藤原俊成。
言わずと知れた平安末期~鎌倉前期の歌人です。「千載和歌集」の編纂者。かの(百人一首の選者)藤原定家の父であり、冷泉家の祖。
その藤原俊成は、蒲郡の基礎を構築した功労者として、東海地方有数の景勝地「竹島」前に「俊成苑」が造られ、大きな銅像が建てられています。
「俊成苑」は、蒲郡の地を開拓した藤原俊成の像を中心に、再生された園地です。散策路も設けられ、藤棚やクロマツ、ツツジなどが彩を添える多目的広場になっています。
藤原俊成。53歳までは「顕広(あきひろ)」と名乗っていましたから、当時は、藤原顕広ですが、久安元年(1145)12月から同5年(1149)4月までの3年5月(32歳から36歳まで)「三河国司」として、当地に赴任しました。
彼は当地の温暖な風土を愛し、当時、クスノキなどが繁茂する荒れ地だった此の地の開発に尽力しました。そして、「竹谷荘」「蒲形荘」を整備し、今の蒲郡の基礎を構築しました。(「吾妻鑑」に記載あり。)
蒲郡の人々は、今も俊成の努力を忘れず、「俊成苑」を構築しています。
(青竹:No.3952)



