噂が当人の耳に入るのは 大抵は周囲に広まり切った後のことである。


ウンスが いつのまにか、近衛隊長チェ・ヨンと恋仲どころか 許嫁として認識されているということにようやく気が付いたのは、たまたまその日の彼女の護衛係が トクマンだったからだ。



「え!? それ どういうこと!?」
「え!? 違うんですか?医仙」


ウンスの驚いた素っ頓狂な声に トクマンも負けない驚きの声を出す。
近衛隊では特に 医仙は隊長の奥方になる方として 王様にも負けない 重要な警備対象とされていたからだ。


「どうしてそうなるのよ!?」


ウンスとしては 寝耳に水の話で まったく思い当たる節がない。
府院君キ・チョルに対抗するためとして チェ・ヨンとパートナーになったばかりだが それだけだ。


「だって、先日 東屋で お二人が手を握り合っていらっしゃったのを 近衛隊が何人も目撃しておりますし」
「ち、違うわよっ! あれはねぇ」
「あと聞いた話ですが 以前隊長が倒れられた時分に 医仙が接吻なさって息を吹き返したというお話も」
「・・・・・」


嬉々として得意げに話すトクマンに 背後から突然現れたチェ・ヨンが 無言のまま頭を殴りつける。
痛っと前かがみになったところを 背後から襟をつかんで部屋の外にそのまま蹴り出した。


「・・・・・」
「・・・・・」


いきなりのことで言葉を失っているウンスと 気まずそうに顔を顰めているチェ・ヨンが 無言のまま卓に向かい合う。
トクマンに淹れてやった茶は彼が既に飲んでしまったので チェ・ヨンはウンスの分として置いてあった湯のみを横取りして 一気に飲んで はぁ、と大きなため息をついた。


「・・・何よ」
「何の茶ですかこれは。渋い味がする」
「悪かったわね、普通の茶も満足に淹れられなくて」


その日はたまたま チャン侍医が重病者の往診に出かけてしまっていたので ウンスが自分で茶を淹れたのだった。
インスタントや スイッチ一つで完成品が出てくる 現代社会に生きるウンスは 茶葉をどれくらい入れて蒸らせばいいのかなんてわからず、渋く濃くなりすぎたのは自覚があった。
茶をすばらしく美味しく淹れるチャン侍医のような技量は ウンスにはいくら修行しても無理そうなので、努力すら放棄中だ。
・・・どうせ そんなに長くいないんだもの。このころのウンスは まだそう思っていたのだ。


「ところで 先ほどの話ですが」


茶が渋かったからなのか 話の内容のせいか、チェ・ヨンは顔を顰めたままボソリと話し出す。
普段から口数は多くはないとはいえ、こんな風に言いよどむ姿は 珍しかった。


「本当なのですか?」
「・・・何が」
「俺の息を吹き返らせるため・・・というところです」
「あ、あれは 人口呼吸! 医療行為よ! 接吻じゃないの」


ウンスは慌てたように 言い訳めいた説明をする。 あの瞬間のことは 自分でも説明がつかなかった。
チェ・ヨンの心臓の鼓動が止まったのを瞬時に感じ取り、気が付けば 身体は動いていたのだ。
それは 医師としての本能の行動だったのだと 今まで何度も自分に言い聞かせていた。
・・・それ以上のことなんか 絶対に ない。


「心臓の鼓動が止まった人に 心臓への圧迫と人口呼吸。 私の世界では常識の医療行為なのよ!」
「では 今まで 何人もの男に されてきたと」
「・・・私の世界には それ専用の機械があるのよ」


医学生の頃なら 人形相手に実地訓練もあったが、普段は人口呼吸器という便利なものがある。
心臓マッサージならともかく、人工呼吸を患者相手にした記憶なんて ウンスにもなかった。


「あれは、医者として 命を救うための行動なんだから! 相手が男だとか 貴方だとか、そんなこと考えてしたんじゃないのに!」
「では 他の誰にでも なさると言うのか?」


チェ・ヨンのこめかみがピクリと動いたが、ウンスには気が付かなかった。


「何よその言い方! だから医療行為だって言ってるじゃないの。同じような状況で 他に手段がなければ するわよ! 私は医者なんだから」
「・・・ところで 何度くらいなさったのか?」
「えっ!?」
「じんこうこきゅう とやらをされた回数です。何度も としか聞いておらぬゆえ」
「知らないわよ! 貴方の心臓が止まって 必死だったのよ! 数えているわけないじゃない」


バン! と卓に両手をついて勢いよく立ち上がったウンスの、 その顎をクイっと持ち上げるように 同じく立ち上がったチェ・ヨンが指を伸ばす。
え?と思う間もなく、ウンスの唇は塞がれていた。


「・・・とりあえず 1回は返していただきました」
「なっ・・・」

意識がない折のことゆえ 何度されたか知りませんが された分は返していただかねばなりません。

しれっと言い放って チェ・ヨンは 来た時同様突然帰って行った。突然のことで 真っ赤になって言葉すら失っている ウンスを残して。


その後 チェ・ヨンが 何度返してもらったのかは 二人しか知らない。