王様と共に 征東行省に赴いていた近衛隊が戻ってきた。 隊長の私室で薬草を刻んでいたため気が付くのが遅れたウンスだったが、外から聞こえる騒がしい声にハッとなり 急いで隊舎の外へと飛び出す。


・・・無事に帰ってきた。


留守番の隊員でさえも多くを語らなかったが、厳しい任務であることは予想がついていた。自分が知るはずの歴史が正しいのならば、彼がこのような状況で命を落とすことはないとウンスは分かってはいたが、だからといって心配がなくなるわけではない。


言葉少なく隊員に労いの言葉をかけると さっさと自室に向かうチェ・ヨンの後ろを小走りについていきながら、ウンスは何らかの違和感を感じていた。
元々自分とは異なり、感情を露わにする人ではないが、どこかおかしい。


「鎧を脱ぐの手伝うわ」
「結構」
「やめて。背を向けたり拒絶したりしないで」


まるで自分のことを避けているようなチェ・ヨンに ウンスは手を伸ばしたが それすらもあっさりと躱される。
鎧は血で汚れているようだが、彼自身には怪我はないようだ。


「返り血です」
「わかってる」
「今回の相手は 訓練を受けぬ私兵ゆえ 斬るのは難しくありませんでした。・・・ゆえに」


視線を合わせないまま、言い訳するように言葉を紡ぐチェ・ヨンに、ウンスは黙って抱きついた。
身体に怪我はない。けれど 心に傷を負っているような そんな気がして。

さすがに驚いたのか 一瞬身体を固くしたチェ・ヨンだったが、フッと身体の緊張を解いたのを ウンスは鎧越しに感じた。
躊躇いがちに チェ・ヨンの左手が ウンスの背に回されるのを感じ、ウンスも抱きつく力を少しだけ強める。


傷ついた心を 少しでも癒してあげたい


理屈ではないそんな想いが ウンスに行動させていた。


そうして どの位時がたっただろうか。 チェ・ヨンが 小さな声で絞り出すように呟いた。


「お放しください医仙。・・・血の臭いはお嫌いでしょう? 湯につかり流してきますゆえ」
「・・・え?」


ウンスは チェ・ヨンの言葉の意味が理解できず、抱きついたまま彼の顔を覗き込んだ。


「なんで? なんで私が血の臭いが嫌いって言うの?」


チェ・ヨンは 一瞬しまった、というような表情をしたが バツが悪そうにボソリと呟く。


「・・・以前 貴女は 血の臭いに顔を顰められておりましたので」
「そんなこと・・・ ああ、あのときかしら?」


そんなことあったっけ?とばかりに首をかしげるウンスだったが、少しの間の後 それが 慶昌君のことがあった時だと思い出す。


「あの時は 私は高麗に来てまだ間もなくて、この時代のことも 貴方のことも 何もわかってなかった。・・・だからって許されるわけじゃないけど、貴方を傷つけるようなことを何度も言ったわ。・・・ごめんなさい」
「・・・貴女に謝っていただくようなことは」
「いいえ、これだけは言わせて。 あの時の私は分からなかったけど 今なら分かることがある。 貴方は何度も私を守ってくれたのに 貴方が剣を振るうというだけで 私は貴方を殺人鬼扱いしてたわ。でも それは間違いだった」
「・・・そう でしょうか? 人を殺めているのは事実です」


心なしか苦しそうに歪められたチェ・ヨンの両頬を ウンスは両手で挟み込んだ。 視線を戻した彼と 真正面から見つめあう。


「全然違う。 貴方は 剣を持って向かってきた相手じゃないと斬らないでしょう? それは 貴方が斬らないと 私だったり王様だったり 貴方自身だったり 他の人の命が危険に晒されるからだわ。 私たちを守るために 貴方は剣を振るう。 それは 殺人鬼とは違うでしょ?」


ウンスのまっすぐな瞳は 彼を慰めるための嘘には見えず、チェ・ヨンは 傷ついた心が暖かい何かで満たされていくのを感じた。


「私は医者だから 人の命を簡単に奪ったりすることには否定的だけど、貴方は 自分勝手な理由で他人を殺めたりしない。・・・あいつらとは違う」
「・・・一度だけ 無防備な者に切り付けました」


ウンスを見つめるチェ・ヨンの瞳が 少しだけ哀しそうに光った。


「そんなことあった?」
「貴女を攫いに天界に参ったときです。王妃の傷を再現するためとはいえ、刀も持たぬ者を切りました」
「・・・ああ、でも あれは・・・」


今ならば事情が分かる。自分も高麗に連れてこられたときのカルチャーショックのようなものがあったから。言葉は通じたけれど 天界と信じた場所で 医者を探していたチェ・ヨンは 自分と出会うまで どうやってあの場所をさすらっていたのだろう。


「せめて あの者の命が助かったことを 今は祈ってます」


そう 自嘲気味にほほ笑んだチェ・ヨンの頬を、ウンスは思わずバチンと叩いた。


「失礼ね! 誰が手術したと思ってるの? あの人は助かったに決まってるでしょ!」
「医仙・・・」


突然頬を叩かれたチェ・ヨンは、それでもウンスの悪戯な笑みと共に告げられた言葉に ようやく笑顔を浮かべる。

徳興君や府院君 それに元のこと。まだまだ問題は山積みで 何一つ解決できそうにないような状況に変化はなかったが、今このときだけは 穏やかな時間が 近衛隊宿舎を包んでいたのだった。