かつて「ご当地ソング」なる歌謡曲が流行し、各地の湊町(港町)を舞台にヒット曲が多く誕生しました。「新潟ブルース」も、美川憲一の7枚目のシングルとして1967年8月にリリースされ、大ヒットしました。
安政5年(1858)日米修好通商条約の成果として主要5港(箱館、新潟、神奈川、兵庫、長崎)が開港され、新潟は日本海側の中心都市として発展を遂げることとなります。
しかし新潟港の歴史は古く、10世紀の「延喜式」に「信濃川河口の《蒲原津》」として既に登場しています。越後国の税貢納物を積出港として、敦賀港を経て都への主要ルートのひとつとして重要でした。
更に17世紀には、河村瑞賢が「西廻り航路」を整備し、ますます重要な位置づけを確保します。
新潟を象徴する「萬代橋」です。
「水の都・新潟」のシンボルとして、信濃川で東西に分割された新潟のメイン架橋として、市の発展に大きく貢献してきました。
「新潟島」側から新潟駅側を臨みます。
平成16年には、橋として日本橋に次ぎ2番目の「国の重要文化財」に指定されました。
夜の萬代橋です。
萬代橋は明治19年に、総工費3万円をかけ、全長782mの木造橋として完成しました。当初は、1人:1銭5厘の渡り料金を徴収していましたが、1900年に市が1万5900円で橋を買い取り、無料化しました。
萬代橋の写真を眺めつつ、「新潟・新発田シリーズ」を開始します。掲載予定期間は、1か月半内外を予定しています。
(青竹:NO.3819)