある」
「・・・なんだ いきなり」
「時間が欲しい。二刻ほど。王の使者チェ尚宮ではなく 俺の叔母として」
「・・・ヨン?」
「この方と婚儀を挙げる。身内として参列してくれ」


甥の眼差しは真っ直ぐで 迷いは全く感じられない。その傍らに目をやると ウンスもまた真剣な表情で彼女に頷いてみせた。


「お願いします叔母様。認めてくださいませんか?」
「・・・貴女こそ 後悔はないのか? この甥で本当によいのか?」
「そのために戻ってきたんですよ? もう二度と離れません」
「・・・ヨン」
「何だ?」
「・・・よかったな」


互いに口数が多い方ではないから 色々と思いはあっても それを全て口にだすことはできない。
チェ尚宮は ただその一言で 全てを表したのだった。


「頼みは聞き入れよう。まずは無事婚儀を執り行うことじゃな。・・・ヨン、女将に風呂の用意をさせよ。花嫁の身を清めねばならぬ」
「・・・わかった」
「お前は兵舎に戻って 水浴びでもしてこい。ちゃんと大護軍の正装も忘れるなよ」
「・・・いちいち指図せんでも そのくらい」
「そうか? この衣を花嫁衣装にするつもりらしいが、他はどうしたのじゃ? 長衣は?冠や簪は?」
「・・・・・」
「いいから、花嫁の支度はこの叔母に任せ とっとと己の支度をしてこい!」


広い高麗といえども 高麗の鬼神とも呼ばれる大護軍チェ・ヨンを これ程乱暴な扱いができるのは 実の叔母であるチェ尚宮しかいないだろう。
文字通り蹴りださんばかりに チェ・ヨンを部屋から追い出したのだった。


「さて、嫁御。支度するぞ」
「・・・はい 叔母様」


チェ尚宮の勢いに 完全に圧倒されているウンスは ただ頷くことしかできなかった。


こうして、ウンスが高麗に帰還した2日目 高麗式の婚儀の朝は 開けていったのだった。













「ウンス? 入るぞ」
「え? お、叔母様っ?」
「一応おなご同士じゃ 気にするな」


宿屋の女将を呼びつけると 風呂の用意をさせたり 足りない花嫁衣装の手配をさせたり、テキパキと動いているチェ尚宮に圧倒させまくりだったウンスだったが、とりあえず風呂に入って来いと着替えを渡され 浴室に案内されると ホッと一息ついた。
あれ程 一瞬でも離れたくなかったチェ・ヨンと引き離されても 寂しさを感じる間すら与えてもらっていない。
自分たちの婚儀のために 動いてくれているのだから 勿論嬉しいことだし、ウンスはどこかくすぐったい気分を味わっていた。
そんな風に ゆっくりと湯船に浸かっていると、不意に浴室の扉が開けられ、チェ尚宮が顔を覗かせる。


「・・・叔母様っ」
「ウンス。これで身体を洗うとよいと思っての」
「・・・これは・・・」


4年前 王妃様と叔母様に 別れの挨拶代わりに 贈った 高麗人参入りの石鹸だった。
少しづつ使ってくれていたのだろう、本当に辛うじて形があると言うほどの大きさになっていたが、作った本人のウンスには見間違いようもない。


「随分と小さくなってしまったがな。・・・これを使うと肌つやがよくなる。花嫁が使うのに相応しいだろう」
「ありがとうございます 叔母様」
「礼はよい。・・・そうだな、開京に戻って落ち着いたら」
「新しいの 作りますね」
「ああ、頼む」


場所柄 彼女を以前のように『医仙』とは呼ばないで欲しいとチェ・ヨンが言い、同意したチェ尚宮だったが ウンスを何と呼べばいいのか しばらく悩んだ結果、『ウンス』と名前で呼ぶことにした。
チェ・ヨンは 自分以外の者が 彼女を名前で呼ぶことにいたく立腹していたが、彼が頭が上がらぬ叔母が相手では 渋々ではあるが了承するしかなかった。


相変わらず口や態度は 甥と同じようにぶっきら棒だったが、チェ尚宮はやはり甥と同じようにウンスを優しく扱った。
背中を流すのを手伝い、髪を洗ってくれる仕草は ウンスにとって久しく会っていない母親の姿を思い出させた。


「・・・叔母様」
「何だ?」
「ありがとうございます」
「礼をいうのは こちらの方だ。・・・戻ってくれて感謝している」
「・・・高麗の人間ではない私には 身寄りがいません。彼の身内も叔母様だけ。・・・叔母様を高麗の母親と思っていいですか?」
「・・・心配せずとも 夫婦喧嘩の際は ウンスの肩を持つぞ」


ウンスの言葉を 照れ隠しに冗談で返し、チェ尚宮は先に浴室を出て行った。
温かい湯と 彼の叔母の愛に包まれて ウンスは(一応)独身最後の瞬間を過ごしたのだった。














「先程も思ったが 少し痩せられたな。苦労したのだろう?」
「・・・同じことを 彼にも言われました。・・・自覚ないですが そんなに痩せたかなぁ?」
「甥も私も これでも皇宮の警護の責任者じゃ。無意識に 顔や体格を記憶してしまう癖がついておるのだ。ヨンも言ったのなら 間違いあるまい。・・・風呂に入る前に衣を試着しておけばよかったな。わずかでも直す時間があっただろうに」
「・・・太って着られないとかじゃなくて よかったかも?」


ウンスの悪戯っぽい笑みに チェ尚宮も呆れたような笑みを浮かべる。
チェ尚宮が縫った衣は 今のウンスには少しだけ大きいようだったが、直しが必要というほどでもなさそうだ。これから高麗で過ごすうちに 調度良くなることだろう。


「・・・何か予感があったかもしれぬな。・・・もしくは、義姉上が持たせてくれたのか」
「・・・叔母様?」


衣を身にまとい 髪を結い上げ 化粧を施す。
徐々に 花嫁の姿になっていくウンスを感慨深い表情で見つめていたチェ尚宮だったが、持って来ていた荷から 大事そうに出した木箱を ウンスへと差し出した。


「これは・・・?」
「ヨンの母親の形見じゃ。 いつか ヨンに嫁ができたら渡そうと思って預かっていたのだが、今回何故か荷に紛れておった。不思議なこともあるものだ」
「叔母様・・・」
「化粧が崩れる! 泣くでないぞ! ・・・よく似合ておる」


チェ尚宮は 木箱から簪を出すと、ウンスの髪にゆっくりとさす。
チェ尚宮の兄で ヨンの父ウォンジクが 婚姻の際に妻に贈った簪。 兄らしく 決して華美ではないが 細やかで美しい細工が施されているその簪は ヨンの母にとてもよく似合っていたのを覚えている。
そして 時は過ぎ 今こうして ヨンの嫁になる女人にも とてもよく似合っていた。


「・・・屋敷にも これでようやく主ができるのぅ」
「・・・屋敷、ですか?」
「あ奴の実家じゃ。16で父親を亡くしてから 一度も帰ったことがないがな。・・・処分を頼まれたが、ヨンに嫁ができたら と思ってたのだ。一応住める状態ではあるが、古い屋敷ゆえ 新しく建てなおしても 売って別の屋敷を買ってもよい。嫁御の好きなようにせよ」
「でも、叔母様のご実家でもあるのでしょう?」
「一応 チェ家の当主は ヨンだからな。・・・妻帯するのならさすがに近衛隊兵舎から出るだろうし 任せるぞ」


チェ尚宮の言葉はどれも 一見素っ気ないものだったが、彼女の人となりを知るウンスは 胸が熱くなった。
先程から 彼女は 完全に ウンスをヨンの嫁と認めているのだ。
彼のただ一人の身内から こうして嫁と認めてもらえていることが ウンスには何より嬉しかった。


「・・・ウンス? 用意はできましたか?」
「・・・お前もしっかり用意できたのだろうな?ヨンよ」
「水浴びならしたぞ。・・・大護軍の正装の鎧もな」
「全く これだから男は・・・。髪くらい整えろ 戯け者が」


ヨンが「必要以上に華美」と言っていた 大護軍の鎧は 確かに遠目でも分かるような華やかな文様が施されていた。
彼の大柄な体格によく似合っていて ウンスは夫になる男に改めて見惚れる。


ヨンが 微笑みながら ウンスへと手を伸ばす。
ウンスもまた 彼の手を取り ゆっくりと歩き出した。


・・・二人は もうすぐ 本当の夫婦になる。







■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



第七話 チェ尚宮さま登場(笑)

何度も脱線しかかり、話を元に戻すのに苦労しております。

そして今更 肝心なシーン抜けてますがな・・・・°・(ノД`)・°・

しかし、これから入れるのは難しいっ!!!


はい、婚姻書の証人2人目 叔母様なんです・・・。

後で回想シーンで書けるかなぁ・・・。

天界式婚儀は見てませんが 婚姻書を見て 「身内代表として認める」と署名します。

2人しかいないから代表って言ってもね・・・って感じですが。

あと、高麗式の婚姻衣装 見つけられないです。朝鮮王朝ならば記述あるんだけどな。

スルーしてくださいね・・・。


あと、ウンスさんの目覚めがいいのは 前話から寝てないからです(笑)

イチャイチャしてて まどろんでいただけらしいです 奥様!(笑)



今日は特に言い訳がましくて 失礼しました(苦笑)