横須賀は、ペリー艦隊来航前は戸数わずか200強の寒村でしたが、明治40年に市制に移行した時には、その人口6万3000人余り。横浜市に次ぐ県内第2の都市となりました(現在は第4位)。

 

幕末に小栗上野介により創設された横須賀造船所(製鉄所)を中心に発展した都市ですが、歴史的には、浦賀や久里浜などに興味が集中します。

 

此処は「浦賀コミュニティーセンター分館」ですが、

 

その2階に「郷土資料館」があり、浦賀の歴史が詳しく解説されています。

 

浦賀奉行所のジオラマです。愛宕山公園の少し海岸よりにありました。

 

浦賀の商業的な繁栄振りも、よくわかります。

 

歴代の浦賀奉行です。

 

危急的に重大な関心事となった江戸湾警備には、会津藩などの親幕雄藩が、大きな役割を果たしました。会津藩は、500人もの藩士を充当しました。

 

そして、地元の英雄は、何と言っても浦賀奉行所与力の中島三郎助です。

 

 

 

 

「咸臨丸」は万延元年(1860)1月19日に浦賀を出港し(その年の3月3日に桜田門外の変勃発)、日米修好通商条約批准交換使節に随行し渡米。5月5日に帰国しました。

 

                           (青竹:NO.3818)